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直接的なきっかけを挙げると、10世紀後半にさかのぼります。
ポーランドにおいて実在の確認できる最初の君主ミェシュコ(ミェシコ)1世が966年にカトリックを受容したからです。
その背景には、彼の妻(カトリック国であるベーメン〔ボヘミア〕の王女ドゥブラフカ)がカトリックであったこと、隣国の神聖ローマ帝国と対抗するためにカトリックのトップであるローマ教皇や国内の教会と友好関係を結ぶことなどがありました。
【参考】小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』ミェシコ(一世)の項目:「(922ころ~992)ポーランドの歴史上最初の君主。諸部族を統合してポーランド国家の基礎を築き、963年ごろ即位した。965年チェコ人と同盟を結び、ボヘミア公ボレスワフ一世の娘と結婚し、翌年キリスト教の洗礼を受け、ドイツ人の東方進出に対抗した。初めはドイツ皇帝に朝貢し、皇帝の命によって異民族と闘ったが、のち敵対し、皇帝オットー二世の遠征軍を撃退した。980年ドイツ人貴族の娘と再婚。その後領土を拡大し、985年にはオットー三世に忠誠を誓ったが、ドイツ人の支配を免れるため、ポーランドをローマ教皇の保護下に置いた。晩年、領土を長子のボレスワフと後妻の息子たちに分割した。」
直接的なきっかけを挙げると、10世紀後半にさかのぼります。
ポーランドにおいて実在の確認できる最初の君主ミェシュコ(ミェシコ)1世が966年にカトリックを受容したからです。
その背景には、彼の妻(カトリック国であるベーメン〔ボヘミア〕の王女ドゥブラフカ)がカトリックであったこと、隣国の神聖ローマ帝国と対抗するためにカトリックのトップであるローマ教皇や国内の教会と友好関係を結ぶことなどがありました。
【参考】小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』ミェシコ(一世)の項目:「(922ころ~992)ポーランドの歴史上最初の君主。諸部族を統合してポーランド国家の基礎を築き、963年ごろ即位した。965年チェコ人と同盟を結び、ボヘミア公ボレスワフ一世の娘と結婚し、翌年キリスト教の洗礼を受け、ドイツ人の東方進出に対抗した。初めはドイツ皇帝に朝貢し、皇帝の命によって異民族と闘ったが、のち敵対し、皇帝オットー二世の遠征軍を撃退した。980年ドイツ人貴族の娘と再婚。その後領土を拡大し、985年にはオットー三世に忠誠を誓ったが、ドイツ人の支配を免れるため、ポーランドをローマ教皇の保護下に置いた。晩年、領土を長子のボレスワフと後妻の息子たちに分割した。」