カール大帝②“帝冠”について
2024年5月30日(木)歴史部(世界史)での質問:「カール大帝が戴冠された“冠”はその後どうなった?」
青木先生の『実況中継2巻』p17には「800年、カールは西ローマ皇帝として戴冠されました」とあり、いわゆる「カールの戴冠」についての説明がみえます。
そこで、カールが戴冠した「冠」はその後どうなった?という質問を受けましたが、これも難問ですねぇ~
結論を言うと、全く分かりませんでした。
カール大帝の後継者はルートウィヒ1世と言うのですが、816 年に彼も教皇イシュトヴァーン4世からローマ皇帝の冠を授けられます。(「ルートウィヒ」はドイツ語。フランス語では「ルイ」。あだ名は「敬虔王」)
そこで、教皇イシュトヴァーン4世のドイツ語版ウィキペディアをみると、
「ルイ敬虔王(ルートウィヒ1世)を通じて、フランク王は初めて皇帝に油そそがれ、コンスタンティヌスの王冠とされる冠を戴き、同時にフランク帝国を古代西ローマの伝統の中に位置づけた」とあります。
ここに見える「コンスタンティヌス」とは4世紀前半のローマ皇帝です(青木先生の『実況中継1巻』第7回を参照)。
https://de.wikipedia.org/wiki/Stephan_IV._(Papst)
つまり、次代のルートウィヒ1世の段階で、カール大帝の帝冠は用いられなかった可能性があります。それがなぜなのかは不明ですが、カールの戴冠では「ローマ皇帝が復活したこと」が重要なのであって、帝冠自体はそれほど重要視されていなかったのかもしれません。
これとは対照的に、帝冠がレガリア(regalia)として受け継がれていったのが、10世紀に建国される神聖ローマ帝国(『実況中継2巻』p23で登場)です。神聖ローマ皇帝冠は、現在オーストリアのウィーンに保管されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D%E5%86%A0
なお、カールの戴冠時と同じかは分かりませんが、カール大帝の皇帝金印に描かれている冠の名前は「百合冠」と言うそうです。この冠の様式は、のちの時代にも継承されます。
参考論文:
田中圭子「中世の支配者図像における冠――カロリング朝およびザクセン朝の国王・皇帝図より」(p99参照)
https://geitan.repo.nii.ac.jp/record/1374/files/46%2847-55%29.pdf

ありがとうございます!