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日本史研究会|『万葉集』の防人歌を読む

9月24日
読了時間: 2分

今回の日本史研究会では、『万葉集』巻二十に収められた防人歌を読み、語句や文法を確認しながら、歌に表れた家族との別れを検討しました。

防人は九州沿岸の防備を担い、東国から派遣された人々の歌が『万葉集』に収められています。授業では、家族への思いと別れの切実さを伝える三首を、本文に即して読みました。

最初に扱ったのは、物部古麻呂の「我が妻も絵に描き取らむ暇もが旅行く我は見つつ偲はむ」です。Aさんとの検討では、出発までに妻の姿を絵に描き取る時間があれば、旅の途中でそれを見ながら妻を偲ぶことができるのに、という願いが表現されていることを確認しました。

続いてBさんは、「大君の命恐み磯に触り海原渡る父母を置きて」を読みました。天皇の命令に従って海を渡る防人の姿と、故郷に残す父母への思いを検討しました。

「韓衣裾に取り付き泣く子らを置きてそ来のや母なしにして」では、Bさん、Cさん、Aさんとの議論が続きました。衣の裾に取りすがって泣く子どもたちを、母もいないまま残して来たという歌です。「置きてそ来のや」の「そ」は、係助詞「ぞ」にあたる強意の表現として確認しました。

さらに、「海原」の読みをきっかけに、現代の「うなばら」と古い語形・地域差の可能性について議論しました。どの形が古いかは断定せず、『万葉集』などの用例をさらに確認する課題として残しました。

「母なしにして」が「おもなしにして」と読まれることから、「おも」と「はは」の違いも話題となりました。『古事記』『日本書紀』や木簡など、より古い資料での用例を調べる必要があることを確認しました。

授業の後半では、万葉仮名の使い分けを手がかりに、上代日本語では現代より多い母音の区別を想定する研究についても扱いました。いわゆる八母音説を含め、音価や体系の復元には複数の見解があるため、断定ではなく研究上の議論として整理しました。

次回は建武式目へ進む予定です。建武式目は1336年に定められた17条からなる室町幕府初期の基本方針であり、足利尊氏の政権と鎌倉幕府以来の武家政治との関係を検討します。

狩野探幽『三十六歌仙額 中納言家持』(1648年)/Wikimedia Commons/Public Domain

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