蘇我氏はどうしてあんなに強くなったのか
倭王権の政策は群臣(有力な豪族たち)による合議によって決定されていました。蘇我氏の権力基盤の一つは、群臣の会議にあったようです。蘇我氏は群臣会議をリードして多数派を形成していきました。
また、蘇我氏は自分の娘を代々の大王に嫁がせて、生まれた王子を次々に即位させて外戚の地位を得たことも、蘇我氏の権力基盤となりました。この外戚関係の構築が蘇我氏の権力基盤としては大きかったと評価されています。
次に、仏教公伝のときの崇仏論争で、蘇我氏が仏教の受容を主導して、ライバルの力を削いだたことがあります。
舒明天皇のときに仏教が公伝しましたが、物部尾輿は仏教に反対しました。
これに対して、蘇我稲目は仏教の受容を積極的に支持して、その子の蘇我馬子は物部守屋を滅ぼしました。
ほかに、蘇我氏は大王が地方においた直轄地である屯倉の管理にも関わったようです。
参考文献:佐藤長門『蘇我大臣家』(山川出版社・2016年)
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