歴史部通信:7月25日号
- 順大 古川
- 7月24日
- 読了時間: 2分
【8月3日~8月6日の予定:世界史】
月:4巻174p~
火:3巻144p~
水:1巻199p~
木:2巻192p~
※お休みは、7月27日(月)~7月30日(木)です※
個別授業(探究コース・テスト対策コース)の予約方法が変わりました。
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【質問調査結果】
中世における「為政者の交代にあたって社会を本来の姿に戻す」の実例と、それに対する不満の実例は?
以下、「為政者の交代にあたって社会を本来の姿に戻す」政策を、「代始めの徳政」と呼びます。
◇応安元年(1368年)◇
前年に二代将軍義詮が死んで、義満が家督を相続しました。そして、応安元年6月に応安の半済令が出されますが、この半済令は武士による荘園侵略を規制するという意味で、代始めの徳政の意味合いがあると評価されています(榎原雅治『室町幕府と地方の社会』)。なお、義満の将軍就任は同年の12月で、義満はこの年に数え11歳です。
◇応永15年(1408年)~◇
四代将軍義持が執政を始めると、「権利を侵されている荘園の返還を求める訴えが殺到した。幕府は基本的にこれに応じる方針をとった」(前掲書)というのも、代始めの徳政です。
代始めの徳政に対する不満の実例としては、前掲書に「しかし、寺社本所領が元の持ち主に返付される場合、その時点での知行者の権利とは当然ぶつかるから、争いの発生は免れない」ため、さまざまな訴訟が持ち込まれたことが分かります。
◇永享2年(1430年)~◇
六代将軍義教は、自ら土地紛争を裁定する御前沙汰を行いました。裁定結果は、寺社の所領返還の訴えを認めるものがほとんどで、御前沙は代始めの徳政という性格が強いものでした。
Q:律によると、納税できなかったときの罰はなに?
戸婚律の第二十五条に「輸課税物違期」という条文があります。
日本律が残っていないのですが、日本律は基本的に唐律と同じなので、唐律を引用します。
戸主不充者。笞四十。
要するに、期限までに納税しなかった戸の戸主は、鞭打ち四十回の刑に処されるという意味です。
日本律は、唐律よりも量刑が少し軽くなる傾向がありますので、日本では鞭打ち20~30回の刑ぐらいになったと推測されます。
もちろん、実態はどうだったかは別の問題です。

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