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ドラマ紹介と鑑賞ポイント予想 「光る君へ」予習編1

更新日:2023年12月18日




※まだ、α版未満です(2023/11/26)


「光る君へ」

2024年 NHK大河ドラマ第63作は「光る君へ」です。平安時代の紫式部の物語です。

今回は、ドラマを楽しむための基本的な時代背景と、3つの見どころまでを、分かりやすく紹介いたします。

最後までご覧になっていただければ、大河ドラマ「光る君へ」がテレビの前の皆様に見てほしいポイントが理解できるようになり、これから大河ドラマ「光る君へ」をご覧になる方にとって、大いに役立つこと間違いありません。

この講座では、そういった情報をまとめて、分かりやすくお話させていただいております。大河ドラマを見ない方にとっても、紫式部が活躍した平安時代の本当の面白さを楽しんでいただければ嬉しいです。


それでは始めさせていただきます。

まずは、NHKのドラマ紹介文章を読んでみましょう。NHKの「光る君へ」の紹介サイトには、


主人公は紫式部 時代は平安

千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書きあげた女性

「光源氏」の恋愛ストーリーの原動力は

秘めた情熱と想像力 そしてひとりの男性への想い

その名は藤原道長

変わりゆく世を自らの才能と努力で生き抜いた女性の

愛の物語


とあります。また、


躍動せよ!平安の女たち男たち!

創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部


ともあります。


そうなんです。2024年の大河ドラマ、そう、大河ドラマ第63作は、平安中期に生まれ、世界最古の女性文学と称される『源氏物語』を創作した紫式部の生涯を描いたものなのです。紫式部が生きた平安中期といえば、武家が台頭してきた時代です。武家の台頭が迫る中、華やかに開花した平安文化の華。華麗な平安貴族の世界と、一生懸命に生き、物語や日記を書き、人を愛した女性の人生に挑戦する、意欲的で見ごたえのある大河ドラマです。


平安時代と言えば、十二単を身に纏い、長い髪を引いている女性の姿を思い浮かべる方も多くありませんか。その優雅さはさておき、実は平安時代は活動的な時代でした。これがポイントの1つ目です。実は、平安時代は活動的な時代だったのです。平安時代の男性は仕事で駆け回り、お寺や神社、野山まで馬で駆け巡ります。中下級貴族は都を遠く離れた地方の国まで行って働きます。平安時代の女性も自分の財産を持ち、家事だけでなく、お出かけしたり、宮仕えをしてキャリアを磨いたりしました。こういった男女ともに活気に満ちた姿は、現代にも通じるものがあります。

大河ドラマ「光る君へ」を見るときは、男性や女性が屋外でのような活動をしていたのかに注目したいですね。これが、「光る君へ」を見るときのポイントの1つ目でしょう。そう、最新に研究者の監修による平安貴族の描きかたが、私たちが昔からイメージしてきた平安貴族の日常を塗り替えてくれることが楽しみです。


それにもかかわらず、活気に満ちた平安時代でも、他の時代と同様に、女性には学問は必要ないとの見解が一般的でした。しかし、主人公の紫式部は、そのような状況の中で、自分自身の知性と感性、そして不屈の努力を駆使して、壮大で繊細な恋愛長編『源氏物語』を創り上げた才媛です。その紫式部の『源氏物語』創作には、藤原道長という一人の男性が欠かせませんでした。ドラマでは、紫式部が生涯を通じて心を寄せ、影響を与え合いながら人生を切り開いた、まさにパートナーとも言える存在として登場します。

この、紫式部と。紫式部はドラマでは「まひろ」という名前ですが、まひろ藤原道長の関係が、ぜったいに2つ目のポイントになりますよね。

ここで、少しだけドラマの予告をのぞいてみましょう。

大河ドラマ「光る君へ」の公式サイトには、紫式部ことまひろは「数歳年上の藤原道長とは、少女のころ知り合い、惹かれ合うも、身分差に阻まれる」とあります。おおっ。ドラマでは、若いころの2人は知り合って、惹かれあっていたのですね。

さらに、紫式部ことまひろ藤原道長は、「その心は生涯離れることのできない、ソウルメイトとしてつながっていた」ともあります。

……ん?「ソウルメイト」とはなんでしょうか。聞き慣れない言葉です。デジタル大辞泉という小学館が提供している辞書によると、「ソウルメイト」とは「相性のいい人」や「心の友」を意味します。ただ、世の中では一般に、「運命の相手」とか「特別な関係、すなわち絆がある相手」といったニュアンスで使われています。

なるほど、まひろ、、、紫式部のことですが、紫式部ことまひろと、藤原道長の「特別な絆」が物語の中心になるのでしょう。二人の間の絆という2つ目のポイントからは、毎週目が話せなそうです。


ここで、平安時代の歴史に詳しい方には、「おや? 若いころの紫式部藤原道長って出会っていたっけ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。あ、紫式部は、「光る君へ」では「まひろ」ですよ。早く慣れていきましょう。私もまだ慣れていません。

そうなんです。史実としては、2人が若かったときに出会ったかどうかについて、確実なことは言えません。ここでちょっと、「光る君へ」の時代考証を担当されている倉本一宏先生2人の若かりしころについてどう語っているのかみてみましょう。


倉本先生は『紫式部藤原道長』で次のように言っています。


「五男とはいえ摂関家の子息である道長と無官の貧乏学者の女である紫式部が幼少時に顔を合わせた可能性は、ほぼゼロといったところであろうか」


いきなりかーい!


まひろが生まれたときから住んでいた場所は、曽祖父兼輔から、雅正→為頼→為時と伝領された堤第(つつみてい)の半分の敷地だったようです。

その場所は正親町小路の南で、東京極大路の東の鴨川堤です。


道長が結婚前に住んでいたところは、東三条邸で、まひろん家からはけっこう遠いです。後に結婚する倫子が住んでいる土御門邸がまひろん家の斜向かいなので、まひろと出会うとしたら、結婚前に倫子ちゃんを口説きに行くときなんですが、、、どうなるんでしょうね。楽しみです。





















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