国際連盟の元ネタについて
かなり前にになりますが、2024年6月24日(月)歴史部(世界史)での質問:「十四カ条の平和原則にある“国際平和機構の設立”のルーツは?」
第一次世界大戦後、国際連盟は史上初の本格的な国際平和維持機構として設立されました。これは、第一次世界大戦末期の1918年にアメリカ大統領ウィルソンが発表した「十四カ条(の平和原則)」がきっかけとなって誕生しました。具体的には、第14条「国際平和機構の設立」になります。(青木先生『実況中継4巻』p11~12参照)
そこで、「史上初となる国際平和機構という発想がどこから来たのか?」という質問を受けましたが、回答にかなり苦労したので、時間がかかってしまいました。なので、本記事は長文になってしまいました。
ちなみに、残りの13カ条については、以下の通り。
①秘密外交の廃止、②公海(海洋)の自由、③関税障壁の廃止(自由貿易)、④軍備の縮小、⑤植民地問題の公正な解決、⑥ロシアの完全独立とロシアからの撤兵、⑦ベルギーの主権・領土の回復、⑧アルザス・ロレーヌのフランスへの返還、⑨イタリア国境の再調整、⑩オーストリア=ハンガリー帝国内の諸民族の自治、⑪バルカン諸国の独立、⑫オスマン帝国内の諸民族の自治、⑬ポーランドの独立
アメリカ国内のみならず、国外(とくにヨーロッパ)の動きもさまざまあるのですが、長くなってしまうので、アメリカ国内に限定して重要ポイントを整理すると、時系列的に(1)アメリカ女性平和党の平和構想、(2)平和強制連盟の綱領、(3)ウィルソンの対応という3つにまとめられます。
なお、主な典拠は篠原初枝『国際連盟――世界平和の夢と挫折』(中央公論新社)第1章「国際連盟の発足――四二の原加盟国」と、『世界歴史大系 アメリカ史2―1877年~1992年―』(山川出版社)第2章「革新主義改革と対外進出」になります。
(1)アメリカ女性平和党の平和構想
1914年に第一次世界大戦が勃発した当時、平和運動関連の民間団体が欧米には130ほど存在し、60余りがアメリカにあったと言われています。
そのなかで、アメリカ合衆国では女性平和党という団体が翌15年に結成されました。
1915年1月10日に開かれた創設会議には3000人もの人々が集まり、「建設的平和」と題されたプログラムが発表されました。
具体的には、以下の項目が主張されました。
①即時休戦、②軍縮および産業国有化のための国際協定の締結、③戦争の経済的原因の除去(経済障壁の撤廃)、④外交の民主化、⑤民族自決、⑥仲裁制度、⑦公海の自由、⑧勢力均衡に代わる「国家協力組織」
第2項~第5項と第7項、そして最後の第8項は、十四カ条の平和原則と共通します。(第4項は秘密外交の廃止に相当)
大戦勃発の翌年の段階で、すでに「国家協力組織」の構想が出てきていました。
(2)平和強制連盟の綱領
1915年6月に結成された「平和強制連盟(平和強制連盟協会)」(League to Enforce Peace)は、ウィリアム・ハワード・タフト元大統領やハーヴァード大学学長アボット・ローレンス・ローウェルなどの有力者がメンバーであったため、その影響力も強く大規模な活動を展開しました。
この平和強制連盟も18年に綱領を採択し、戦争を二度と起こさないため諸国は連盟を形成するべきだと宣言しました。具体的には、以下の項目(第5項)が示されています。
「各国代表から組織される執行組織を創設する。諸国はその責任と義務に比して連盟の組織に代表を送る。武力による攻撃は、経済的、軍事的な力で阻止されるべきである。条約の内容は公開されるべきである。」
この議論の過程で、組織の名称として「国際連盟」(League of Nations)という名前もすでに使われていました。
(3)ウィルソンの対応
当時のウィルソン大統領は、これら平和団体の主張に耳をかたむけたそうです。(選挙目的もあるだろうけど)
大戦中の1916年は、アメリカ大統領選挙の年でした。そこで、16年5月、再選をめざすウィルソンは、公海の自由を維持し、戦争を阻止し、諸国の領土保全と政治的独立を保証する普遍的な諸国の連合=「平和強制のための国際連盟」の結成を説き、大統領選に勝利しました。
さらに、アメリカが大戦に参戦する約3カ月前の17年1月、ウィルソンは上院で「勝利なき平和」とよばれる演説を行いました。そこで、彼は国際平和機構の設立、公海の自由、軍縮などの主張をくり返しました。
参戦後の1918年1月、ウィルソン大統領が議会で発表したのが「十四カ条の平和原則」になります。今まで見てきたように、「国際平和機構の設立」などの項目は、突発的に出てきたわけではないことが分かります。
