top of page

Q&A

公開·1名のメンバー

日本史における「小中華」

歴史部のときに、私が「古代と近世に、それぞれ小中華意識があって、それぞれに研究史がある」的なことを言いました。

この件について、改めて紹介していきます。


大前提、その1:中華思想

古代中国に生まれた、「自己(※漢民族の国家:のぶた)の文化が最高で天下の中心に位置するとみて、それと異なる周辺の文化を蔑視 (べっし) する考え方」(日本大百科全書)で、「華夷思想」とも言います。

中華思想では、この天下の中心のことを「中華」とか「中国」と呼びます。


大前提、その2:小中華思想

『世界大百科事典』によると、小中華思想とは、17世紀前期に漢民族国家の明が満州民族の清に滅ぼされて、漢民族が満州民族の支配下に入った事態を前提として、「朝鮮の儒者たちが,朝鮮を中国と文化的同質性をもった〈小中華〉と自負し,他を夷狄視した思想」(世界大百科事典)のことです。


日本で上の小中華思想に近いことを言ったのは、江戸時代の儒者(古学派)の山鹿素行です。

山鹿素行は、著書『中朝事実』で、漢民族が満州民族に支配されていたり、日本の天皇が長期間続いて王朝交代が起こっていないことなどから、「日本を中朝・中華・中国と称して」「日本が大唐や朝鮮より優秀である」(国史大辞典)と主張しました。



では、現在的視点からの研究状況です。(参考:『論点・日本史学』)


【古代】

古代史研究では、日本の「古代国家は「東夷の小帝国」として、朝鮮諸国を指す「諸蕃」や蝦夷・隼人などの列島内の諸種族である「夷狄」に君臨しようとした」(『日本史の現在2 古代』)という「東夷の小帝国」論を石母田正が提唱しました。ここでいう「帝国」とは、日本は中国中心の世界秩序からは自立した別の秩序の中心であり、周辺の諸集団(朝鮮諸国・蝦夷等)を蕃国・夷狄として従える帝国であったという意味です。

使用している言葉は異なっても、先述の「小中華」とほぼ同じ概念にみえます。


その後、石母田氏が根拠とした歴史的実態に疑問が投げかけられ、日本は観念的に「帝国主義」的拡張を目指したという石上英一説へと展開しました。

実体を伴うか否かにかかわらず、日本が自らを夷狄を従える「帝国」と認識したというのなら、「東夷の小帝国」認識の内実はほぼ「小中華思想」と変わらないようにみえます


【近世】

江戸時代の対外関係を、国を閉ざしていたという意味の「鎖国」ととらえる見方は、現在ではなされていません。


現在議論の中心にあるのは「海禁・日本型華夷秩序」論です。

「海禁」とは、国家が外交を独占して、人々の海外渡航や貿易を制限したという実態を示す言葉です。

これに対して、「日本型華夷秩序」とは、実態面には疑問があるものの、自意識面においては、江戸幕府は日本を「中華になぞらえた独善的な日本中心の外交秩序と国家意識(日本型華夷意識)を形成した」(『将軍権力の確立』)というもので、日本型華夷意識とは「日本を中華とし朝鮮・琉球・オランダを異国、アイヌを「夷」とする日本型華夷秩序が作り上げられ」(『戦国乱世から太平の世へ』)たと認識していること指します。なお、朝鮮は日本よりも一等下とみなされて、中国(明・清)とは外交関係をもたずに、中国を「通商の国」とします。中国との上下関係は、あえて棚上げにしていると言っていいでしょう。



以上をふまえたうえで、私見を述べさせていただきます。

古代日本の「東夷の小帝国」認識にしろ、近世日本の「日本型華夷秩序」認識にしろ、中国との上下関係や同格関係についての温度差があったとしても、結局は世界史的にみた小中華思想そのものか、小中華思想の亜流にみえました。

もし、うえまつ先生から、世界史的な定義からのご意見をいただければ嬉しいです。



参考文献:

杣田善雄『将軍権力の確立 日本近世の歴史2』(吉川弘文館・2012年)

大津透編『日本史の現在2 古代』山川出版社・2024年

藤井譲治『戦国乱世から太平の世へ シリーズ日本近世史1』(岩波新書・2015年)

岩城卓ニほか編『論点・日本史学』(ミネルヴァ書房・2022年)



閲覧数:4
bottom of page