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伊能忠敬って?

伊能忠敬が55歳から測量をやっていたことは知っているんですが、55歳になる前までは何をしていたんですか?

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順大 古川
順大 古川
Apr 25, 2024

伊能忠敬の人生は、わりかしはっきりと分かっています。


1745年、上総国(今の千葉県)に生まれました。父親は神保貞恒です。

18歳のときに伊能家の婿養子となって、伊能忠敬と名乗るようになりました。

伊能家は落ちぶれた豪農でしたが、忠敬ががんばって伊能家を復興させました。

また、名主にもなって村を救い、幕府から苗字帯刀を許されました

そうとうに優秀だったことがうかがえます。


49歳のときに隠居して、江戸に出ました。

そして、当時の最強の天文学者高橋至時に弟子入しました。

高橋至時は高校の教科書にも出てくる(つまり大学受験で出題される)学者で、ちょうど幕府の天文方となって寛政暦を作り始めるころでした。

こうして忠敬は、19歳年下の高橋至時のもとで天文・測量を学んで、幕府の許可を得て全国の測量を開始したのです。


なお、測量が完了した後、忠敬は『大日本沿海輿地全図』という素晴らしい地図を作成するのですが、地図の完成を前にして、1818年に74歳で亡くなります。

地図作成事業は高橋至時の子の高橋景保が引き継いで、『大日本沿海輿地全図』はついに完成にいたりました。

なお、高橋景保も高校の教科書に出てくる天文方・測量御用で、1811年に蛮書和解御用という洋書の翻訳・研究機関を創設しました。

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