質問
「父が、昔から日本列島に住んでいた日本人と呼ばれる人々は絶滅し今生きている我々は渡来人の子孫だと言っていたのですが、そんなことありえますか?」
おそらくは縄文人と弥生人、そして現代人の関係のことですよね。
定説的には、次のように考えられています。
まずは、シェアナンバーワンの高校教科書から。
「九州北部や中国・近畿地方などで発見されている弥生人骨の中には、縄文人に比べて背が高く、顔は面長で起伏の少ないものがみられる。しかし弥生文化には、土器づくりの基本的な技術や打製石器・竪穴住居など、明らかに縄文文化の伝統を受け継いでいる面もある。これらのことから弥生文化は、金属器をともなう農耕社会をすでに形成していた朝鮮半島から、必ずしもお多くない人びとがその新しい技術をたずさえて日本列島にやってきて、在来の縄文人とともに生み出したものと考えられる。」(『詳説日本史B 改訂版』山川出版社)
お次は、同じ山川出版社が出している、新しめの研究成果を積極的に盛り込んだ高校教科書の『新日本史B』です。
「弥生文化は……朝鮮半島南部から稲や金属器をたずさえて多くの人びとが渡来したと考えられる。……大陸での動乱が,多くの流民を生み,朝鮮半島を経て日本列島にも至ったのである。……弥生文化には,土器づくりの基本的な技術や石器・骨角器 ,竪穴住居など,縄文文化の伝統を引いているものも多い。このことから,弥生文化は新技術をもって朝鮮半島から渡来した人びとが,在来の縄文人とともに生み出したものと考えられる。両者の同化や混血が進み,現在の日本人の原形が形づくられたのであろう。」(『新日本史B』山川出版社)
10年ほど前に、比較的新鋭の研究者たちが執筆したシリーズもあげておきます。
「前述した弥生時代の人の形質の特徴(※顔の凹凸が平坦で、面長。身長が高い)は、主に九州北部や山口県の人たちのもので「渡来系弥生人」といわれる人たちの特徴である。こうした特徴と少し違った形質を持つのは、長崎県などの西北九州や鹿児島県などの南九州の弥生時代の人で、彼らは彫りが深く、低身長で、縄文人に似た特徴を持っている。また、出土数が少ないが、近畿地方では弥生時代前期の人骨に縄文的形質が認められる。
縄文人と弥生時代人の形質を比較すると多くの差が認められるが、縄文人と「渡来系弥生人」との差が大きいというのが正確であり、このような形質の違いは、大陸からの渡来集団の遺伝的な影響が大きいと考えられる。」(『週間 新発見! 日本の歴史』50・朝日新聞出版・2014年)
以上から分かることは、縄文人は絶滅せずに、大陸から渡来してきた人々と混血しながら、弥生文化を生み出していったということになります。
縄文時代の日本列島には30万人ほどの人間が住んでいましたので、その人たちが絶滅したとまで言うのは難しいかと思います。
「渡来人」は古墳時代にも多く渡って来ているのですが、前後の文化の連続性や、古墳時代には人口が500万人を超えていたいたこともあり、古墳時代以降に現住の人たちが絶滅した可能性はますます低くなるかと思います。
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