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Q&A

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カール大帝①巡察使の仕事(+カールの巡行について)

2024年5月30日(木)歴史部(世界史)での質問:「カール大帝が派遣した巡察使の仕事は?」

先週、カール大帝に関する宿題が続出したので、2つほど記事を書きます。

フランク王国のカール大帝については、青木先生の『実況中継2巻』第22回「中世ヨーロッパ史(1)」を参照。(次の記事も同様です)

『実況中継2巻』p16には「(カール大帝は)しばしば巡察使を派遣して彼ら(地方を統轄する「伯」)を監察させる」とあります。

そこで、巡察使が地方の伯を取り締まった例にどんなものがあったか?という質問をうけました。

いくつかの書籍や学術論文で調べましたが、結論をいうと、上記のような実例は見つかりませんでした。おそらく一次史料から調べないと難しいかもしれません。


その代わりに、巡察使の仕事に関する記述を引用します。出典は佐藤彰一『カール大帝――ヨーロッパ史の父』(山川出版社)です。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%B8%9D%E2%80%95%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E7%88%B6-%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%83%AA%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E4%BA%BA-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%BD%B0%E4%B8%80/dp/4634350297


「巡察使の存在が最初に記録されたのは798年のことである。この年カール(大帝)は、王国内の15歳以上の自由人男子すべてにたいして、自分への誠実忠誠を命じた。人びとは裁判集会にあわせてやってきた巡察使の面前での国王カールへの忠誠を宣言した。一人ひとりの名前が記録されて、カールのもたらされたに違いない。802年には、今度は(800年に)西ローマ皇帝となったカールへのあらためての宣誓が要求された。その結果は同じように、10月に(カール大帝の宮廷がある)アーヘンで開催された王国集会にもたらされた。」(p54)

「807年ころとされる勅令には伯の下僚であるウィカリウスが、巡察使に協力して管区内の国王からの恩給地、それ以外の恩給地も含めて調査し、その結果を書面にして、これを国王のもとに提出するよう命じている。この種の悉皆(しっかい)調査があったればこそ、国王全体の財産や国力についての客観的な観念をもつことができる」(p55)


高校世界史の教科書では「巡察使は伯を監督した」ぐらいの記述しかありません。しかし、百科事典でも、巡察使の役割は「国王の代理として大幅な権限を有し,地方官や教会聖職者の任務遂行を査察,報告し,国王にかわって住民の忠誠宣誓を受けた」(平凡社『世界大百科事典』)とあります。

いくつかの学術論文をみても、巡察使は国王のさまざまな命令を受け、地方に派遣されたようです。つまり、巡察使とは、広大なフラン王国を統治するための「国王にとっての何でも屋」といえるかもしれませんね。


なお、青木先生の『実況中継2巻』p16には「(カール大帝は)みずから手兵を率いて巡察することもありました」とあり、「カール大帝が巡行した際に、何人ぐらいの軍隊を率いたのか?」という質問を受けました。

これもいくつかの書籍や学術論文を見ましたが、カール大帝が行った巡行(巡幸)の実例はみつかりませんでした。これも一次史料から調べないと分からないかもしれませんので、参考論文を2つ紹介しておきます。

②岡地稔「中世ヨーロッパの巡行王権」には、「カール大帝(在位768-814)の巡行路」(p4)が引用されていますが、カール大帝がかなり広範囲にわたって巡行していることがわかります。


参考論文

①尾籠恭平「カール大帝の巡幸における移動経路」

http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=8089

②岡地稔「中世ヨーロッパの巡行王権」

https://www.nanzan.ac.jp/item/202211/Archeia17-3_Okachi.pdf

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テストのぶた
Jun 08, 2024

ありがとうございます!

カール大帝、ライン川を渡るの好きですね。。。

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