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伊勢大輔:「光る君へ」に出られなかった人物事典

執筆者の写真: 順大 古川順大 古川

更新日:2024年10月8日


解説:実際の伊勢大輔

小倉百人一首で有名な歌人で、『伊勢大輔集』があります。大中臣輔親の娘です。寛弘四年(1007年)に彰子に出仕し始めたと考えられるので、紫式部の一年くらい後輩にあたります。あ、紫式部は初出仕のあと半年近くサボってましたが。高階成順(たかしなのなりのぶ)と結婚しています。


残念ながら、ドラマには登場しませんでした。



寛弘四年(1007年)

彰子に出仕します。

奈良の扶公僧都(ふこうそうず)が八重桜を献上したときに、紫式部が譲ったら、道長が「ただには取り入れぬものを(何もせずにもらうはないっしょ)」とメンドイことを言い出したので、伊勢大輔は小倉百人一首に撰録されている「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」と詠います。

この歌に対して彰子は「九重に匂ふを見れば桜狩り重ねて来る春かとぞ思ふ」という歌を返します。おっ、おおせのままに彰子ちゃんも成長したね、、、と思いきや、この歌はゴーストライター紫式部の代詠でした。



【彰子サロンの人々】

伊勢大輔


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