【のぶた宿題】倭の五王が南朝に朝貢した件
最初に謝っておきます。
歴史部では「新羅と高句麗は北朝(北魏)に朝貢した記憶が」と言いましたが、高句麗も南朝(東晋など)に朝貢していました。新羅はまだ見つけきれていません。
【以下、参考文献『対外交流史(新体系日本史5)』】図は拾いもの

上の図に書き込みました。
まず、417年に高句麗と倭国が南朝(東晋)に朝貢しています。
倭国から見たタイミングとしては、391年~404年に好太王に敗北(上の図の①)したあとです。
高句麗を見たら、好太王が領土を広げ、倭国軍を追い払うなどした(①)状況を背景に、隣国北魏の背後にいる東晋に朝貢したわけです。そして、高句麗は都を北の丸都から南の平壌に遷すなど、南下を強めています。
まさに、高句麗の南下に対抗するために、倭国王が朝貢していることが分かります(ただ、北朝じゃなくて南朝じゃなくてはならなかった理由はこれだけでは分かりません。高句麗の場合は隣国北魏の背後を脅かす東晋に朝貢したというのはわかりやすいのですが)。
なお、475年には南下する高句麗に都・漢城を落とされた百済が、都を南の熊津に遷すはめになっています。5世紀における高句麗の南下が相当に強烈だったことが分かります。倭国王があせるわけです。

まず、
岩城卓二等編『論点・日本史学』(ミネルヴァ書房・2022年)
村井章介等編『対外交流史(新体系日本史5)』(山川出版社・2021年)
の2冊で調べたのですが、倭国が北朝ではなくて南朝を選んだ理由は分かりませんでした。
次は、以下の4冊を見てみようと思っています。
続報をお待ち下さい。
藤間生大『倭の五王』(岩波新書・1968年)→https://amzn.to/43Wn0FT
森公章『倭の五王:5世紀の東アジアと倭王群像(日本史リブレット人)』(山川出版社・2010年)→https://amzn.to/3xzhX22
河内春人『倭の五王:王位継承と五世紀の東アジア』(中央公論社・2018年)→https://amzn.to/3JiUvZh
河上真由子『古代日中関係史:倭の五王から遣唐使以降まで』(中央公論社・2019年)→https://amzn.to/3JqCyrH

まず、参考文献を利用して、各国の朝貢一覧を作成します。真偽が疑われている朝貢記事もあるのですが、ここではすべて挙げておきます。倭国の朝貢はすべてあると思いますが、朝鮮諸国の朝貢記事はすべてあるわけではないです。
(4世紀、百済と高句麗が争う)
372年:百済、東晋に入貢
379年:百済、東晋に入貢
384年:百済、東晋に遣使(⇢386年冊封)
(北魏建国(386年))
386年:百済、東晋に入貢
(396~404年:倭国、高句麗と戦い、敗北)
406年:百済、東晋に入貢
413年:高句麗・倭国が東晋に入貢(高句麗は70年ぶりの朝貢・倭国は150年ぶり)
(東晋、滅亡(420年)⇢宋、興起)
420年:宋、高句麗王・百済王を大将軍に進号す
421年:倭讃、宋に入貢
420年:百済、宋に入貢
(このころから宋が落ち目に)
425年:倭王讃、司馬曹達を遣わして、宋に入貢
430年:倭国王、宋に入貢
438年:倭王珍、宋に入貢
(北魏が華北を統一(439年))
439年:高句麗、宋に大量の馬を贈る(北魏に対抗させるためか)
440年:百済、宋に入貢(10年ぶり)
443年:倭王済、宋に入貢
(450年:北魏が宋に侵攻⇢宋、ピンチ)
451年:倭王済、宋に入貢
(455年:高句麗が百済に侵攻)
460年:倭国、宋に入貢
461年:高句麗、北魏と宋に入貢
462年:倭王興、宋に入貢
463年:高句麗王、宋から開府儀同三司に除正さる
465年:高句麗、宋に入貢?北魏に入貢?
467年:高句麗、北魏に2回と宋に入貢
467年:百済、宋に入貢
(468年:新羅、高句麗に対して防備を固める)
468年:高句麗、北魏に入貢
(469年:北魏、朝鮮半島から見て大陸への入り口にあたる山東半島を宋から奪取)
469年:高句麗、北魏に入貢
470年:高句麗、北魏と宋に入貢
471年:百済、北魏に入貢?
472年:高句麗、北魏2回と宋に入貢
472年:百済王、初めて北魏に入貢(←北魏とすでに通交を結んでいた高句麗に対抗)
473年:高句麗、北魏に2回入貢
474年::高句麗、北魏に2回入貢
(475年:百済、高句麗の攻撃により滅亡の危機に⇢南方の熊津に遷都)
477年:倭国、宋に入貢
478年:倭王武、宋に入貢
(479年:宋、滅亡)
479年:倭王武、南斉から鎮東大将軍に進号される
479年:加羅国、南斉に入貢
495年:百済王、南斉に入貢
502年:梁、高句麗王・百済王・倭王武を将軍に進号す
以上、北魏が強くなると、北魏に近い高句麗が北魏に近づくようになります。
その後、山東半島が北魏に取られるような情勢にまでいたると、百済も北魏に近づくようになります。
ただ、高句麗も百済も、南朝との関係を完全に断ち切るようなことはしていません。
倭国は一貫して南朝に入貢し続けています。