未来への”OneStep”

近世4
理解度チェック(近世4)
以下の問いに答えられますか。
解答例はページの下の方で。
1. 享保の改革の特徴を説明できる。
2. 18世紀後半に顕著に見られるようになった、村社会と都市社会の変容を説明できる。
3. 百姓一揆の形態の変容を説明できる。
4. 享保の飢饉と天明の飢饉の概要と、都市における民衆の行動を説明できる。
5. 田沼意次の財政政策の特色を説明できる。
6. 田沼時代の少し前に朝廷でおこった事件を説明できる。
7. 寛政の改革の特徴について説明できる。
8. 松平定信の対朝廷政策を説明できる。

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【解答例】
1. 幕府財政の悪化のなか、吉宗は人材を登用して幕政改革に取り組んだ。財政政策では、相対済し令や倹約令で支出を抑制しながら、上げ米・定免法・新田開発で増収を目指した。都市政策では、町火消を組織させ、目安箱・小石川療養所を設置した。また、日光社参を行って将軍権威を高め、公事方御定書を制定して国家制度を充実させた。
2. 村では地主が田畑を集積して地主(豪農・在郷商人)に成長する一方で小作人が増加する階層分化が進み、対立が深まって村方騒動が頻発した。都市では家持町人が減少し、地借・店借・奉公人が増加した。また、農村部から流入する日用稼ぎなどの貧しい民衆が多数居住するようになった。
3. 17世紀初めには、土豪を交えた武力蜂起や逃散が行われ、17世紀後半からは、村の代表者が領主に直訴する代表越訴型一揆が増え、17世紀末になると、広い地域にわたる大規模な惣百姓一揆も各地で見られるようになった。19世紀から幕末にかけて、社会変革を求める世直し一揆も起こった。
4. 17世紀前半の享保の飢饉では西日本を中心に全国的な大凶作となり、江戸で初めての打ちこわしが起きた。17世紀後半の天明の飢饉では冷害や浅間山の大噴火を経て東北を中心に数年に及ぶ大飢饉となり、江戸や大坂をはじめ各地の土地で打ちこわしが多発した。
5. 幕府財政再建のために、民間の経済活動の富を積極的に財源とする方針をとった(株仲間奨励・南鐐二朱銀発行・大規模干拓工事・新田開発・蝦夷地開発とロシアと交易の可能性調査・長崎貿易で銅や俵物を輸出)。ただし、干拓は失敗に終わり、天明の飢饉が始まるなどして、将軍家治の死去後に意次は罷免されて、多くの政策は中止となった。
6. 尊王思想が台頭し、復古派の公家たちと竹内式部が摂家によって処分される、宝暦事件が起こった。
7. 国内では飢饉などで農村も都市も疲弊して、国外では西洋列強が接近し始めるなか、松平定信は農村を復興し(囲米・出稼ぎ制限・公金貸付)、都市政策(勘定御用達・物価引き下げ・旧里帰農令・石川島人足寄場・七分積金)を行った。旗本・御家人対策としては、棄捐令・寛政異学の禁を出し、寛政の三博士を登用した。風俗面では、出版統制令を出したり、林子平や山東京伝などを弾圧したりした。
8. 尊号一件により幕府と朝廷の協調関係は崩れた。定信はこの事件などをめぐって将軍家斉と対立して退陣に追い込まれた。その後、幕府による統制機構は幕末まで維持されるものの、天皇の権威は幕末に向かって浮上し始めた。