世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事【核兵器の歴史④】レーガンとゴルバチョフ。そして今はこちら)
動画版:【古代ローマ史】ローマ帝国とは?
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
僕が本当に苦手で全然わからないローマ帝国。ここはだって日本だって「テルマエ・ロマエ」という映画が大ヒットした。あれを考えた人、顔の濃い役者さんばっかりでしょ。
青木:
阿部寛という、あれだけで笑っちゃったですよね。
中島:
みんな顔の濃い人ばっかり集めて映画を撮ったという、あれも、もともとはマンガで、ヤマ
ザキマリさんと対談なさったんですか?先生。
青木:
10年前に「テルマエ・ロマエ」が封切られたときに、これが「テルマエ・ロマエ」の漫画なんですけど、これを持って映画の封切りに合わせて、当時ヤマザキマリさんはシカゴに住んでらっしゃった。日本に来られて取材日が1日あったんです。それで行ったんです。朝から晩まで取材ずくめだったようです。ただ取材陣がみんなローマの歴史とかを知らんわけです。最後にローマの歴史を知っている人間が出てきて、30分しか時間がなかったのに1時間半。
中島:
実はこの「テルマエ・ロマエ」という漫画がなにがおもしろいかといったら、ローマの実はなんだかんだのヤマザキマリさんがローマ帝国とかあの歴史の中での生活のおもしろさとかをちゃんと知って書いているからおもしろいんですよ。
青木:
正確なんです。
中島:
単純にタイムスリップしてというところじゃなくて、タイムスリップしたローマ帝国というのが現代社会とほぼ同じような感じで人間が暮らしていたんだというところに気づいて着想を得て書いてらっしゃいますよね。
青木:
感動しましたね。1時間半しゃべって意気投合して。そしたらサインまでしてくれた。
中島:
またコレクションがひとつ増えた。
青木:
めっちゃうれしかった。
中島:
喜んじゃって。ローマ帝国って僕も全然知らないんですけど、この現代に生きる私たちと同じような感覚だったり、センスだったり、人間関係だったりで悩みながら2000年ぐらい前の人たちが暮らしてたってことですよね。
青木:
実際そうですね。
中島:
あの時代の人たちって都市が築かれて本当に同じような感じのことで悩んで、同じような感じなことであーだこーだやっているという、ローマ帝国というのは何年前ですか?
青木:
広大な領土を持つようになったのは2000年ぐらい前ですね。
中島:
でもローマ帝国というぐらいですから今のイタリアのローマから発祥する。
青木:
そうですね。地図を見せますね。これはイタリア半島で、上のほうのぐちゃぐちゃとした線は今の国境線です。イタリア半島、ローマがちょうど中部かな。日本と同じように山地がすごく多くて平地が少ないんです。
中島:
山が多いということですね。
青木:
ローマのあたりは比較的平地が多くて、作ったのがラテン人と言われる人たち。ラテンってどういう意味かというとラテン語にラティウム、あるいはラタスという言葉があって、これは「広大な」「平べったい」とかそういう意味なんです。
中島:
そういうところに住んでいる人たちということですか。
青木:
そうですね。ローマを本拠地にしているラツィオという。
中島:
ラツィオってそういう意味ですか。
青木:
平野に住んでいる連中という意味、シメオネがいた。
中島:
サッカーが好きな人は今反応したかもしれませんけれども、中田英寿とかトッティとかがいて、優勝したのであの頃、ローマというチームというふうに思っている人が多かったかもしれませんけれども、ラツィオのほうかどちらかというとローマのチームという感じがしますよね。
青木:
そう。ミハイロビッチというフリーキックの名手がおって。これは今ボローニャの監督ですから、冨安がいる。
中島:
サッカーも好きだから。何年ぐらい前にローマという。
青木:
一応世界史の教科書では紀元前600年頃にラテン人によって都市国家ローマができたというんです。200年かかって他の都市を征服してイタリア半島を統一するわけです。だいたい紀元前3世紀の半ばぐらい。中国だと戦国時代かな。そこの中から秦の始皇帝なんかが今から台頭するよと、その直前ぐらいにローマはイタリア半島を統一するわけです。
さらにそれから200年間かけて、今度は地中海世界の征服をするんです。
中島:
だからとんでもない広いところをこのローマという国が治めるんですね。
青木:
そうです。広さがだいたい650万平方キロメートル。これはちょうど中国の秦とか漢の領土とだいたい一緒ぐらいです。人口も当時の中国が5000万から6000万で、ローマもたぶん同じくらいだった。
中島:
ということは当時のというか今もそうかもしれませんけれども、文化レベルで治められる大きさというのがこれぐらいが限界だったということは考えられますよね。
青木:
その広大な領土を統治するために政治システムをいろいろ考えたり、あるいは法律を作ったり。これは今の政治にも影響を与えているんです。
中島:
2000年前のことが今に影響を与えてますか。
青木:
与えてます。ローマ法王なんかそうですよ。ローマ法王抜きに今の世界の法律を語れないです。
中島:
2000年前の法律というのが今の基盤になっているということですか?
青木:
どこがすごいかという話なんですけど、それはまたいずれね。
とりあえず順を追っていきましょうか。都市国家ローマ、さっき言ったように今から2600年ぐらい前にできるわけです。どういうふうにできたかについては、はっきり理由はわかりません。ただ伝説があって、ローマの街の中にカピトリーヌの丘というのがあって、ローマの街の真ん中なんです。カピトリーヌはちなみに言うと首都を意味する英語の「キャピタル」この語源になっています。カピトリーヌに住んでいた雌狼の乳を飲んだロムルスとレムス、
この兄弟、その中のお兄ちゃんのロムルスのほうが作った。
中島:
日本の神話みたいな話。
青木:
だいたいどこの地域にもそういう話はありますね。
中島:
そうですか。これは民を治めるためにというところはあったりするんでしょうね。
青木:
権力の正統性をなにがしかの物語で。
中島:
物語にして。
青木:
納得してもらうと。
中島:
ということですよね。
青木:
さっき言ったように都市国家ですから、点なんです。これが200年かけて全イタリアを支配するわけ。喧嘩が強かったわけですよ。
中島:
ということですよね、まずは。
青木:
喧嘩の強さの基盤はなにかというと、ローマは2種類の軍隊がいて、ひとつは騎馬軍団。もうひとつは歩兵部隊。これは古代ローマもギリシャもそうなんですけども、だいたい金持ち、イタリアは農業社会なので金持ちといったらだいたい所有者なんですけどね。大土地所有者はお金に余裕があるので馬に乗って戦争に行かせちゃうわけですよ。ちなみにローマの貴族のことパトリキといって、英語の「パトリオット、愛国者」という言葉の語源なんで
す。なんでそうかというと、もともとお金に余裕がある彼らが馬に乗ったり武器を持ったり。当時の軍隊って義務兵役制なんです。「あんたローマの市民だろ、ローマを守るために血を流せよ」と。お金を払ってもらうわけじゃないですか。戦争に行ってローマを守るという義務、これを果たすための武器って自分で調達するんです。だから貧乏な連中ってできなかった。金持ちの貴族だけが戦争に行っていて国を守っている「あいつら愛国的だよね」という感覚になるわけです。
一方の平民と言われるやや貧乏な人たち。さっき言ったようにローマ、イタリアって農業社会なので、平民のほとんどはそこそこの土地を持って生きている農民なんです。基本的には家族単位で土地を耕して生きた。この人たちも商工業の発展によって武器の値段が下がっちゃったので「俺ら、貴族みたいに馬に乗っては戦争に行けないけど、それなりの武器を持って戦争に行けるよね」と。彼らがどうするかというと、ヘルメットをかぶって、盾を持って、槍を持って戦場に行くわけです。「俺たちもローマを守るために頑張るぜ」って。ただ歩兵なので1人で突っ込んでいってもダメじゃないですか。
中島:
というかそのときに大量に作るようなシステムが。
青木:
できてます。これはギリシャの時代も、紀元前7世紀ぐらいからでき始めてる。特にヨーロッパって基本貧しいので戦争が多発するんですよ、少ない食べ物をめぐって。平和に生きていればみんなが食えるよねというアジアみたいなヤワな世界じゃないんです。もちろんアジアにも戦争はあるけど、ヨーロッパは本当に激しいですよ。今食ってるやつをやっつけて取らないと生きていけないという。貧しいところほど戦争が多発して結果強いやつが残る。
さっき言ったように平民と言われる、ちなみに平民のことをラテン語で「フレブス」と言いまして、これは「パブリック」の語源なんです。この連中が歩兵として戦争に行くわけです。1人じゃダメなので密集体系を組んでいくわけ。そこで連帯意識が生まれていくんです。戦争に勝つとどうなるかというと、戦争に勝った、自分は活躍したという証拠がいるじゃないですか。だから自分が打ち破った、日本だったら首を持ってくるけども、首を持っていくのは不衛生なので、敵がかぶっていた兜、あるいは鎧、あるいは盾、そういったものを持って「ぶん取ってきたよ、敵をやっつけたよ」って。ちなみにギリシャからこの風習が始まるらしいです。木に自分がやっつけた敵兵の鎧とかそういったものをぶら下げて帰ってくる。これがトロフィーの起源なんです。
中島:
えー。そうなんですか。
青木:
ローマの場合もトロフィーだったり、あるいは武器の中で一番大事なものは自分の身を守る盾なんです。盾を取られる、相手に、これはものすごい不名誉だったんです。盾に乗って帰るというのは戦死して帰ることなんです。それは大きな名誉である。だからセリアで優勝すると、スクデットってあれは盾ですよ。
中島:
そういうことですか。
青木:
スクドゥスという大きな盾があって、それを小さくシンボライズしたものがスクデット、小さな盾。
中島:
だからイタリアの、サッカーの話じゃないです。
青木:
ついついね。
中島:
2回目もたぶんこういう散文的なお話になりますけれども、ローマ帝国のすごかったことをいっぱい話していきます。
青木:
冨安頑張れ。
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