江戸時代の長崎:オランダ・清との関係
基本参考文献は、松井洋子「江戸時代の日本とオランダ」です。
①文部科学省教科書調査官の高橋秀樹氏によると、「幕府がオランダ語の書籍輸入を一度も禁じていない」とのことです。具体的に何が入ってきていたのかが分かったら追記します。
②オランダは明から直接貿易を禁止されたので、オランダも明とは出会い貿易。もしくは、台湾で仕入れた。
③対オランダ関係年表(稿)
1641年~1664年は、金の輸出禁止。1664年に許可。
1668年に輸出入の品目制限。オランダは銀輸出禁止。ただし、中国戦に対しては銀輸出継続。←このあとの実態などについては、引き続き調査中です。
1685年、オランダ船との貿易額を、銀3000貫目相当の金5万両に制限。(定高仕法?)
1715年、海舶互市新例
1743年、オランダとの貿易額を銀550貫目、銅50万斤(1斤≒616グラム)に半減
1790年、船は年2隻に半減。銅の輸出量は60万斤が上限に。この後、細かい増減はあるが基本は60万斤。
なお、1695年以降の度重なる貨幣改鋳で金の品位が下がったため、金の輸出は1762年に停止した。
④17世紀中頃:生糸輸入高は年20万斤前後。オランダに支払った生糸代は、年平均約5000貫の銀。銅の輸出量に制限が設けられたのは海舶互市新例が初めて。18世紀には銅を輸出して、インド産の絹を輸入するのがメインになる。
清の場合:1661年で、銀輸出25000貫。
1685年、貿易額を年銀6000貫に制限(定高仕法?)→密貿易増加
1688年、清の来航船を年70隻に制限。翌年、唐人屋敷設置。
今度、図書館で長崎県史見て追記しやーす。
閲覧数:40

銅の輸出の年号についてのご指摘、ありがとうございます。
銅銭とか作っていたんですねえ。