なんで沖縄・小笠原だけアメリカの直接統治下に置かれたのか
【参考文献】
日本占領史1945-1952 - 東京・ワシントン・沖縄 (福永文夫・中公新書 2296) →https://amzn.to/3Uou7mS
「一九四五年八月一四日夜、トルーマン大統領はホワイトハウスで、日本が正式にポツダム宣言を受諾したと勝利宣言を行い、連合国最高司令官にマッカーサーを任命すると発表した。トルーマンはまた、対日戦におけるアメリカの圧倒的役割を背景に、スターリンによるソ連極東軍司令官をマッカーサーと並ぶ最高司令官に就けるという要求、および北海道の北半分を占領する準備があるという申し入れを拒否した。」
←早くも原爆なんかでのアドバンテージを理由に分割統治を拒否っていますね。拒否ったのはトルーマンです。
「アメリカ政府はもともと交戦中の直接軍政を前提に、日本進駐を考えていた。マニラでマッカーサー司令部が八月八日までに作成したブラックリスト作戦もこの線に沿ったものだった。しかし、ポツダム宣言では日本政府を通じての間接統治を謳っていた。SWNCCは八月一一日から急遽直接軍政を間接統治にあらためる修正案を作成、八月三一日にようやく会議で承認される(大統領は九月六日承認)。」
←間接統治を前提として一部直接統治というよりも、全土直接統治が理想!?からの妥協か?
おもしろ
「他方で、マッカーサーが東京に進駐した前後から、日本本土を占領するために米軍部隊が各地に進駐を開始する。アイケルバーガー中将率いる第八軍が東日本に、クルーガー大将率いる第六軍が西日本に、そして英連邦軍が中国・四国地方にそれぞれ進駐した。一二月初めには、四三万の占領軍が本土各地に配置されていた。」
←英連邦も進駐してきたんですね。
ここからが本番。
「日本の敗戦により沖縄の占領目的が曖昧になり、ワシントンでも沖縄の処遇が定まっていなかった」
←当たり前ですが、戦争中の占領目的は、アメリカの安全保障でも東アジア戦略でもなく、日本本土を攻撃するための橋頭堡であったことが分かります。
「陸軍省は、一九四五年一〇月末に沖縄をアリューシャン(アレウト)列島、パナマ、ハワイ、マリアナ諸島、そしてフィリピンとともにアメリカの安全保障にとってもっとも重要な戦略拠点の一つとして位置づけ、アメリカの排他的戦略統治下に置くか、少なくとも国連の信託統治下に置くよう主張していた。」
←うえまつ先生に教えていただいたような、東アジアにおける沖縄の地理的位置の重要性という理由は、アメリカ陸軍が主張したもののようです。ただき、時期は45年10月なので、沖縄戦当初からの目的でない点は先程の同様ですね。
「国務省は沖縄をポツダム宣言における旧日本領の「諸小島」とみなし、「非軍事化」して日本に返還すべきと主張していた。国務省は、沖縄の領有は「大西洋憲章」の領土不拡大の原則に反し、アメリカの財政負担を増し、対ソ関係を損なうと考えていた。」
←アメリカ国務省は反対の立場です。は直接統治とは、言ってしまえば領有のようでもあるので、沖縄の直接統治はソ連が北方領土を占領しているのと同等となると考えるわけです。そういった観点を採用して日本側の視点から見れば、「(同じ状況だったのに)アメリカは沖縄を返還したのに、ソ連(ロシア)は返還しやがらない」となるのでしょうか。
最後がすごい!
「アメリカの沖縄政策は、陸軍・国務両省の対立を受け、一九四六年一一月に当面「何もしない」と棚上げされる。この結果、沖縄の現地米軍は、本国政府から明確な統治方針や予算を得られないまま、統治に臨むことになり、その政策は計画性を欠いた、きわめて「場当たり的」なものとなっていった。」
←はぁ!? なりゆき?? なりゆきかよ!!
というわけで、アメリカは明確な目的意識がないままに沖縄の直接統治を始めちゃったということになりました。
小笠原については書かれていませんでした。
また、今度
