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歴史部|フランス第二帝政とパリコミューン

10月7日
読了時間: 7分
1860年代のエトワール凱旋門。エドゥアール・バルデュス撮影。
画像:エドゥアール・バルデュス《エトワール凱旋門》(1860年代)。The Metropolitan Museum of Art, 1978.671.9.8/Public Domain(CC0)。

重要なポイント

  • フランス第二帝政(1852〜1870年)を扱った

  • ナポレオン三世の内政(ボナパルティズム)・対外政策・パリ都市改造について学習した

  • パリコミューン(1871年)の成立・施策・壊滅の経緯を確認した

  • フランス第三共和制の成立と、1875年の三つの憲法法律による制度整備で本章を締めくくった

議論されたトピック

フランス第二帝政の成立

Aさんが音読し、ルイ・ナポレオンが1851年のクーデター後、1852年に国民投票を経て皇帝ナポレオン三世として即位した経緯を確認した。

  • 詳細

    • Aさん: 2月革命後の混乱の中、ルイ・ナポレオンが大統領に就任し、クーデターで共和派・王党派を弾圧、翌年皇帝に即位した

    • うえまつ先生: この時代(1852〜1870年)は日本の幕末から明治初期と重なると補足した

    • のぶた先生: ナポレオン三世といえば徳川慶喜を連想するほど日本史と深い関わりがあると述べた

  • 結論

    • フランス史上二度目の帝制=フランス第二帝政が成立し、皇帝はナポレオン三世と呼ばれた

第二帝政の実態(ボナパルティズム)

Bさんが音読し、ナポレオン三世の政治的立場と手法を確認した。

  • 詳細

    • Bさん: 資本家と労働者・小市民の勢力均衡の中で「ヤジロベイ」的な政権運営(ボナパルティズム)を行い、労働者向けにアパート建設を行う一方、ストライキは1864年まで認めなかった

    • Bさん: 不安定さを覆い隠すため、海外戦略や派手なイベントを活用したと読み上げた

  • 結論

    • 授業では、複数勢力の均衡に立つ権威主義的な政権運営をボナパルティズムとして説明した

パリ都市改造と万博

Cさんが音読し、ナポレオン三世時代の「派手なイベント」として万博とパリ改造を確認した。

  • 詳細

    • Cさん: 1855年に、1851年のロンドンに続く第2回の世界博覧会がパリで開かれた

    • Cさん: パリ改造の中心人物はセーヌ県知事オスマン(Haussmann)であり、オスマンが統括したパリ改造では、凱旋門周辺の放射状道路や上下水道が整備された

    • うえまつ先生: フランス語では冒頭のHを発音しないため「オスマン」と読むと補足した

  • 結論

    • パリ都市改造により現在のパリの基礎が形成された

凱旋門を中心とした放射状道路のメリット(質疑)

Dさんの質問をきっかけに、なぜ凱旋門を中心に放射状に道路が整備されたのかについて議論が展開した。

  • 詳細

    • Dさん: 凱旋門を中心に放射状に道路が広がっているメリットは何かと質問した

    • うえまつ先生: フランス革命以来、狭い路地でのバリケード戦術が革命勢力に利用されてきたため、広い道路整備には革命防止の意図があったと説明した

    • Bさん: AIによると、ナポレオン三世はバリケードを作らせないため、大砲を真っすぐ打ち込めるよう直線道路を整備したとの情報を共有した

    • のぶた先生: 改造前のパリにはスラムが多く、鉄道駅を結ぶ大通りがなかったと補足した

    • Aさん: AIに問い合わせた結果を共有した

    • うえまつ先生: 放射状配置の理由については「凱旋門がどこからでも見えるようにするため」が最も穏当な説明かもしれないが、確証がないとして一旦保留とした

  • 結論

    • 授業では、治安対策や大砲の運用、記念碑への眺望などの可能性を議論したが、凱旋門を中心とする放射状配置の理由は授業内では確定せず、調査課題とした

フランスの工業化と産業革命

Eさん・Fさんが音読し、フランスの工業化の経緯と特徴を確認した。

  • 詳細

    • Eさん: ナポレオン一世の第一帝政期から七月王政期にかけて工業化が進み、鉄道建設も発展したと読み上げた

    • Fさん: 英国とは異なる、緩やかな工業化の進み方と、革命後の小農の土地所有が農村から都市への人口移動や工業化の進み方に影響したという説明を読み上げた

  • 結論

    • 農村の土地所有と工業化の関係について学んだ

フランス革命政権の経済的センスについて(質疑)

Gさんの質問をきっかけに、ジャコバン派が産業革命のスピードを意図的に緩めたのかについて議論した。

  • 詳細

    • Gさん: ロベスピエールらジャコバン派は産業革命のスピードを緩めることを意図していたのかと質問した

    • うえまつ先生: 工業化を意図して遅らせたのではなく政策の結果として生じた面だと答えた。農民への土地分配を支持基盤獲得のための「バラマキ」、1793年の最高価格令を「経済原則を無視」した政策と捉え、革命政権に「経済的センスはなかった」と批判的に評価した

  • 結論

    • 政策の意図と結果、革命政権の経済政策をどう評価するかを議論した

スエズ運河の建設労働力(質疑)

Eさんの質問をきっかけに、スエズ運河建設の労働力について議論した。

  • 詳細

    • Eさん: スエズ運河建設の労働力は誰が担ったのかと質問した

    • うえまつ先生: 建設初期にはエジプト政府によって多数の労働者が提供されたと説明した

    • のぶた先生: Wikipediaを参照し、エジプト人農民の強制労働が使われたと補足した

    • うえまつ先生: 1863年に強制労役の廃止が外交上の問題となり、その後、機械化が大きく進んだと説明した

  • 結論

    • 建設初期には、主にエジプト政府によって徴発されたエジプト人農民の強制労働が用いられた

英仏通商条約と最恵国待遇(質疑)

Hさん・Gさんの質問をきっかけに、最恵国待遇の意味とイギリスが条約を結んだ理由について議論した。

  • 詳細

    • Hさん: 最恵国待遇を相互に結んだ場合、国際関係的にどう見られるかと質問した

    • うえまつ先生: 片務的最恵国待遇(中国への不平等条約)と相互的最恵国待遇(英仏通商条約)の違いを説明した

    • Gさん: イギリスがフランスと最恵国待遇を含む通商条約を結んだ理由を質問した

    • うえまつ先生: 工業化の進んだ英国には、フランス市場の開放による輸出拡大を期待する理由があったと説明した。またクリミア戦争・アロー戦争など当時の英仏協調関係も背景にあると補足した

    • のぶた先生: 最恵国待遇自体は珍しい制度ではないとして、相互的な待遇の例に日蘭関係を挙げ、不平等条約では「片務的」な点が問題になると補足した

    • うえまつ先生: 最恵国待遇条項があると外交交渉をショートカットできるメリットもあると付け加えた

  • 結論

    • 相互的な最恵国待遇は通常の外交でも用いられ、最恵国待遇それ自体が不平等を意味するわけではない。近代東アジアの不平等条約では、その片務性が問題となった

    • 英国にとって工業製品の輸出機会を広げる条約だった

上下水道整備と感染症(質疑)

Bさんの質問をきっかけに、上下水道整備と感染症の関係を確認した。

  • 詳細

    • Bさん: 上下水道の整備が感染症対策になるのか、不衛生な場所を通ることで逆に感染しないかと質問した

    • うえまつ先生: 整備前はセーヌ川などに汚水が垂れ流され、それを飲料水として使用していたため感染症が拡大していたと説明し、上下水道整備はその抑止を目的としていると回答した

  • 結論

    • 上下水道の整備は、汚水の排除と飲料水の汚染防止を通じて感染症を減らすために進められた

パリコミューンの成立と壊滅

Iさん・Gさん・Aさんが音読し、パリコミューンの経緯を確認した。

  • 詳細

    • Iさん: 普仏戦争中に国防政府が成立し、1871年にドイツ側と休戦したこと、休戦や新政府の政策に反発したパリの市民が3月18日に蜂起し、3月28日にコミューンの成立が宣言されたという経緯を読み上げた

    • Gさん: コミューンでは公職の選出や、市民による継続的な監督・解任を政治原則として掲げ、パン職人の夜間労働禁止、従来の徴兵制の廃止などを定めたこと、画家クールベも参加したことを読み上げた

    • Aさん: ドイツ側の支援を背景に、パリへ突入したのはヴェルサイユ政府軍だったこと、5月21〜28日の「血の一週間」でパリコミューンが壊滅したことを読み上げた

  • 結論

    • コミューンは生活支援や労働者保護などの社会改革を試みたが、約2か月で壊滅した

ベルサイユ政府がドイツ軍の援護を受けた理由(質疑)

Bさんの質問をきっかけに、ドイツ軍がベルサイユ政府を援護した理由を確認した。

  • 詳細

    • Bさん: ドイツと戦おうとしていた市民側をなぜドイツ軍が援護したのかと質問した

    • うえまつ先生: ドイツ軍が援護したのはパリコミューン側ではなくベルサイユ政府側であると整理し、ドイツと休戦したベルサイユ政府を支援するのは当然であると説明した

  • 結論

    • ドイツ軍はドイツと休戦したベルサイユ政府を援護しており、講和条約を守ってくれる政府の存続がドイツにとって都合が良かったため

フランス第三共和制の成立

Bさんが音読し、第三共和制の成立を確認した。

  • 詳細

    • Bさん: 1875年の三つの憲法法律で、二院制議会と任期7年の大統領制が定められ、行政府の権限にも制約が設けられたと読み上げた

    • うえまつ先生: 第三共和制の成立年号には1870年説・1871年説・1875年説という違いがあり、1875年の憲法法律制定と成立年号の扱いについて補足した

  • 結論

    • 第三共和制の成立年号は受験問題として出題しにくいという、指導上の見解も示された

    • 第三共和制の共和政宣言は1870年、憲法法律による制度整備は1875年と区別して確認する

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