明治時代の参議は必ず省の長官を兼任するの?
まずは、『国史大辞典』から参議の説明をば。
「明治前期の太政官制のもとにおける政府の重要官職。
……内閣を構成して国の政策の審議にあたる参議の職務が明確となった。参議に任ぜられたのは、おおむね雄藩出身の実力者たちで、彼らが、事実上、国の政策決定の中枢であった。
その地位は諸省の長官(卿)の上位にあったが、六年十月征韓論をめぐる政変後の人事異動に際して、参議が卿を兼ねる慣行がつくられた。
その後、十三年二月原則として参議・卿の兼任を止め、参議は国務の審議に専念することとなった……。
そして、明治十四年の政変の後の同年十月、参議・卿の兼任が復活した。
明治十八年十二月二十二日太政官制が廃止され内閣制度が創設されて、参議は廃官となった(太政官達第六九号)。」
ということなので、明治13年(1880年)2月から明治14年(1881年)10月までは、兼任していないです。
なお、兼任する慣行がある期間でも、必ずしも兼任しているとは限りません。
大隈重信を例にとると、大隈は明治6年(1873年)5月2日から明治14年(1881年)10月12日まで参議の職にあります。しかし、その間大隈が卿などを兼任している期間は、大蔵卿に就任していた明治6年(1873年)10月25日から明治13年2月28日のみです。残りの期間は参議のみをやっていたことになります。
明治14年(1881年)以降の期間をみても、福岡孝弟なんかが参議のみの時期が長いです。
参考文献『近代史必携』吉川弘文館
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憲法調査のために渡欧した伊藤博文も、帰国してから宮内卿に就任するまでは、しばらく参議のみで兼任してませんでした。