京都所司代とその淵源
江戸時代の京都所司代は、板倉勝重に始まります。
『日本史広辞典』(1997年)によると、京都所司代の淵源は室町幕府の侍所所司代にあるそうです。あ~、室町幕府の侍所は京都の治安維持が仕事でしたからねえ。大学受験では侍所の長官は「所司」と習いますので、その関係でしょうか。機会があったら調べておきます。

『日本史広辞典』は1997年刊行なので、京都所司代の淵源を「天下所司代」とした谷口克広氏の研究は、それよりも新しい研究ということになるのでしょうかねえ。調べないと…
なお、谷口克広『信長の天下所司代 筆頭吏僚村井貞勝 (中公新書)』は2009年です。
2013年刊行の『徳川歴代将軍事典』(吉川弘文館)の「板倉勝重」と「京都所司代」の項目の参考文献に谷口克広氏のものがないのが気になる所です。谷口氏は在野の人ということでしたが、ちょっとポジションを確認する必要があるかもしれません。
また、なんか見つかったら追記したりします。


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谷口氏の著書から、信長の「天下所司代」の説明を引用しておきます。
谷口氏は専門の研究家でないことと、専門の研究家は「京都所司代」とか「京都奉行」とかよんでいることには注意しておいたほうがよさそうです。
以下引用
一五七三年、信長は将軍足利義昭を追放した。そして、幕府機構の消滅した京都に「天下所司代」という役職を置いた。「天下」は「京都」のことであり、「京都所司代」とも呼ばれている。その「天下所司代」にされた家臣こそ、筆頭吏僚の村井貞勝だったのである。
(谷口克広. 信長の天下所司代 筆頭吏僚村井貞勝 (中公新書) (pp.3-4). 中央公論新社. Kindle 版.)
「天下所司代」について 「所司代」というのは、もともとは室町幕府の職名である。京都の中の治安警察の仕事に携わる役所が侍所でその長官を所司といった。その代官がすなわち「所司代」なのである。幕府の諸職の中でも、それほど高い位ではない。 室町幕府が比較的安定していた時代は、この職も代々続いていたが、応仁の乱(一四六七~七七年)以後は、誰がその任務に就いていたのか明確でない。おそらく廃絶してしまったのだろう。 百年近くもたってから、「所司代」が復活したわけだが、もちろん本来の侍所所司代とはかなり違う。侍所の任務は、検断沙汰といって、刑事事件の検挙、断罪に限られていた。そのほかの事件に関しては、政所が処理していた。 ところが、信長が貞勝に託した権限に関して、『信長公記』には次の言葉で示されている。
「天下所司代村井長門守(実はまだ民部少輔)仰付けられ、在洛候て、天下諸色申付けられ候なり」 貞勝が委ねられたのは、「天下諸色」なのである。 ここで言う「天下」とは、「京都」のことである。京都の「諸色」だから、検断沙汰にとどまらないことはもちろんである。これから貞勝の活躍ぶりを見てゆくが、京都の治安警察はもちろん、道路など社会資本の整備、土地・権益などをめぐる訴訟、それになんといっても禁裏・公家に関する諸問題がある。室町幕府の侍所所司代などとは、仕事の煩雑さは比較にならない。 貞勝が先鞭をつけた新しい「所司代」の役割は、彼の後、豊臣政権の前田玄以に引き継がれるし、さらに江戸時代には、恒常的役職となって定着するのである。
(谷口克広. 信長の天下所司代 筆頭吏僚村井貞勝 (中公新書) (pp.53-54). 中央公論新社. Kindle 版.)