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藤原頼通(田鶴) 「光る君へ」人物事典045

更新日:8月26日

【目次】


藤原頼通(ふじわらのよりみち):渡邊圭祐・三浦綺羅

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


道長の嫡男。権力者ののもと、若くして出世していく。しかし政治に興味がなく、には尊敬と反発の複雑な思いを抱き続ける。のちに宇治に平等院を造営する。


摂政太政大臣道長左大臣源雅信女従一位倫子の長男です。

道長と違い、入内させた娘が親王を生みませんでした。




頼通の幼名は田鶴(たづ)でした。ドラマでは、子どものころの田鶴は体を動かすことが好きだと、倫子ママが言っています。

17歳のころの頼通は、紫式部から、年齢以上に立派で物語の貴公子のようだと褒められています。頼通の子孫が語るところによると、かなりのヒスだったらしいんですが。


2013年生まれの子役です。サンミュージックブレーン所属です。

大河ドラマでは、『どうする家康』(織田信長役)に出演しています。


1993年生まれの俳優、モデルです。アミューズ所属です。

大河ドラマは初出演です。


27回「宿縁の命」(999年)ごろの田鶴(頼通)

7月18日、田鶴(頼通)は病の療養のために、あかね(和泉式部)が住んでいた橘道貞邸に行かされます。、、、なんで、病だったら橘道貞邸に来るんだろ? 方角的な問題??



約8歳です。倫子ママが詮子に言うには、「田鶴は体を動かすことが好き」だそうです。大人になってからの頼通の、どのエピソードにつながるのでしょうか。



29回「母として」(1001年)ごろの田鶴

10月9日の詮子おばさんの40歳祝の席で陵王という童舞を舞うのですが、1歳年下で明子の子の巌君の舞よりもヘタクソプーでした。

ドラマでは、一条天皇が倫子も明子もお祝いに呼んで、巌君の師匠にだけ栄爵を与えるという形で童舞のあとに巌君だけを褒め称えました。明子と倫子がバチってたし、田鶴は泣いていたし、、、一条天皇は、分かってわざとやってますよねえ、、、

ふだんはなりふりかまわず「定子定子」としか言わないくせに、こういうときだけ政治的にイジワルしてくるんですね。これで田鶴が自己肯定感の低い大人になったらどうするつもりなんでしょう。



30回「つながる言の葉」((1002~)1004年)ごろの頼通

長保五年(1003年)

2月20日、枇杷第で、頼通(約11歳)の元服と、妍子(約10歳)の着裳が行われます。


長保六年/寛弘元年(1004年)

正月9日に昇殿を聴され、2月10日に禁色を聴されます。この間、2月5日に右近衛少将春日祭勅使として奈良に下向もしており、道長の後継者としての既成事実を積み始めます。ドラマでは、ダンサブルじゃないくせに。

なお、このとき、あかね(和泉式部)の(元)夫の橘道貞が諸事の面倒をみます。あと、公任の子の定頼もお供しています。


ドラマでは為時の教えを受けている子どものように見えましたが、すでに正月に四位となって近衛少将春日祭勅使となっている高貴なる大人(約12歳)です。為時先生が一生かかって届く五位なんぞ、とっくにぶっちぎってます。

16歳ぐらいで四位だった若い時の伊周の上位互換ですね。道長、あのときはあんなに批判的だったのに。。。


解説:実際の頼通・その後の頼通



正暦三年(992年)正月生まれ。藤原道長と、源倫子の長男です。道長から見れば、自分の跡継ぎ候補筆頭にあたるわけです。通は歴代最長の50年以上にわたって摂関をしていたことと、平等院鳳凰堂を立てたことで有名です。


約12歳で元服して、約25歳で内大臣になります。道長の息子なので、ロバート実資が泣きたくなるほど早い出世です。

ちなみに、道隆が強引に出世させた伊周は約20歳で内大臣になったので、いかに道隆・伊周親子が公卿の反発をかったのかもうかがえます。




次がすごくて、約25歳のときに内大臣になったその月のうちに、後一条天皇の摂政になります。その2年後には関白です。

ただ、政治の実権は道長が握っていて、何を決めるにも道長の言葉を仰いでいる頼通の姿は、ロバート実資によって皮肉られています。


寛弘六年(1009年)

夏ごろ、具平親王の娘の隆姫と結婚します。


寛仁元年(1017年)約歳

3月16日、後一条天皇の摂政となります。


寛仁二年(1018年)約歳

正月3日、後一条天皇が元服します。

10月16日、道長パパが望月の歌を詠みます。


寛仁三年(1019年)約歳

2月21日、道長パパが出家します。

12月22日、後一条天皇の関白となります。


草稿:引用は「国史大辞典」

万寿四年(1027年)道長が没したため、頼通は名実ともに摂関家の筆頭となる。後一条天皇に続き、長元九年(一〇三六)に後朱雀天皇、寛徳二年(一〇四五)に後冷泉天皇が即位し、頼通は引き続いて関白であった。康平三年(一〇六〇)左大臣を辞し、嫡子師実を内大臣とする。同四年太政大臣、翌年辞す。治暦三年(一〇六七)准三后。同四年弟教通に関白を譲る。摂関在職の間の政策として荘園整理がある。長久元年(一〇四〇)には論議が行われ(実施は確認されていない)、寛徳二年・天喜三年(一〇五五)には太政官符が下されて実施された。一方道長の死の翌年の長元元年前上総介平忠常が反乱を起し、同四年になって鎮定された。永承六年(一〇五一)には、陸奥の安倍氏が反乱を起し、源頼義が追討を命ぜられたが、結局平定されたのは康平五年であった(前九年の役)。また永承七年には、道長から伝領した宇治の別業を寺に改めて平等院と号し、翌天喜元年に阿弥陀堂(鳳凰堂)を完成させている。頼通が関白を辞した直後、後三条天皇が践祚した。天皇は三条天皇皇女禎子内親王を母としており、頼通をはじめとする藤原氏によって東宮の地位を脅かされていたため、即位後は摂関家の勢力削減に力を注いだ。こうした天皇と頼通の対立については『古事談』『愚管抄』などにみえる。頼通が入内させた養女子(後朱雀天皇中宮)・女寛子(後冷泉天皇皇后)に皇子の誕生がなく、後三条天皇の即位とともに外戚の地位を失ったことが、摂関家勢力低下の一因とされている。また頼通は、教通に対して、移譲の際の約束に従い師実に関白を譲るよう求めたが、ついに入れられなかった。晩年は平等院に住み、延久四年(一〇七二)正月二十九日出家し(法名蓮花覚、のちに寂覚)、承保元年(一〇七四)二月二日、八十三歳で没した。


年表

藤原頼通の略年表を示します。年齢は数え年です。


992年:1歳。誕生。

1003年:12歳。元服。

1006年:15歳。従三位

1015年:24歳。12月13日、伊周のオバケを見てビビります。

1017年:26歳。3月、内大臣。同3月、摂政(後一条天皇)。

「実権は道長にあり、頼通自身もそれを受け入れていた。」(国史大辞典)

       8月、除目で道長に頼る。

1019年:28歳。3月、道長出家。

       12月、関白。

1021年:30歳。従一位、左大臣。

1023年:32歳。道長に怒られる。

1027年:36歳。道長死去。

1028年:37歳。平忠常の乱。

1035年:44歳。道長に怒られる。(おかしい。再調査)

1036年:45歳。関白(後朱雀天皇)。

1045年:54歳。関白(後冷泉天皇)。寛徳の荘園整理令。

1051年:60歳。前九年合戦始まる。

1052年:61歳。宇治の別業を寺に改めて平等院と号す。

1053年:62歳。平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)完成。

1060年:59歳。左大臣を辞す。嫡子師実を内大臣に。(以下の赤字、要確認)

1061年:60歳。太政大臣。

1062年:61歳。太政大臣を辞す。

1067年:66歳。従三后。

1068年:67歳。弟教通に関白を譲る→後三条天皇践祚。

「(後三条)天皇は三条天皇皇女禎子内親王を母としており、頼通をはじめとする藤原氏によって東宮の地位を脅かされていたため、即位後は摂関家の勢力削減に力を注いだ」(国史大辞典)


1072年:81歳。正月29日、出家。

1074年:83年。2月2日、死去。


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