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大正期の社会運動:歴史部生徒質問

【生徒質問】



①中外日報は全国水平社などの新しい組織と仲が良かったか?

中外日報:京都に本社を置く宗教系新聞社。社長の真渓涙骨自身は真宗の僧侶で、もともとは真宗中心の宗教系新聞でしたが、徐々に仏教他宗派、キリスト教、神道などにも報道対象を広げ、全国水平社の時期には総合的な宗教新聞となっていました。

全国水平社創設を報じた記事など、水平社・西光万吉の記事を執筆したのは中外日報記者であった三浦参玄洞(法名大我、本名幾造、参玄洞は筆名)。水平社の創設者である西光万吉の実家(西光寺)の隣にある誓願寺の娘と結婚した僧侶で、水平社設立前、自殺願望が強くあった西光万吉を励まし、水平社の活動には直接は関わらないものの様々なサポートを行った人物です。万吉や、水平社創設メンバーであり万吉の幼なじみでもある阪本清一郎の親らは、万吉らが部落差別に反対する活動をすることに否定的でした。その親の説得にあたり、全国水平社創立趣意書の印刷などの手配を行います。中外日報という新聞がどうかというよりも、その記者との関わりから、中外日報で全国水平社の活動が報道されたと考えるとよいようです。

参考:浅尾篤哉「三浦参玄洞の思想」(『部落解放研究』163、2005年)



「西光寺住職清原道隆・コノエの長男に生まれた。本名は清原一隆。部落差別のために僧侶・画家への道を阻まれた。」とありますが、父親が住職なのに万吉が僧侶になれないのは矛盾していないか?

西光万吉自身が、自分について、「西本願寺の末寺生まれで僧籍もあった私」と書いています(西光万吉「黒衣同盟の思い出」『別冊あそか』1968年)。僧籍はありました。なぜ実家の寺を継げないのかは、僧籍の有無とは別の原因がありそうです。部落差別により中学校を退学せざるを得なかったなど、少年期から青年期の万吉は差別に直面することが多々あり、差別を原因とする何か事情があったのかもしれませんが、現状不明です。追加でわかればまたお知らせします。



③全国水平社から政治家になった人はいるか?

全国水平社の松本治一郎委員長。初代委員長の南梅吉が警視庁のスパイとの親交から委員長勇退勧告が出され、その後、二代目委員長に松本治一郎が選出される。なお、南は、委員長を退いたのち、会の方針などが合わないことから脱退して新組織(日本水平社)を結成しました。松本は、1942年に全国水平社が消滅する(反ファシズムの立場などから、結社の申請をしなかったため自然消滅した)まで委員長を務めました。1936年、衆議院議員に当選。社会大衆党(満州事変後では唯一の合法的な無産政党)に属します。1947年、参議院議員に当選、初代参議院副議長となりました。

「政治家」をどう定義づけるかでもっと事例を拾えるかと思いますが、まずは代表例で。

 


④北海道アイヌ協会はシャクシャインと関係あるか?

質問の意図がよくわからないのではありますが・・・

北海道アイヌ協会は1930年に設立され、戦中は活動が停滞し、戦後再興されます。その再興時の設立総会を開催したのが静内(しずない)、シャクシャインの戦いが起きた地域ですが、シャクシャインと協会との明確なつながりは確認できませんでした。静内が位置する日高地方と、隣接する胆振地方とで、現在確認できるアイヌの7割が居住しているとされています。

(参照元:北海道アイヌ協会https://www.ainu-assn.or.jp/ainupeople/life.html アイヌの生活実態)

 

 

⑤新婦人協会・全国水平社・北海道アイヌ協会の活動の効果

(1)新婦人協会

新婦人協会も署名活動を行うなど改正に向けた活動を行い、治安警察法第五条の改正が実現しました。女子も政治集会に参加し、また発起人になることが認められることとなりました。大阪・神戸・名古屋など、各地に新婦人協会の支部が作られ、地方の小学校女性教員などが会員となりましたが、県からの圧力で加入を禁止された地域もあったようです(ex.広島県。のちに県は加入禁止を撤回するも、会員となった女性教員の呼び出しなどの圧力は続き、広島県内の支部は消滅します)。


(2)全国水平社

初期の活動では、差別の原因は人々による因習的な差別観念であるという考えから、差別を行う団体・個人を徹底糾弾する方針でした。この方針のもと、奮起した被差別部落の人々を中心に活動は急速に全国化しますが(各地で水平社の地域支部が作られます)、攻撃的な姿勢は被差別部落内でも分断を招きました。1930年代になると、被差別部落の人々の生活向上を目指して、階級闘争と共闘する傾向が強くなります。反ファシズムの立場から1942年に自然消滅し、戦後は部落解放全国委員会、のち部落解放同盟として再始動しています。


(3)北海道アイヌ協会

中曽根康弘首相の日本は単一民族国家発言(知的水準において、アメリカなど様々な人種が混在する国は知的水準が低い、日本は単一民族であるので高水準であるという趣旨。)の際、アイヌ語で中曽根に直接抗議(当時は北海道ウタリ協会という名称)。北海道議会などと連携して、北海道旧土人保護法にかわるアイヌ新法の制定を国に要望し、のちのアイヌ文化振興法制定につながります。









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