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歴史部:室町時代の庶民文化と地方への広がり、足利学校と仏教の変化

9月29日
読了時間: 6分

重要なポイント


・室町時代の庶民文化(連歌・お伽草紙・狂言・盆踊りなど)および文化の地方普及について学習した。

・足利学校の再興に上杉憲実がどのように関わったか、史料の限界を踏まえて議論した。

・旧仏教(天台宗・真言宗)と新仏教(浄土真宗・日蓮宗など)の勢力変遷について解説した。

・『庭訓往来』の実際の内容を検索し、手紙の文例を集めた往来物であることを確認した。

・10月5日・12日は休講し、次回は10月19日となることを確認した。

議論されたトピック


庶民文化の流行


Aさん・Bさん・Cさん・Dさんが該当箇所を音読し、連歌・お伽草紙・狂言・盆踊りなどの庶民文化を確認した。

・詳細

- Aさん:室町時代には民衆の地位向上に伴い、上層階級だけでなく広い民衆が参加する文化が生まれたと音読した。

- Bさん:連歌の発展について、二条良基による『応安新式』の制定と『菟玖波集』の撰述、宗祇による正風連歌の確立を音読した。

- Cさん:小歌・お伽草紙(『物くさ太郎』『一寸法師』『浦島太郎』など)・狂言・浄瑠璃の原型について音読した。

- Dさん:風流踊りが念仏踊りと結びつき、盆踊りとして定着した経緯を音読した。

- のぶた先生:連歌をラップバトルにたとえて補足した。『犬筑波集』の「犬」はへりくだった表現だと説明した。

・結論

- 庶民文化は階層を超えて広まり、現代にも継承されているものが多い。

- 『犬筑波集』の「犬」の表現についても確認した。

歌の家(専門家系)の存在に関する疑問


Eさんは二条良基に関連し、和歌や連歌を家業とする貴族の家系が連歌にもあったのかを質問した。

・詳細

- Eさん:和歌のように、特定の家が専門的に継承する仕組みが連歌にもあったのかを質問した。

- のぶた先生:その場では即答できないとしたうえで、中世には能力が家系で受け継がれる傾向があり、歌の家も存在したのではないかと述べた。

- うえまつ先生:六条家が中古・中世の歌道の家系であったと紹介した。祖の名は授業後の確認で藤原顕季に訂正した。

- のぶた先生:古今伝授との関連にも触れ、連歌の専門家系については引き続き調査してブログで報告するとした。

・結論

- 六条家は和歌・歌道の家系として確認できる。一方、これだけで「連歌にも同じ仕組みの家があった」とは結論できない。連歌についての詳細は継続調査となった。

文化の地方普及


Fさん・Gさん・Hさん・Eさんが該当箇所を音読し、応仁の乱後の文化の地方への広がりを確認した。

・詳細

- Fさん:応仁の乱を契機に公家・僧侶が地方の戦国大名を頼って下向し、京都文化が広がったと音読した。

- Gさん:越前朝倉氏、駿河今川氏、大内氏などの城下町が文化の拠点となり、大内氏の山口では大内版と呼ばれる出版事業も行われたと音読した。

- Hさん:桂庵玄樹が九州で儒学を講じ薩南学派を開いたこと、足利学校が上杉憲実によって再興されたことを音読した。

- Eさん:庶民層にも教育が普及し、『庭訓往来』・『御成敗式目』・『節用集』などが用いられたと音読した。

・結論

- 京都文化は地方へ広がり、文字文化も中世社会のさまざまな層に浸透していった。

足利学校の再興と上杉憲実の関与


Eさんは足利学校の所在地である下野と上杉憲実の活動・支配領域の関係を疑問として提起した。

・詳細

- Eさん:足利学校は下野にあり、小山氏・結城氏らの動向も関わる地域であるとして、なぜ憲実が再興に関与したのかを質問した。

- のぶた先生:『国史大辞典』Web版を参照し、足利荘と学校の管理に憲実が関わったという説明を紹介した。

- Eさん:手元の山内上杉氏発給文書の研究では武蔵・伊豆での活動を追える一方、下野での活動を確認しにくいと指摘した。

- Eさん:鎌倉府と足利地域の関係を調べ、さらに古い論文に「永享4年に吉則から憲実へ管理権が移った」という趣旨の記述を見つけたと報告した。

- のぶた先生:足利学校について史料で明確にたどれるのは永享11年(1439年)の憲実による再興であり、それ以前の管理権の移転経緯は今回の確認だけでは確定できないと整理した。

・結論

- 憲実による1439年の再興は確認できる。「永享4年の管理権移転」は授業中に紹介された論文の記述として残し、一次史料・論文の所在と解釈の確認を続ける。Eさんが引き続き調査する。

『庭訓往来』の内容確認


Cさんが『庭訓往来』と『御成敗式目』は同種のものかと質問し、実際の内容を検索した。

・詳細

- Cさん:『庭訓往来』は武士のルールをまとめたものなのかと質問した。

- のぶた先生:これは手紙の文例を集めた往来物だと説明し、ブラウザで実物を検索し、手紙の文例を集めた内容を概観した。

・結論

- 『庭訓往来』は実用的な手紙の文例集であり、近世にも初等教育の教材として使われた。『御成敗式目』とは性格が異なる。

公家・僧侶の地方下向と戦国大名化


Dさんが、地方へ下向した公家や僧侶の中に戦国大名になった事例があるかを質問した。

・詳細

- Dさん:下向した公家・僧侶の大名化について質問した。

- Eさん:伊勢の北畠氏、土佐の一条氏、津軽の浪岡氏などの事例を挙げた。

- のぶた先生:一条教房の系統が土佐に土着し、戦国大名化した土佐一条氏を地図で示した。伊勢の北畠氏の下向は南北朝期にさかのぼり、応仁の乱後の例とは時期が違うと補足した。

・結論

- 土佐一条氏を、応仁の乱後に公家が地方へ下向し、のちに戦国大名化した例として確認した。

新仏教の発展と旧仏教の勢力変遷


Aさん・Bさん・Cさん・Dさん・Fさんが該当箇所を音読した。旧仏教が現在も存続する一方、どのように勢力が変化したのかという質問が出た。質問者名は元要約の前文と詳細で食い違うため、ここでは特定しない。

・詳細

- Aさん:天台宗・真言宗などの旧仏教が荘園制の変化とともに勢力を相対的に弱めたと音読した。

- Bさん:禅宗の林下派が地方武士や民衆の支持を得たと音読した。

- Cさん:日蓮宗が京都の商工業者に浸透し、法華一揆が成立した後、天文法華の乱(1536年)で京都から追われたと音読した。

- Dさん:蓮如が浄土真宗の組織を発展させ、講を通じて北陸・近畿・東海に勢力を広げたと音読した。

- Fさん:加賀の一向一揆が守護を倒し、長期にわたり地域の政治に大きな力を持ったと音読した。

- 参加者:天台宗・真言宗は今も存続しているが、勢力はどう変化したのかと質問した。

- のぶた先生:鎌倉期にも旧仏教は強い影響力を保ち、鎌倉新仏教の広がりが直ちに旧仏教の消滅を意味するわけではないと説明した。近世の宗教制度にも触れた。

・結論

- 旧仏教は室町期以降、他宗派の発展の中で相対的な位置を変えたが、完全に衰退したわけではなく現在も存続している。

画像:柳江筆『老葉』「旅」の連歌写本(1533年)/The Metropolitan Museum of Art, 2015.300.241

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