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Q&A

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日本史研究会(高校生)スレ

後三条天皇が白河天皇に譲位してから、白河天皇の代始めの改元まで1年8ヶ月も間がある理由。


推測も含みますが、以下のように考えられます。

まず、

後三条天皇の譲位と白河天皇の践祚は、延久4年12月8日です。この譲位は後三条天皇が病だったからとも言われています。

白河天皇の即位は、延久4年12月29日です。

当時は、「踰年改元(ゆねんかいげん)」(即位後に、年を越してから開眼すること)なので、延久5年のどこかで改元できるはずです。、、、が。

病がいよいよあつくなってきた後三条太上天皇は、延久5年4月に落飾します。そんで、延久5年5月7日に崩御します。ここまでの経過を見てくると、改元のタイミングを測っていたけど、後三条太上天皇がずっと病で朝廷がバタバタしていたら、改元のタイミングを見つけられないまま後三条太上天皇が崩御した様子が想像できます。


後三条太上天皇が崩御してから、1年は経過した承保元年(延久5年の翌年)8月23日に改元しているのは、服喪の一年間は改元を憚ったのだと推測できます。

天皇が即位した年の冬(7月以降に即位した場合は翌年の冬)に行われる大嘗祭も延久5年の冬には行われていないことが、こうした朝廷の雰囲気を推測させます。




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