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倭の五王が片付いたらがんばります。
よっしゃ、人物叢書の『上杉憲実』https://amzn.to/4c38YVS
を読み終わった!
結論からいうと、
上杉憲実の任国統治については、ほぼ書いていなかったです。
なんでかっていうと、
応仁の乱より前の時期の東国守護や関東管領って、原則としては鎌倉在住なんですよ。そして、任国には代理人を送って統治させてるんです。守護が在京/在鎌倉というのは、鎌倉時代から室町時代まで、全国的な原則です(大内・今川とか一部例外あり)。
上杉憲実も9歳で鎌倉入りして10歳で守護や関東管領となってから引退するまで、任国統治にはほぼ直接関わっていません。そのため、上杉憲実の事跡はどうしても、上野国などの守護として何をしたかではなく、関東管領として鎌倉府のために何をしたかが中心となります。
室町幕府側から見た憲実の評価は
「凡安房守、都鄙事一大事ト存スル者也」(『満済准后日記』永享四年三月二十九日条)
すなわち、「憲実(安房守)は京都と鎌倉の関係を最も大事に思っているヤツだ」というものでした。
じゃあ、関東管領としての上杉憲実はというと、
「京都の将軍・足利義教と対立している鎌倉公方・足利持氏の下で、将軍と鎌倉公方の間を取り持とうとして頑張り続けた。しかし、足利持氏がついに反乱を起こしたので、足利義教と上杉憲実が協力して足利持氏の反乱を鎮圧した。」
というものになります。
なお、上杉憲実の任国統治を僅かなりともうかがわせるものとしては、『鎌倉大草紙』の
「(憲実は)礼法をたっとみ、民を撫で、政道を専とし、諸士をあわれみ、絶えたるをつぎ、すたれたるをおこし、政道ただしくして人のなげきもなかりけり」というものがあります。
ここからさらに踏み込んで、各任国で具体的になにがあったのかを調べるなら、群馬県(上野国)、東京都(武蔵国)、静岡県(伊豆国)などの各県市にあたっていくのがいいと思います。
そういえば、足利学校では何を教えていたのかということについても、本に書いてあったので、改めて投稿します。
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結論からいうと、
上杉憲実の任国統治については、ほぼ書いていなかったです。
なんでかっていうと、
応仁の乱より前の時期の東国守護や関東管領って、原則としては鎌倉在住なんですよ。そして、任国には代理人を送って統治させてるんです。守護が在京/在鎌倉というのは、鎌倉時代から室町時代まで、全国的な原則です(大内・今川とか一部例外あり)。
上杉憲実も9歳で鎌倉入りして10歳で守護や関東管領となってから引退するまで、任国統治にはほぼ直接関わっていません。そのため、上杉憲実の事跡はどうしても、上野国などの守護として何をしたかではなく、関東管領として鎌倉府のために何をしたかが中心となります。
室町幕府側から見た憲実の評価は
「凡安房守、都鄙事一大事ト存スル者也」(『満済准后日記』永享四年三月二十九日条)
すなわち、「憲実(安房守)は京都と鎌倉の関係を最も大事に思っているヤツだ」というものでした。
じゃあ、関東管領としての上杉憲実はというと、
「京都の将軍・足利義教と対立している鎌倉公方・足利持氏の下で、将軍と鎌倉公方の間を取り持とうとして頑張り続けた。しかし、足利持氏がついに反乱を起こしたので、足利義教と上杉憲実が協力して足利持氏の反乱を鎮圧した。」
というものになります。
なお、上杉憲実の任国統治を僅かなりともうかがわせるものとしては、『鎌倉大草紙』の
「(憲実は)礼法をたっとみ、民を撫で、政道を専とし、諸士をあわれみ、絶えたるをつぎ、すたれたるをおこし、政道ただしくして人のなげきもなかりけり」というものがあります。
ここからさらに踏み込んで、各任国で具体的になにがあったのかを調べるなら、群馬県(上野国)、東京都(武蔵国)、静岡県(伊豆国)などの各県市にあたっていくのがいいと思います。
そういえば、足利学校では何を教えていたのかということについても、本に書いてあったので、改めて投稿します。