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Q&A

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小作料はどのくらい納めていたの?

江戸時代についてみてみたところ、

「小作人にとっての小作料は地主と領主によって収奪される小作年貢という意味になり、領主・地主・小作人の三者による分配はおおむね三分の一ずつであった」(国史大辞典)

とありました。

小作料は3分の2だったというわけです。


越谷市のサイトにあった、天保年間の実例を見てみても、収穫量の半分~3分の2程度を納めていたようです。


五公五民の時代はどうだったかは、見つけたら追記します。


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