日中共同声明のときに鄧小平はなぜ屈原の『楚辞』を田中角栄に贈ったの?
人によって解釈が異なり、難しい問題ですが、
たとえば、中国文学者で明治大学法学部教授の加藤徹氏は、公開している授業教材で、
「単純に考えれば、毛沢東の故郷は湖南省であり、湖南省は戦国時代の楚の一部だったので、毛沢東は自分の郷里の大先輩で日本でも知名度の高い屈原の詩集を田中角栄に贈ったのだ、と考えられる。」
とし、いくつかの異なる意見も紹介しています。
加藤徹氏のサイトで曰く、安岡正篤は、
「お前は、俺のいうことをきかないで、東方のアメリカ、或いはアジア自由諸国と合縦して、我が国に対抗しようというなれば、汝の運命は屈原であるぞ、というのかも知れない。そう解釈されても仕方ない。
或いは別にかんぐると、ソ連を秦に擬らえて、お前はソ連に乗ぜられると、屈原の様な運命になって、投水自殺をするように、身を亡ぼすことになるぞ・・・何しろ中共とソ連の関係は険悪ですから、こういう意見もおもしろい。
なににしても、一国の首相にお土産として贈るには、縁起が悪い。いろいろかんぐれば、そんな解釈もできる不愉快なもの。そんなものを、うやうやしくいただいて帰るとは何だと酷評する人もおります。まあ田中さんは、そんなことまでご承知の筈はない。」
と。
また、加藤徹氏のサイトで曰く、「新釈漢文大系」を出版している明治書院のサイトでは、
「1972年9月25日、田中角栄首相は北京を訪れ、同夜の歓迎会で挨拶をしました。その挨拶の中に「中国に多大なご迷惑をおかけした」という言葉がありました。同年9月27日に改めて会見が行われたとき、毛沢東はその「迷惑」という言葉に対応して、田中首相に「楚辞集註」を渡したといいます。田中首相は渡された意味を知ってか知らずか、そのときには本を開かず、日本に帰ってから明治書院刊の新釈漢文大系「楚辞」で調べたといわれています。そこには「迷惑」について次のように記載されていました。
忼慨して絶たんとして得ず、中瞀乱して迷惑す
(こうがいしてたたんとしてえず、ちゅうぼうらんしてめいわくす)
いきどおり慨(なげ)いて君と絶とうかと思ってもできず、心の中は暗み乱れて迷いのである。
(新釈漢文大系 第34巻「楚辞」285ページ 「八 九辦」第二段)
「迷惑」という言葉は、中国では女性のスカートにお茶をこぼして申し訳ないといったくらいの軽い意味であり、その程度の言葉では済まされないという」
だそうです。
ほかにも様々な解釈があると思いますので、ご参考までに。
個人的には「迷惑」という言葉が中国側の反発を買ったという話は歴史学分野でも有名なので、「迷惑」の出典が『楚辞』だという説がおもしろいかなという感じです。
なお、ぜんぜん違う話になりますが、田沼意次の政治を皮肉った狂歌「年号は安く永しと変われども諸式高くていまに明和九」は、明和九年と物価が高くて「迷惑」とをかけているもので、日本史のなかでは有名な「迷惑」ですね。
参考サイト:
