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【アメリカ黒人の歴史】奴隷制の始まり【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0047】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

今日からブラックライブズマター。アメリカの黒人の問題、これを紐解いて、今どういうことなのかということを見ていこうということですね。一番最初に奴隷制という話から進めていかないといけないと思うんですけど。


青木:

そうですね。南北アメリカ大陸、もともと先住民、インディオと言われる先住民がいたわけですよね。そこのひとつ北米大陸に17世紀ぐらいからヨーロッパ人たちが移住を開始していくと。特に今のアメリカの基本ができたのが今から400年ぐらい前ですよね。アメリカの東海岸、そこにイギリスなんかから移民が展開されて。現在で言うバージニアから南の地域の比較的温暖だったので農業できるよねと。しかも本国のイギリスなんかでは採れないようなタバコとか、あるいは綿花とか、そういったものを作れるよねと。ただ労働力が足りないと。最初は先住民のいわゆるアメリカインディアンを使っていたんですけども、インディアン自身にあまり農耕を経験した人がいないと。


中島:

そういう民族じゃないですね。


青木:

そうですね、基本的には狩猟採集民族。しかももともとアメリカインディアンの人たちの住処なので、留め置くことがなかなか難しかったんです、みんな逃げていっちゃうので。


中島:

土地を知ってるからですね。


青木:

そうですね。ということで、17世紀のはじめから黒人奴隷たち、これをアフリカから連れてくるということになっていくわけですね。


中島:

アフリカというのはどういう状況だったんですか?急に来て暴力で買っていくって。


青木:

ひとつ言っておくと、アメリカインディアンと比べるとアフリカの西海岸、ギニア湾というところがあって、その沿岸地域の黒人の皆さんというのは比較的農業をやっている。農民として利用ができるということですね。

しかもヨーロッパ人が北米に行ったあたりからなにが起きるかというと、感染症が広がっていって先住民の人口が激減していくわけです。


中島:

実はスペインとかが南米に行ったときもわりとそうらしいですね。


青木:

そうです。16世紀の100年間で人口が4分の1ぐらいに減ってしまうんです。


中島:

攻めていって、わりと少ない人数で攻めていったのにも関わらず、なんで勝てたかといったらいろんなウイルスをまき散らしたところかあるという。


青木:

一番大きな原因はそれですね。僕が高校生のときは、たとえばアメリカ原住民の人たちは火薬を知らなかったとか、馬を知らなかった、鉄器を持っていなかった。それだけで勝てるわけないですよ、ヨーロッパが。


中島:

だって人数的には全然ですからね。


青木:

全然違います。結局ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘みたいな感染症によって人々がバタバタ死んでいっちゃったんです。


中島:

これがものすごい、ヨーロッパは何度もそういうウイルスみたいなことに慣れてるから、みんな免疫を持っていて、それがどんどん感染して知らない未開の土地に感染していったんですよね。


青木:

そうですね。それで労働力の不足が出てきて、不足した分をどうするかというとアフリカから持って来ようということになっちゃったんです。


中島:

でもそのまんま、でもアフリカにも普通に生活はあるわけですよね。


青木:

だから破壊しちゃうんです。奴隷狩りについて一言言っておくと、ヨーロッパの連中が船に乗って海岸地域に住んでいる部族の人たちに武器を渡すわけです。これでハンティングしていく。ヨーロッパ人から武器をもらった人たちが内陸に行って、内陸の部族を狩って、ハンティングして連れていく。16世紀から18世紀の末ぐらいまで300年間。


中島:

なんというかひどい話ですね。


青木:

むき出しの暴力ですよ。実際に南北アメリカ大陸ですからカリブ海、あの地域に連れて行かれた黒人奴隷の人たちの数が1000万と言われているんです。生きてたどり着いた人が1000万で、ハンティングの途中に殺された人、途中で死んじゃった人を入れるとトータルで3000万人。しかもその3000万人の多くというのはじいさんぱあさんじゃないんですよね。いわゆる年若い少年から青年。


中島:

いわゆる労働力として、今からもう良いだろうということですよね。


青木:

働き盛りのね。そういった人たちが根こそぎ持っていかれちゃう。アフリカって今でも発展途上じゃないですか。その大きな原因のひとつはそこにあるんじゃないかと言われているんです。


中島:

それで連れて行かれて、そこで働かされるということですよね。


青木:

そうですね。場所的には先ほど言ったようにバージニアから南の地域。アフリカほどじゃないけども比較的温暖な地域ですね。北のほうは寒かったので、なかなか暖かいところからやってきた黒人たちは根付かなかったんです。

こうして南部を中心に黒人奴隷たちが綿花畑なんかでこき使われるという状況になっていくわけですね。


中島:

それがずっと続くんですね。


青木:

そうですね。アメリカ合衆国って独立したのか1776年なんですが、その前後でだいたい人口は300万と言われるんですよ。そのうちの30万人、10%ぐらいがたぶん黒人奴隷だったのではないかと言われるんですね。

とにかく奴隷たちをこき使って、亡くなったらマーケットから買ってくるわけですよね。ところが19世紀に入ってイギリスをはじめとして奴隷制に対する人道的な反対運動というのが起こってくるわけ。奴隷貿易をイギリスがやめちゃうんです。そうするとどうなるかというと、奴隷労働力を再生産せにゃいかんくなるわけです。よそから買ってくることができなくなる。というので、黒人奴隷の間で家族を持たせるようになるわけ。


中島:

子供を産めばそれがまた。


青木:

次の世代の奴隷になる。そうした社会というのがアメリカ南部に作られていくわけです。


中島:

それも厳しいですね。


青木:

しかもついでに言っておくと、黒人奴隷たちってブラジルを代表とするような南米にもたくさん連れて行かれるんだけど、カリブ海域や南米では支配者である白人との間に結構混血が行われるわけ。異人種間の結婚というのが結構あるんです。それに対して北米はなかなかそれがなかった。なんでかというと、北米大陸に移住していった人たち、イギリス系が多いんですけども、彼らは家族単位で移住していくんです。お父さんが黒人の女性と結婚するということはあんまりないわけです。これに対して中南米に行ったヨーロッパ人って、スペイン人とかポルトガル人なんだけども、単身で行く連中が多かったんです。というので、現地でお嫁さんをもらって、異人種間の、異なった人種間の混血が行われる。白人と黒人の間の血の通い合いというのはあんまりなかったけど、中南米ではたくさんあるんです。


中島:

19世紀の奴隷解放運動が始まるまでは、ずっとその体制でいくんですか?


青木:

そうですね。人権もなにもあったもんじゃないですよね。


中島:

奴隷解放運動が始まったというのはどういうところからなんですか?


青木:

基本的にはアメリカの北部の人たちが南部の奴隷制を見て、その実情を知るに至って、やっぱりこれはひどいよねと。人道的な見地から奴隷制に対する反対運動というのが起こっていくんですね。それをめぐって大きな戦争になっちゃったのが南北戦争ということですね。工業化を進める北部と、黒人奴隷を使って農業をやっている南部との間の戦争ですよね。


中島:

南部は「奴隷の人たちがいないと俺たちはやっていけない」ということですよね。


青木:

ですよね。北部のリーダーのリンカーンも南部の奴隷制について即時廃止しようという気持ちはあまりなかったらしいんです。でも人道的な見地からいずれはと思っていた。いずれ廃止されるんだったらば、そういうアメリカ合衆国にはついていけないというので南部の連中が分離独立を宣言するんです。それをリンカーンが許さなくて戦争になってしまう。戦争の結果はご存知のように北部が勝利をして、戦争が1861年から65年なんですけども、その戦争が終わった年に奴隷解放宣言が憲法の条文として採択されるんです。なんびとも自分の意志に反する労働に服する義務もない。

それから2年後の1867年に「合衆国市民たるもの選挙権を肌の色によって差別をしない」と、そういう条文が憲法に採択されるわけです。それで黒人の皆さんは白人と平等になったかというと、全然そんなことはないわけですよね。


中島:

これがちょうど明治維新ぐらいの話ですからね。


青木:

そうですね。


中島:

そこからの話がまだこれから次々にあるということなので、次回にします。








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