関ヶ原の戦いで南宮山あたりにいた西軍の毛利秀元、安国寺恵瓊、長宗我部盛親、長束正家は東軍を攻撃しなかったのですか?
笠谷和比古『関ヶ原合戦と大阪の陣』(吉川弘文館・2007年)によると、
毛利隊の先鋒武将の吉川広家と福原広俊が、家康に内通して毛利隊の出撃を抑え込んでいた。そのため、「南宮山の毛利隊はついに参戦の機会をうしなった。長宗我部、安国寺、長束の諸隊もまた、これに引きずられる形で、空しく戦いを傍観するのみであった。西軍の敗北が明らかとなるや、長宗我部、長束隊は伊勢方面に走り、毛利隊は近江に向かって退」きました。
というわけで、まーったく攻撃してねえ、です。そして、その鍵は吉川広家と福原広俊の裏切りにありました。
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