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豊臣兄弟登場人物動向チェック 第25回「変事の予兆」(天正八年八月~天正九年二月)

更新日:6月29日


織田信長は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇47歳

8月2日、教如らが大坂より退去します。本願寺が焼失します。

8月、佐久間信盛父子を追放します。ついで、林秀貞・安藤守就父子・丹羽氏勝も追放します。

9月25日、明智光秀と滝川一益を大和に派遣し、所領の指出を提出させます。

11月7日、筒井順慶に大和国を宛行って、郡山城を居城とさせます。


◇天正9(1581)年◇48歳

2月28日、京都で馬揃を催します。

2月、佐々成政に越中国を宛行います。


ドラマでは、なんか自分が背負う的なこと言っていましたが、、、悪手ですよねえ。。。



佐久間信盛は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


尾張国愛知郡山﨑の佐久間氏に生まれます。信長の老臣なのですが、生年は不詳です。柴田勝家や佐久間盛重より少し年下世代なら、桶狭間のときに30代ぐらいで、追放されたときに50代といったところでしょうか。


◇天正8(1580)年◇?歳

8月2日、大坂城退去を検分します。

8月25日、信長からの譴責状が出て、子供とともに高野山に追放されます。

高野山から熊野の奥地に移ります。信長から伴を連れて行くことを禁じられたため、父子二人で徒歩で山を上ったと伝えられます。

剃髪して夢斎定盛(じょうせい)と称します。

9月15日、金剛峯寺に自分が死んだあとの供養を依頼します。

9月25日、金剛峯寺に信長から赦免されることを祈ります。


◇天正9(1581)年◇?歳

7月24日、十津川で没します。


信長家臣団で生き残るには相撲が大事なんです!禪院真希ちゃんに習いましょう。



林秀貞は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


生年不詳です。通称は新五郎、佐渡守です。

幼少の信長が父信秀から那古屋城を譲られたときに「一長(いちのおとな)」、すなわち筆頭家老として仕えました。信長から見れば、爺やとか、執事長とかいった存在でしょうか。


◇天正8(1580)年◇?歳

8月、突然遠国に追放されます。理由は『信長公記』によると、24年前に信勝を擁立しようとした罪によると伝えられますが、学界ではあまり信用されていません。追放後は、「南部但馬(勝利)」と改名して京都に住みます。

8月25日、佐久間信盛父子が高野山に追放されます。

10月15日、没したと伝えられます。


「24年前に信勝を擁立しようとした罪」!、、、ドラマでの柴田勝家の"洒落にならん"という表情ときたらもう(勝家もいっしょに信勝を擁立しました)。。。



安藤守就は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


美濃国出身です。生年不詳です。本能寺の変の年に80歳とする史料もあるので、かなりの高齢です。

実は娘の一人が竹中半兵衛と結婚していますので、半兵衛の義理の父親になります。

日向守、伊賀守。

もともとは、斎藤氏に使えています。美濃三人衆の1人です。


◇天正8(1580)年◇?歳

8月、佐久間信盛父子が追放されます。

8月17日、安藤守就父子が追放されます。林秀貞と丹羽氏勝も追放されます。安藤守就追放の理由は、『当代記』によると、8年前に武田信玄に内通した罪だそうです。


◇天正9(1581)年◇?歳

この年の動向は不明です。


ドラマでは、稲葉一鉄がヘイトを集めまくっていましたね。今後に期待です。


稲葉良通(一鉄)は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇66歳

前年に家督と曽根城(岐阜県大垣市曽根町)を嫡子貞通に譲って、美濃国清水城(揖斐川町清水)に移っているので、この年から本能寺の変にかけては清水城にいたようです。


ドラマでみんなのヘイトを集めていた場所は、清水城なんですねえ。


◇天正9(1581)年◇67歳

清水城にいたようです。



森乱(森成利)は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)のころ


◇天正8(1580)年◇16歳

8月13日、信長のもとを訪れた吉田兼和の贈物を披露します。


◇天正9(1581)年◇17歳

2月25日、また信長のもとを訪れた吉田兼和の贈物を披露します。


ドラマでは相撲で3連勝していました。さすが近侍の者、強い!

☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)


徳川家康は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇39歳

この年、四男の忠吉と、三女の振姫が生まれます。


◇天正9(1581)年◇39歳

3月、武田勝頼の高天神城を攻略します。


長宗我部元親は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇42歳

8月ごろ、大坂の浪人衆や雑賀衆に勝瑞城を奪還されます。

この年(もしくは翌年)、一条内政を追放します。


◇天正9(1581)年◇43歳

6月、織田信長が三好康長を通して、長宗我部元親の阿波国攻略に介入してきます。

この年、一条兼定と和睦します。


ドラマでは、大人になっても姫若子な元親でした。今後、どこかで鬼若子な元親も見られるのでしょうか。




毛利輝元は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇28歳

6月、鳥取城の山名豊国に裏切られます。

9月、山名豊国を鳥取城から追放します。


◇天正9(1581)年◇29歳

3月、吉川経家を鳥取城に入れます。

もうすぐ秀吉が攻めてきますよお。


☆参考文献:光成準治『毛利輝元』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4uFfzyz)


宇喜多直家は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇52歳

この年から、天正10(1582)年まで、直家は毛利勢と攻防をくりひろげています。


◇天正9(1581)年◇53歳

毛利と戦っています。


☆参考文献:渡邊大門『宇喜多直家・秀家』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4uybSKQ)


小早川隆景は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇48歳

8月、伊賀氏が宇喜多氏から離反してくれます。

10月、宇喜多方の忍山城を攻略します。


◇天正9(1581)年◇49歳

分かりませんでした。


☆参考文献:光成準治『小早川隆景・秀秋』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4e55AgU)


吉川元春は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇51歳

このころの動きは、あまり分かりませんでした。


◇天正9(1581)年◇52歳

このころの動きは、あまり分かりませんでした。

☆参考文献:

『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)

『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/45eYv8O)


安国寺恵瓊は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇?歳

天正8年から9年の、恵瓊の動きは分かりませんでした。


◇天正9(1581)年◇44?歳

天正8年から9年の、恵瓊の動きは分かりませんでした。


☆参考文献:

河合正治『安国寺恵瓊』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4emcHAe)


黒田官兵衛は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇35歳

前回のドラマでもあった、小寺から黒田への改姓ですが、小和田哲男『黒田如水』によると「天正七年(一五七九)十月末に姫路にもどってから、翌八年七月二十四日までの間に改姓したことがわかる」そうです。

6月、秀吉に従って、因幡国と伯耆国の国境に出陣します。

9月1日、播磨国揖東郡に一万石を与えられて、山崎城に拠ります。


◇天正9(1581)年◇36歳

このころに、軍旗と馬印と家紋を制定します。


☆参考文献:小和田哲男『黒田如水』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/43EXDc8)

Qg)


別所重棟は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇?歳

天正13年まで、動向が分かりませんでした。


☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)


高山右近は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇28歳

高槻の教会が栄え、11月には信者は1万4000人となり、さらに7000人の洗礼志願者がいたといいます。

この年、高槻周辺を検地します。


◇天正9(1581)年◇29歳

2月16日、ヴァリニャーノを岡山城まで迎えに出ます。復活祭を祝います。

2月28日、信長の馬揃えには、丹羽長秀の下で摂津衆として参加します。

この年、領民2万5千人のうち1万8千人がキリシタンだったとされています。


☆参考文献:

中西裕樹『戦国摂津の下剋上 高山右近と中川清秀』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4vutvwC)

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)

海老沢有道『高山右近』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4eVj3rR)


中川清秀は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇39歳

尼崎の荒木残党の相手をしています。


◇天正9(1581)年◇40歳

2月28日、信長の馬揃えには、丹羽長秀の下で摂津衆として参加します。


☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)



足利義昭は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇44歳

閏3月7日、本願寺が信長と講和します。

義昭は、教如を支援するようにと毛利氏に命じますが、拒否られます。


◇天正9(1581)年◇45歳

毛利氏の庇護のもとにいます。


参考文献:山田康弘『足利義輝・義昭』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4a91kue)


明智光秀は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇53?歳

8月2日、丹波一国を与えられます。

8月15日、佐久間信盛親子が、信長より追放されます。

9月26日、大和国の寺社と本所以下の国衆に指出検地を命じます。

10月6日、御料所である丹波山国荘の貢租を献上します。

11月7日、筒井順慶が、信長より大和国を与えられます。


◇天正9(1581)年◇54?歳

正月6日、坂本城で連歌会と茶会を開きます。

2月、柴田勝家が加賀国を平定します。

2月28日、京都の馬揃で奉行をつとめます。


ついに光秀のターンですね。そういえば、お市の方はどうして馬揃えを見たいとか言ったんですか?



参考文献:小和田哲男『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4v28ad1)

高柳光寿『明智光秀』(吉川弘文館)(https://amzn.to/3RI7gEa)


丹羽長秀は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇46歳

2月、兵庫・花隈への付城を築きます。

安土城下に宅地を造営します。

5月7日、安土城下の宅地が完成します。


◇天正9(1581)年◇47歳

このころは大坂にいたようです。

2月28日、京都の馬揃えのときに行進します。


参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)


細川藤孝は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇47歳

8月、丹後一国の支配を委ねられます。入国して、八幡山城に入ります。

8月、従属を拒む国侍の吉原一族を誅戮します。

9月2日、安土に赴きます。

忠興に家督を譲って、幽斎を名乗ります。


◇天正9(1581)年◇48歳

2月24日、この日までは京にいます。

2月28日、信長の馬揃えの日には参加していなかったようです。

3月5日、信長より丹後国の統治についての朱印状を受けます。


☆参考文献:

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)


織田信忠は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇24歳

8月、林秀貞・佐久間信盛・安藤守就が追放されたので、信忠の尾張・美濃における支配権は広がったかたちになります。

11月、安藤氏の元与力高木一族を服属させて所領を安堵します。


◇天正9(1581)年◇25歳

正月、家康の高天神城攻めの応援に出陣します。

2月28日、馬揃えのときは、連枝衆の筆頭として八十騎を率いて行進します。馬揃えのあとに、信長に怒られます。理由は、信忠は能楽が好きで、自分も能を演じて悦に浸っていたということらしいです。



参考文献:

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)

柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)

池上裕子『織田信長(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dP8FBp)


織田信雄は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇23歳

前年に勝手に伊賀に出兵して、しかも負けやがったので、信長に怒られていました。

なので、この年の前半まで活動していません。謹慎中だったのでしょう。

5月3日、信忠とともに安土に行って、邸宅の普請に関わっています。

この年、田丸城が家臣に放火されて焼けたので、細頸に新たに造った松島城に移ります。


◇天正9(1581)年◇24歳

正月15日、爆竹に参加します。

2月28日、信長の馬揃えに伊勢衆30騎を率いて行進します。信長の子供の中では、2番目の地位にあります。


参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)


織田信孝は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇23歳

7月20日、筒井順慶の猶子になるとの噂が立ちますが、噂は風化します。

7月28日、妙満寺の陣所にて、吉田兼和と水無瀬親具の訪問を受けます。

12月3日、上京したときに、禁中より、薫物を賜ります。


◇天正9(1581)年◇24歳

正月15日、爆竹に参加します。

2月28日、信長の馬揃えに10騎を率いて行進します。



参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)


織田信澄は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇23歳

8月、本願寺退去のときに、大坂に行きます。以後、大坂に常駐します。


◇天正9(1581)年◇24歳

2月28日、信長の馬揃えに10騎を率いて行進します。10騎は信孝と同じです。



参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)



与一郎は今?

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇?歳


史実ベースでは秀長の実子(慈雲院(慶)との間の子)です(『羽柴秀吉とその一族』)。まだ子供なので、動向は分かっていません。


参考文献:黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書)(https://amzn.to/4wA9Qfn)


豪姫は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇8歳

さすがに、まだ正確な動向は分からないようです。


参考文献:岩沢愿彦『前田利家(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dOONOT)


藤堂高虎は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳

基本的に動向は不明です。豊臣兄弟の但馬攻めや因幡攻めに従軍していたのでしょうか。


◇天正9(1581)年◇26歳

不明です。ちなみに、毛利氏と戦っていた豊臣兄弟は、2月28日の馬揃えには参加できていません。


☆参考文献:

諏訪勝則『図説 藤堂高虎』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4dAxyRd)

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)

『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)

吉川弘文館『戦国武将合戦事典』(https://amzn.to/45eYv8O)


石田三成は今?

#豊臣兄弟  225回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇歳

史料に初登場するのは天正11(1583)年なので、正確な出仕年代は不明です。

このころの動向はわかりません。


☆参考文献:

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)


平野長泰は今?

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇歳

ドラマでは、天正5(1577)年に秀吉に出仕しますが、『戦国人名辞典』によると、実際の出仕は天正7(1579)年のようです。


☆参考文献:

『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)


片桐且元は今?

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇歳

辞書で言及されているのは、賤ケ岳の戦いからなので、正確な出仕年代は不明です。


☆参考文献:

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)


加藤清正は今?

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇歳

まだ動向は不明です。


☆参考文献:

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)


福島正則は今?

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇歳

まだ動向は不明です。


☆参考文献:

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)


筒井順慶は今?

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇32歳

8月3日、大和国中の諸城の破却が決まります。

8月17日、筒井城も破却して、郡山城だけを残します。

8月20日、大和国中の城の破却がだいたい終わり、順慶に郡山城が下されます。

9月26日、信長より、大和国の指出検地を命じられます。

10月23日、指出検地がだいたい終わります。

10月28日、戒重、岡、大仏供、高田、吉備氏らを処刑します。

11月7日、郡山城入城と国中一円支配安堵の信長朱印状を渡されます。

11月12日、郡山城に入ります。

11月24日、郡山辰巳父子を自害させます。

12月2日、明智光秀が坂本城で開いた茶会に、津田宗及といっしょに参加します。


◇天正9(1581)年◇33:歳

2月28日、信長の馬揃えでは、明智光秀の下の大和衆として参加したと考えられます。


☆参考文献:

金松誠『筒井順慶』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4tTdT40)

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)


荒木村重は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇45歳

3月に毛利の下に逃げこんだ後は、備後国尾道に住んでいたと伝えられます。


◇天正9(1581)年◇46歳

尾道にいたのでしょう。


☆参考文献:

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)

池上裕子『織田信長(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dP8FBp)

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)


蜂須賀正勝は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)のころ


◇天正8(1580)年◇55歳

三木城を攻略したあとは、秀長に従って山陰で活動することが多くなります。

なお、戦闘に関しては子供の家政に任せがちになるそうです。


◇天正9(1581)年◇56歳

山陰での活動について、細かに信長に注進しています。『織田信長家臣人名辞典』では秀吉の目付役でもあったと推測されています。


ドラマでは、、、おめでとうございます!

やっと約束が叶いましたね。小六ももう55歳になっています。

『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)


豊臣秀長は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇40歳

10月18日、上坂八郎に但馬国の300石を与えます。


◇天正9(1581)年◇41歳

もうすぐ鳥取城攻めです。


ドラマでは小一郎の相撲は見れませんでした。森乱とやったらやっぱり負けるんでしょうか。美濃の熊殺しも負けたことですし。


☆参考文献:河内将芳『図説 豊臣秀長』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4eAfDv7)


豊臣秀吉は今?

#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇43歳

3月27日、近江国を出立します。

閏3月2日、播磨国三木に着陣します。

閏3月12日、播磨国の村々に条々を出します。

閏3月17日、備前国・美作国・播磨国三つ辻の所まで兵を進めます。

4月9日、本願寺顕如が石山から紀州鷺森へ退去します。

4月26日、播磨国宍粟郡宇野民部構と英賀城を落とします。

5月21日、因幡国鳥取へ出陣します。

10月28日、龍野町に条々を出します。


◇天正9(1581)年◇44歳

2月24日、信長が内裏東で馬揃えを催します。

5月、堺に滞在します。


☆参考文献:

藤井譲治『豊臣秀吉』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4dlVeaT)

柴裕之『図説 豊臣秀吉』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4uhsUgT)


慶(慈雲院)は今?

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇歳


◇天正9(1581)年◇歳:?歳寧々ぐらいの年齢?


・天正14(1586)年、『多聞院日記』にて、歴史に初登場します。

なので、このころの動向は不明です。


☆参考文献:黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書)(https://amzn.to/48Oxt9Z)


本多忠勝

#豊臣兄弟  25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)


◇天正8(1580)年◇33歳


◇天正9(1581)年◇歳


長篠の戦いのあと、まだ調べがついていません。

→参考文献では、分かりませんでした。


☆参考文献:

『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)

『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)

吉川弘文館『戦国武将合戦事典』(https://amzn.to/45eYv8O)

菊地浩之『徳川十六将』(角川新書)(https://amzn.to/49jihSz)

宮本義己『<徳川家康と戦国時代>知られざる異能 軍師・本多忠勝』 (歴史群像)(https://amzn.to/4tRHSJG)



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