歴史部:大正期の社会運動から考える、権利・言論・流言の問題
9月29日の歴史部では、大正期の社会運動と関東大震災について学びました。労働運動、農民運動、女性運動、部落解放運動、社会主義運動を参加者が分担して発表。その後は、本文を読んで生まれた疑問を出し合い、資料を調べながら考えました。
さまざまな人びとが声を上げた時代
労働運動では、鈴木文治が1912年に組織した友愛会と、その後の日本労働総同盟への発展を取り上げました。農民運動では、小作料や耕作条件の改善を求める動きと、1922年の日本農民組合結成を確認しました。
女性運動では、平塚らいてうらの青鞜社、新婦人協会、婦人参政権を求める運動を学習。1922年の治安警察法改正によって女性の政治集会への参加は認められましたが、政治結社への加入まで認められたわけではありません。何が変わり、何が残ったのかを区別することが大切です。
また、1922年に創立された全国水平社と、差別撤廃を求める運動についても確認しました。学生や社会主義者の活動も含め、大正期の社会運動が多様な立場の人びとによって担われたことを学びました。
「メーデー」とは何か
参加者からは、メーデーの意味について質問がありました。労働者が集会や行進を通じて団結と権利の向上を訴える、国際的な運動の日です。日本では1920年に最初のメーデーが開かれました。
さらに「労資協調主義と階級闘争主義はどう違うのか」という問いから、使用者と労働者の協力を重視する考え方と、両者の利害対立を重視する考え方を整理しました。要求が通らない状況が運動の路線にどう影響するか、日本農民組合の動きとも比較しながら考えました。
研究した思想と、研究者自身の思想は同じなのか
森戸辰男の森戸事件について、「無政府主義を研究しただけで、なぜ大学を追われたのか」という質問が出ました。
授業では辞典を参照し、研究対象と研究者本人の主義主張は同じとは限らないこと、論文の発表と当時の取り締まりとの関係を考えました。学問の自由と言論への規制を考えるきっかけとなった質問です。
関東大震災と流言による被害
1923年の関東大震災では、災害そのものの被害に加え、朝鮮人に関する流言が広がり、多くの人が殺害されました。授業では「なぜ朝鮮人が襲われたのか」という質問をもとに、混乱の中で情報が広まる過程や、植民地支配と差別の背景について議論しました。
根拠のない流言と、確認された事実を混同しないことは、歴史を学ぶうえでも大切です。震災下の亀戸事件や甘粕事件、社会運動への弾圧も取り上げ、災害と政治・社会の関係を考えました。
法律ができれば、問題は解決するのか
小作調停法については、「制定された後、小作争議は減ったのか」という質問がありました。授業では資料のグラフを調べ、制定後も争議が続き、件数が増える時期があったことを確認しました。
制度が設けられたことと、現実の問題が収まったことは別です。法律の名前と制定年を覚えるだけでなく、その後に何が起きたかまで考える学習になりました。
虎ノ門事件・戒厳についての疑問
虎ノ門事件では、襲撃された当時の摂政・裕仁親王本人は無事だったことを確認しました。また、戒厳が適用された事例として、日比谷焼き討ち事件、関東大震災、二・二六事件を取り上げました。
当時の朝鮮・台湾で戒厳の制度がどう扱われたかについては、その場で結論を出さず、調査課題として残しました。
授業の最後には、勉強会と政治・社会の関係にも話が広がりました。言葉の意味を問い直し、制度の変化を調べ、分からない点は分からないまま記録する。参加者の質問によって、社会運動の学習が学問・言論の自由を考える時間へと深まりました。
次回は、普選運動と護憲三派内閣の成立を扱う予定です。
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