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Q&A

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大化の改新後の蘇我氏はどうなったの?

蘇我蝦夷と入鹿、すなわち蘇我の本宗家(鞍作家)が滅んだ後、大化の改新では、これまで本宗家と反目していた蘇我倉山田石川麻呂(蘇我石川麻呂)が右大臣となりました。

蘇我倉山田石川麻呂は、中大兄皇子たちによって滅ぼされました。


石川麻呂の弟の日向は、石川麻呂を陥れようとしましたが、失敗して九州に左遷されました。


赤兄は、いろいろあって天智天皇のもとで左大臣となりました。天智天皇が没したあとも、天智天皇の子の大友皇子に仕えますが、壬申の乱に敗れて配流されました。

果安は、壬申の乱のときに死にました。


下の系図にあるように、蘇我氏はたくさんの女子を天皇のキサキとするのですが、その子が天皇になることはありませんでした。


最後に、連子の子の安麻呂は天武天皇の信頼を受けていて、天武天皇が八色の姓を制定したときに、石川氏を名乗りました。


その後、石川氏は下級貴族として地味~に存続していくことになります。

参考文献:佐藤長門『蘇我大臣家』(山川出版社・2016年)

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順大 古川
順大 古川
Jul 30, 2024

これらの本も本屋さんにありましたので、まだまだ蘇我氏に興味がある人はどうぞ。

ちなみに、氏族の系譜の本をたくさん書いている宝賀寿男さんっていう人がいるのですが、怪しい資料もバンバン使う人なので、気を付けてください。




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