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歴史部通信:10月3日号

10月3日
読了時間: 3分

【10月5日~10月8日の予定:世界史】

月:4巻198p~「太平洋戦争の勃発」

火:3巻159p~「フランス第二帝政」

水:1巻216p~「ペリクレス時代」

木:2巻215p~「イスラーム世界の諸帝国」



個別授業(探究コース・テスト対策コース)の予約方法が変わりました。

①探究コース:自由研究・レポート作成・史料読解など→ストアカ

②テスト対策コース:歴史能力検定対策・受験対策・大学受験論述対策など→ストアカ

※上記のリンクからアクセスしないと割引になりませんので、ご注意ください。


【質問調査結果】

八色の姓はどうして八種類なの?

こういうのって、史料からだとよく分からないパターンが多いです。 今回も、『日本書紀』は「諸氏の族姓を改め、八色の姓を作る」という目的と八つの名称は記しますが、八という数を選んだ理由は説明していません。「八は縁起がよいから」「八卦に由来するから」などと断定する根拠も、この詔からは得られません。 後者はありそうだな、とは思いますが、ここでは不明瞭としておきましょう。


植民地朝鮮と植民地台湾に戒厳令は適用されたの?

戒厳令というのは「非常時に際して通常の行政権,司法権の停止と軍による一国の全部または一部の支配の実現を意味する非常」(世界大百科事典)で、ようするに「非常事態なので今は軍に従っとけ法」です。


戦前の日本でいう「戒厳令」は、1882年の太政官布告第36号という、戒厳の条件・手続・効果を定めた法令を指します。

さて、日本の植民地は、当時の法制上「外地」と呼ばれ、内地とは異なる法体系を持っていました。日本の領土とされていることと、内地の法律がそのまま適用されることは、同じではなかったのです。内地の法律を外地に施行する場合には、別途勅令で定める仕組みが採られました。 なので、戒厳令が植民地にも適用されたかというのは、個別に調べる必要があるのです。 台湾には、1897年に次の勅令第101号が出されました。その本文は、「明治十五年第三十六号布告戒厳令ハ之ヲ台湾ニ施行ス」です。 そして、日露戦争中に実際に発動されています。


朝鮮の場合は、1913年の勅令第283号が根拠になります。その本文は、「左ニ掲クル法律ハ之ヲ朝鮮ニ施行ス」として、陸軍刑法・海軍刑法・軍機保護法などとともに、「九 戒厳令」もあげられています。


というわけで、自動的にではなく、個別の勅令に従って植民地朝鮮と植民地台湾にも戒厳令は適用されました。


富岡製糸場はどうしてその場所が選ばれたの?

文化遺産オンラインの、旧富岡製糸場のページに「工場の場所として、江戸時代から養蚕業が盛んで優良な原料繭が確保でき、輸出地である東京・横浜から遠くなく、製糸に必要な用水が確保でき、広大な元代官屋敷地が残って取得が容易であった岩鼻県富岡町城(現富岡市)の3町余の平坦地が選ばれた。」とありました!


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