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Q&A

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社会革命党のその後は?

社会革命党はロシア革命後にどのような行動をとっているのか教えてください。「右派と左派は合流したのか」現在の状態を教えてください。

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まず、「社会革命党右派」について。

1917年の二月革命後、党主流であった右派はメンシェビキと結んで臨時政府を支持し、戦争支持の立場をとりました。しかし、十月革命で政権を奪ったボリシェヴィキによって、1922年に強制的に解散させられました。


一方、「社会革命党左派」は、右派による臨時政府の支持を批判し、ボリシェヴィキの十月革命を支持する立場を取りました(その結果、党中央より除名された人々が「左派エス・エル党」を結成するが、細かいので割愛)。彼らはボリシェヴィキの要求に応じ、1917年12月には内閣に大臣も輩出しました(農業大臣など)。こうしたなか、左派は憲法制定会議の解散にも同意しました。

しかし、ボリシェヴィキ政権がドイツと講和条約(ブレスト=リトフスク条約)を結んで大戦から離脱しようとすると、左派の主流が革命戦争論の立場から条約調印を批判し、条約締結後には閣僚を引き上げて下野しました。さらに、ボリシェヴィキ政権が食糧問題の深刻化に対して戦時共産主義を打ち出すと、これに反発して勢力が1918年7月6日に反乱を起こしました(このとき、ドイツ大使を殺害し、電信局を占拠した武装部隊が自派の主張を各国に打電してアピールした)。しかし、翌朝からこの反乱は鎮圧作戦によってつぶされ、開催中であった全ロシア・ソビエト大会にて党自体も非合法化され、1920年代には壊滅状態になりました。

その後に地下活動を行っていた党員、国外に亡命して活動を続けた党員もいたようですが、ロシア革命期にかけて社会革命党は事実上消滅したと言ってよいでしょう。

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