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朝鮮総督府の組織図的な位置づけ(歴史部生徒質問)

更新日:3 日前




質問「戦前や太平洋戦争中の軍事的な組織図のなかで、朝鮮総督府や関東軍なんかはどういう位置づけになるのですか。


まずは『国史大辞典』の「朝鮮総督府」の項から引用しましょう。


朝鮮総督は親任官の陸海軍大将で、天皇に直隷し委任の範囲内で陸海軍を統率すること、諸般の政務を統轄し、内閣総理大臣を経て上奏をなし裁可を受けることを定めていた。つまり総督は、朝鮮軍を率いると同時に、政務に関しても総理大臣の監督を受けずに天皇に上奏し裁可を受けるという特殊な地位にあった。


というわけで、独立して朝鮮のことはなんでもやっていて、その上には天皇しかいないということですね。

なので、朝鮮総督府が陸軍の一部に含まれるということはないです。


じゃあ、朝鮮半島にいた日本の軍隊はというと、「朝鮮駐箚軍(ちょうせんちゅうさつぐん)」のちに「朝鮮軍」というらしいです。


韓国駐箚軍司令部/朝鮮駐箚軍司令部は)大韓帝国(韓国)に駐屯した日本軍の司令部である。朝鮮における日本軍の配備は日露戦争を契機としている。このとき日本軍は、ロシアとの戦闘に注力する作戦部隊と、韓国内の占領地の守備や兵站を担う駐箚軍に分けられた。……廃止されたのは韓国併合のときである。……統監には駐箚軍や憲兵隊の使用・指揮が認められ、文官としては異例の措置が取られた。韓国駐箚軍は韓国併合後、朝鮮駐箚軍に改称され、また常駐師団計画によって1916年から第19師団、第20師団の編成がはじまり、1918年に朝鮮軍と改称された(編成完結は1921年)。


まとめると、

朝鮮駐箚軍/朝鮮軍は陸軍の一部だけど、朝鮮駐箚軍/朝鮮軍を動かせるのは朝鮮総督府であって、内閣ではないということでしょうか。

たぶん、この理解でいいと思うのですが。。。違ってたらご指摘ください。

予算関係はまだ調べられていません。基本的に陸軍の予算に含まれると思うのですが。



それに対して、関東軍のほうは『国史大辞典』を引用すると、


(1905年)九月、関東総督(天皇直隷、その機関は総督府)が任命され、指定された軍隊、その他の諸機関を指揮して、南満洲経営を一手に引き受けた。……翌三十九年九月伊藤博文らの主張により満洲の統治機構が改変されて、関東都督府が成立したが、これに編属する兵力は従来と変りがなかった。……満洲でも大正八年(1919年)四月、関東都督府が廃止され、新たに関東庁と関東軍司令部が設置されて、民政と軍権との分離が実施された。そして従来の都督指揮下の駐箚一個師団と独立守備隊の六個大隊とは、関東都督から分離して、関東軍の名のもとに独立し、形式的には一応政治圏外に立った。


この感じだと、朝鮮総督は朝鮮軍に命令(?)を下せるけど、関東庁は関東軍には命令(?)を下せないという理解でいいんでしょうかね。


あれ? 命令系統はどうなるんですかね?


満州は、

天皇→陸軍→関東軍

でしょうか。


朝鮮は、

天皇→朝鮮総督府→(陸軍→)朝鮮軍

なんですかねえ????????


誰か整理してくださいいいいいいい。



4 Comments


確かにですね。

調べたところ、韓国駐箚軍時代から、勅令205号第一条で韓国駐箚軍は「天皇ニ直隷シ」、第三条で「軍司令官ハ……統監ノ命令アルトキハ兵力ヲ使用スルコトヲ得」とありました。

駐箚軍は最初から天皇直隷で、統監が統率していました。




そして、

統監が韓国駐箚軍を統率していたことも、韓国併合に際して朝鮮総督府を置いたときに直隷318号で「朝鮮総督府ニ朝鮮総督ヲ置キ委任ノ範囲内ニ於テ陸海軍を統率シ」とあって、統監に引き続き総督が統率していました。



前掲の「韓国駐箚軍司令部条例」を改正した「朝鮮駐箚軍司令部条例」は見つけきれなかったんですが、勅令第323号の「朝鮮総督府設置ノ際ニ於ケル韓国軍人ノ取扱ハ陸軍軍人ニ準シ其ノ官等階級任免分限及給与等ニ関シテハ当分ノ内従前ノ規定ニ依ル」を見ても、朝鮮駐箚軍になっても従前と同じ、すなわち天皇直隷であり続けたとのですね。

なので、おっしゃるとおり、国史大辞典の表現はよくわかりません。



そして、大正七年に「朝鮮駐箚軍司令部条例」を改正して「朝鮮軍司令部条例」を出したときにも、朝鮮軍が「天皇ニ直隷シ」「総督ノ命令アルトキハ兵力ヲ使用スルコトヲ得」となるのですね。

なので、ここまでは韓国統監・韓国駐箚軍時代から変わらず、朝鮮総督が天皇直隷の駐箚軍/朝鮮軍を統率できたのですね。


そして、大正八年についに、直隷第386号の第三条によって「総督ハ安寧秩序ノ保持ノ為必要ト認ムルトキハ朝鮮ニ於ケル陸海軍ノ司令官ニ兵力ノ使用ヲ請求スルコトヲ得」と、統率ではなくなって、朝鮮軍司令官に兵力の使用を請求できるだけになったというわけですか!


ようやく整理がつきました。ありがとうございます!たいへん勉強になりました。

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Jams Pot
Jams Pot
3日前

その国史大辞典がよく分からない。総督は韓国統監府、司令部も韓国駐箚軍司令部時代から

どちらも最初から「天皇直隷」で、司令部は朝鮮軍司令部条例1条によって

"天皇直隷で朝鮮軍を統率する"とされていたものの

同3条で総督の命令で動くことが規定されていて、それが大正8年

朝鮮総督府官制共々改正で変わっただけなので。

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Jams Pot
Jams Pot
3日前

朝鮮総督は当初武官しかなれなかったので総督が朝鮮軍統率権を持ってたけど

大正8年8月の朝鮮総督府官制改正で文官もなれるようになったので

軍事は基本朝鮮軍司令官が、総督が必要と判断すれば前述の司令官に兵力使用請求ができた、

つまり関東庁と関東軍司令部と同じような関係になった。

内閣が軍を動かせる権限は終始なくて、東條大将が首相と参謀総長を兼任してやっと

実質内閣が陸軍のみだけど動かせるようになった。今の首相と自衛隊に少し近づいた。

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ありがとうございます。


なるほどです。途中で変化があったのですか。 朝鮮で大正八年(1919年)8月20日に、いわゆる武断統治から文化統治に方針変更するときの管制改革をしたときに、朝鮮総督も陸海軍の統率権を失ったのですね。 国史大辞典(web版)の「朝鮮軍」の項に「駐箚軍も常備軍となり、大正七年朝鮮軍と改称、天皇直隷となった。」とあるのですが、ここでいう「天皇直隷となった」というのは、大正八年の朝鮮総督府官制改正で文官も朝鮮総督になれるようになって朝鮮総督が統率権を失ったときのことなんでしょうか。それとも、大正七年から大正八年8月のあいだには”朝鮮軍は天皇直隷で朝鮮総督が統率権を持っている”時期があったのでしょうか。。。 今、手元でぱっと見られる材料からは分かりませんでした。機会があれば調べてみたいです。 そうでした。ありがとうございます。

そもそも統帥権が独立しているので、内閣が陸軍や朝鮮軍を動かせるわけないのですね。

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