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執筆者の写真順大 古川

ゲルマン人あれこれ:歴史部生徒質問




【生徒質問】








①”ゲルマン語系”という言葉を聞いたことがあるのですが、(ドイツ語とかだったと思います)それはかつてゲルマン人が住んでいた土地に残っていた言葉がそう呼ばれるようになったのですか?

ゲルマン語派(系)は言語学の区分の一つです。同一の祖先から分かれ出たと考えられる言語のグループを「語族」と言いますが(青木先生『実況中継 第1巻』p9参照)、その1つに「インド=ヨーロッパ語族」があります。「インド=ヨーロッパ語族」はさらにいくつかのグループに分かれ、その一つがゲルマン語派です。


ゲルマン語派は、現在の言語でいえば、英語・ドイツ語・オランダ語・スウェーデン語・デンマーク語・ノルウェー語などになります。


この「ゲルマン語」を初めて使用した例を調べても分かりませんでしたので、名前の由来は分かりません。ただし、ゲルマン語派はゲルマン人の原住地(北ドイツ〜スカンジナビア半島南部)から、ゲルマン人が広がった地域の言語(ドイツやオランダ、イギリス、北欧)と言ってよいでしょう。


なんで東ゴート人はイタリアに建国したんですか?

東ゴート王国がイタリアに建てられるきっかけをつくったのは、東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝です。


東ゴートの王子だったテオドリック(大王)は少年時代に東ローマ帝国に人質に出され、ローマの文化を学びました。成長後、テオドリックは471年に父王の後を継ぎ、アッティラ大王の死 〔453年〕によって混乱するフン人の帝国からの独立を474年に達成しました。

同時に、テオドリックは東ローマ帝国の臣下として皇帝に仕える立場でもあり、東ローマ皇帝の命令で戦争に従事していました。そうしたなか、イタリア半島の西ローマ帝国は、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルに滅ぼされます〔476年〕。


当時、東ローマ皇帝ゼノンの悩みの種は、イタリア支配をめぐって対立するオドアケルと、勢力を拡大させているテオドリックでした。

そこで、皇帝ゼノンはオドアケル討伐を任せるという名目で、テオドリックにイタリア遠征を命じました。約5年の歳月をかけ、テオドリックは493年にオドアケルをたおし、イタリアの平定に成功しました。一般的に「東ゴート王国の建国」は、このときのことを指します。


③東ゴート人が話していた言語が現在のイタリア語ですか?

「現在のイタリア語」というのは、後世になって出来たものなので、東ゴート人の時代の言語とは異なります。

(ちなみに、今年の共通テスト「世界史B」で、ちょうど「コロンブスの時代には(イタリア語という)『国語』がまだ無かった」という話しが出てますね)


  現在のイタリア語が成立したのはいつか?というのは、とても難しい問題ですが、一般的には9・10世紀頃から徐々に形成されていったと考えられます。ただし、いわゆる「国語」という形で統一されるのは、もっと後世になってからになります。


【参考】

小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』イタリア語の項目:「西暦1000年前後に成立した」  

平凡社『世界大百科事典』イタリア語の項目:「イタリア語が話し言葉として全土に普及するのは国家統一(リソルジメント)以後のことである。」

植松注:「国家統一(リソルジメント)」とは、1861年のイタリア王国の成立から、約10年間にかけてのイタリア統一を指す)

 


④アングル人とサクソン人で共通していた文化や慣習とは具体的に何ですか?

例えば、多神教の宗教。様々な神が信仰されていましたが、北欧神話とも共通するオーディン(ウォーデン)、トール、フレイという主要な三神が崇拝されていました。アングロ・サクソン系の王国では王家の系譜に「オーディン」などの神を祖先として組みこむ例もありました。


七王国時代、ウェセックス王国初代の王とされるセルディック(チェルディッチ Cerdic)はヨーロッパ大陸からサクソン人を率いて南イングランドに上陸し、6世紀前半にウェセックス王国を建設したと伝えられています。このセルディックは、複数の文献で伝えられる系譜によれば、オーディンの子孫であるとされています(おそらく国王の権威を高める目的でしょう)。


その後、9世紀になってウェセックス王国はエグバートの時代にイングランドを統一することになる訳です。


※マメ知識:水曜日を意味する英語のWednesdayは「オーディン(Woden)の日」が由来。

 


⑤ 6ページ目右の図のフランク族とフランク人の違いは?

「フランク族」と「フランク人」、おそらく青木先生も大きく異なる意味を付けて書いてないでしょう。ただし、原住地にいる時期は「ゲルマン人」の一部族である「フランク族」であるのに対し、大移動後は他のゲルマン人とは違う「フランク人」になった、という意味合いで理解できます。


【参考文献】

「2世紀後半にゲルマン社会は,マルコマンニ戦争(植松注:166~180年、ローマ帝国とゲルマン人との戦争 )と呼ばれる戦乱と激動の時代をむかえるのだが,それはこうした変化(植松注:ゲルマン世界へのローマ商品の流入や両者の商取引の増大)によりひき起こされたのである。その結果,多くの伝統的な部族が解体し,新しい部族が誕生した。フランク族やアラマン族などがその1,2の例である。」



⑥ホモサピエンスの大移動は民族移動に含まれないんですか?

「ホモ=サピエンス」というのは私たちを含めた現生人類を指すので、民族大移動したゲルマン人もホモ=サピエンスの子孫と言えます。

また、先史時代(文献記録がある歴史時代よりも前の時代)に「大移動(そもそも先史時代に民族という概念があるのかというと微妙)」があったのか?という質問に答えるとすると、ホモ=サピエンスによる「出アフリカ」があります。

アフリカで誕生したホモ=サピエンスは、約8万~5万年前にアフリカ大陸から移動し、世界中に拡散したと言われています。これを「出アフリカ」とよびます。









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