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執筆者の写真順大 古川

北里柴三郎 【誰も得しない日本史 by のぶた】




明治時代には、世界最先端の研究を行う科学者が輩出されます。その第一人者が、「近代日本医学の父」とか「日本の細菌学の父」とかいう二つ名を持つ、新千円札の北里柴三郎です。それでは、聖帝サウザーの部下のお言葉をいただいて、厳しい自然や病気に立ち向かってみましょう。

《英訳してみよう》

汚物は消毒だ〜〜!














《英文》

I’m cleaning up the waste!

公衆衛生は大事ですね。

それでは、教科書に載っている自然科学系の偉人の業績をみていきましょう。

今日は北里柴三郎編です。

北里柴三郎(Kitasato Shibasaburo)

医学(physician and bacteriologist)

①細菌学の研究(破傷風血清療法、ペスト菌発見)

→ In 1889, he became the first person to grow the tetanus bacillus in pure culture.

※tetanus bucillus…破傷風

 pure culture…純粋培養

→ He traveled to Hong Kong in 1894 at the request of the Japanese government during an outbreak of the bubonic plague, and identified a bacterium that he concluded was causing the disease.

※outbresk…発生

 bubonic plague…腺ペスト

 bacterium…細菌

②伝染病研究所創設

→ After returning to Japan in 1891, he founded the Institute for Study of Infectious Diseases.

北里柴三郎は医学者で、細菌学者です。業績としては、ドイツ留学中の1889年に破傷風の純粋培養に成功し、後に破傷風の血清療法を開発しました。また、いったん帰国した後の1894年には、香港でペスト菌を発見しました。どちらもヤバい病気ですよね。シバサブロー君ありがとう。 そんなシバサブロー君は、東大医学部とケンカしました。そこで、シバサブロー君は、Mr.一万円札ことユキチ君を味方につけて、私立伝染病研究所を設立しました。北里柴三郎の業績として高校の教科書に載っているのは、破傷風菌の純粋培養と、伝染病研究所設立です。この伝染病研究所での弟子筋にあたるのが、赤痢菌の志賀潔と、サルバルサン(梅毒の化学療法剤)の秦佐八郎と、Mr.千円札こと野口英世(黄熱病の研究)です。


ところが政府の策略で、なんと伝染病研究所を東大に奪われてしまいます。このとき怒ったシバサブロー君は、職員全員とともに辞表をたたきつけました。これを伝研騒動といいます。そして、シバサブロー君は北里研究所を設立して、これが今の北里大学につながります。

この後、Mr.一万円札ことユキチ君が亡くなったときには、シバサブロー君はユキチ君のかつての恩義にむくいるために、慶應義塾大学医学科の創立に力を尽くして初代学部長になります。もちろん、慶應義塾大学医学科は今の慶應義塾大学医学部です。


こうしてみると、なんと国立大学医学部のトップたる東大医学部と、私立大学医学部のトップに君臨する慶應義塾大学医学部の両方が、シバサブロー君の系譜に連なっていることが分かります。すごいですね。ちなみに、奥さん以外のあちこちの女の人との間に5人の子どもをもうけたことは、造幣局的にはナイショです。あ、栄一もか。。。

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