top of page

Q&A

公開·1名のメンバー

板垣退助遭難事件の犯人の来歴と襲撃理由は?

板垣を襲った相原尚褧(あいはらなおふみ)は、愛知県の小学校教員でした。

政治的には政府側に近い漸進主義を支持していました。

(このあたりは添付のPDFの123ページ「訊問調書」、128ページ「訊問口供抜抄」にあります。読めない人は、Wikipediaの相原尚褧のページの「性格と思想」を参照してください)


そんで、国会が開設されることが決まったにも関わらず、急進主義の自由党や板垣退助が存在するのは国家の大害であるとして、板垣退助を襲ったのだ、と添付の「公文別録・板垣退助遭害一件・明治十五年・第一巻・明治十五年」(明治15年・太政官作成・国立国会デジタルアーカイブ)の「調書」で言っています。




なお、板垣が刺されたときに言った「板垣死すとも自由は死せず」という”名言”がどのような変遷をたどったのかについては、うえまつ先生が教えてくれたアジア歴史資料センターの「板垣退助暗殺未遂事件 ~「板垣死すとも自由は死せず」の記事や、以下の表を参考にしてください。




参考資料:公文別録・板垣退助遭害一件・明治十五年・第一巻・明治十五年



参考文献は、中元崇智『板垣退助 自由民権指導者の実像』(中公新書・2020年)です。

これに書いてあったことでおもしろかったのは、「(板垣は)相原尚褧に襲撃される。右胸、左胸、左頬に加えて、右手と左手を二ヵ所ずつ、合計七ヵ所を刺されたが幸い軽傷で済んだ」という部分です。胸を含めて七ヵ所刺して軽傷って、どないやねん。

閲覧数:5
bottom of page