世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「【ベトナム戦争④】「Peace, Peace, Forever!」はこちら)
動画版:「【ロシア近現代史①】戦争と革命とレーニン」
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
新しい項目に行きます。ロシア、ソ連、ロシア。そのあたりのロシアという大国を見ていかないと、アメリカ、ロシア、最近はアメリカ、中国ですけれども、東西冷戦のところもきちんと見ておかないとっていうことですよね。
青木:
そうですね、戦後の歴史、第二次世界大戦後の歴史を見ていくときに米ソ冷戦が理解できなかったらなにもわからないですね。
中島:
このロシアという国を改めて掘り下げるときに、やっぱり日露戦争というか、革命が起こったというところですよね。
青木:
そうですね、もともとロシアって皇帝がいる帝政の国だったんです。最後の皇帝がニコライ2世というね。
中島:
そうなんですよ。娘さん4人がいて、ものすごい国民に人気だったんですけれども、贅沢三昧みたいなので盛り上がってきて、そんなときに日露戦争をやりながら、日露戦争で日本は勝ったというふうに思っていて、いろんな国も「日本すごいな」というふうなことだけれども、実は革命の援助を明石元治郎大佐とかがずっとやっていたんですよね。
青木:
ロシアに勝つには相当のことをやっていかないかんということで、たとえばロシアに革命が起こったら、たぶん皇帝はこちらを鎮圧することに専念するだろうというので、革命をやるために、いろんな革命の闘士たちに援助したりするんですよね。
中島:
そういうことなんですよね。実は日露戦争の裏で明石元治郎大佐がずっとそういうことをやっていたんですよね。それで実際に革命が起こる。
青木:
第一次ロシア革命が1905年の1月に起きるんです。きっかけを作ったのが血の日曜日事件というやつで、老人や子供たち、旦那さんや恋人を戦場に送ってしまった女性たちが、皇帝がいらっしゃる宮殿にパンを求めるというデモンストレーションをやるわけです。それに皇帝を守っている軍隊が無差別発砲をやって数百人の犠牲者が出るという事件が起きるんですね。これを血の日曜日事件と。これがきっかけになってロシアが騒乱状態に陥るわけです。これを見て皇帝が「もう日本なんかと戦争をやってる段じゃない」というので、戦争を終結させることを決意していくわけですね。
中島:
戦争終結させることを決意して、そのあとどういうふうになるんですか?ロシアは。
青木:
いつも言いますけど、戦争を始めるのは簡単で、お互いに納得しながら終えるというのはなかなか難しいので、なかなか休戦の話し合いって持てなかったんです。そこにアメリカが入ってくるわけです。「俺が間に入ってやるわ」って。
中島:
アメリカの「間に入ってやるわ」という利益というのはなんだったんですか?
青木:
大きいですよ。アメリカって中国分割、中国を植民地化するについては、ヨーロッパや日本からすると一歩二歩出遅れていたんです。大した利権を中国に持っていなかった。
中島:
そう言われたらそうですね。
青木:
中国に利権を持てば利益になるとはっきりしていたわけです。ところが一歩を踏み出せなかった。というところで日露戦争が始まった。実際に日本の戦争をアメリカは財政的に支援するんです、イギリスと。ロシアを打ち破ってくれたらロシアが勢力圏下に置いている今で言う中国東北地方、昔で言う満洲、そこになんらかの利権を獲得しようと。
中島:
そのために出てくるわけですか。
青木:
そうそう。「終わらせてあげるよ」って。実際にセオドア・ルーズベルトという大統領が間に入ってくれて終わらせたんです。アメリカはどうしたかというと「俺のおかげでお前は勝てたよね、日本よ」と。「満州にハリマンという男が鉄道を作りたいと言ってるんだけど、よろしくな」って。日本はこれを拒否する。ここから日米の対立が始まっていくんです。
中島:
えー。日米の対立ってそんなところからですか。
青木:
それをどんどんたどっていったら太平洋戦争になっちゃう。
中島:
話が横道に逸れました。そしたらロシアはどうなるんですか?
青木:
ロシアはこのあともね混乱が続くんです。いったん皇帝の権力って安定化するわけです。革命運動を徹底して弾圧することに成功したので。それでホッとしたのも束の間、1914年に第一次世界大戦が始まっちゃうんです。僕が思うにはよせば良いのに参戦して。
中島:
ロシアが?
青木:
はい。ドイツ、オーストリアと戦ってずっと劣勢なんです。とにかく戦争でたぶん200万人ぐらい戦死者が出るんです。
中島:
ロシアですか。
青木:
うん。たぶん第一次世界大戦で1番か2番ぐらい大きな被害を受けてますね。
中島:
僕の印象は国土はでかいけれども、田舎の遅れた大国ですよね。
青木:
そんな感じですね。教育水準も非常に低くて、当時のロシアって工業があまり発展していないので、基本農業国なんです。人口の大多数も農民なんです。その農民たちを徴兵して戦うんだけど、なかなか。
中島:
そりゃそうですよね。今まで鍬か鎌を持っていた人が、鍬か鎌、全然違うかもしれませんけど、そういう人たちが戦争と言われても、なかなか行けないですよね。
青木:
さらにはなんのために戦うかという目的意識というか動機付けというか、それもあまりない。その中で人々がバタバタ戦争で倒れていく。食料も足りなくなってくるという中で1917年の2月。
中島:
第一次世界大戦中です。
青木:
に革命がまた起こる。
中島:
えー。第一次世界大戦によせば良いのに参戦しているときに、自国で革命が起こっちゃうんですか。
青木:
これを二月革命と言いまして。当時のロシアの暦と我々が使っている今の暦は違うので、我々が使っているグレゴリオ歴だと3月になっちゃうんですけど、当時のロシアの暦に合わせて2月。二月革命が起こって。これも最初は自然発生的なデモから始まるんです。
中島:
二月革命というのは王政に対する反対運動という革命ですか?
青木:
というよりは戦争をもうやめたい、そういった一般市民の気持ちが爆発した、そういうあれです。誰から指導されたというわけでもなく。
中島:
自然発生的に起こる。
青木:
ちなみに最初にデモに立ったのは女性たちだった。国際婦人デーという女性の権利を記念する記念日がありますけども、それを口実に女性たちが街頭に出て行って、それにだんだん男たちが加わっていって、大きなデモになるわけです。それを見てニコライ二世が「これはこのまま皇帝の位にいるのは無理だろう」というので玉座から降りるわけです。
そのあとに臨時政府ができるんだけども、臨時政府も国民の期待に反して戦争を続けちゃうんです。ドイツに負けちゃうと領土を奪われる可能性があると。
中島:
ドイツがあって、ロシアがあって、こう来られるわけですもんね。
青木:
さらにはさっきも言ったけど、ロシアの工業って当時は上り坂だった。ちょっと離れたところで行われる戦争って、工業の発展にとってプラスになるじゃないですか。日本だって第二次世界大戦で工業はぺちゃんこになったけど、朝鮮戦争に息を吹き返し、ベトナム戦争でアメリカからいろんな注文が来ることによって高度成長の時代があったじゃないですか。それと同じようなことが100年前のロシアでも起こるわけです。工業で飯を食っている産業資本家の人たちはできれば戦争を続けてほしいなと。
中島:
みんな自分のことを考えちゃうんですね。
青木:
とりあえずはね。さっきも言ったように多くの国民からすると「あれ?皇帝がいなくなったのに戦争を続けるの?」「皇帝がいなくなれば戦争は終わると思ってたのに」というので不満が高まっていくわけです。そこに亡命地スイスからレーニンが帰ってきて、レーニンたちは弾圧が厳しくて国外に亡命している連中がほとんどだったんです。
中島:
なんで国外に亡命していたんですか?
青木:
弾圧が厳しかったから。
中島:
自分の考える国のあり方というのがロシアじゃダメだったということで国外逃亡したんですか?
青木:
そうですね。まずレーニンたちは帝政は認めない、皇帝が支配する政治は認めない。さらには19世紀にマルクスさんがおっしゃったように富を再分配して平等な社会を作りたいと、あまりにも当時のロシアは貧富の差が激しいよと。特に多くの農民たちですね。土地をまったく持っていないか、少ししか持っていないか。多くの国民が貧乏で苦しんでいる。なおかつ戦争に駆り出されると。この状況に終止符を打ちたいと。
中島:
ということで帰ってくるんですね。
青木:
そうですね。帰ってきて、労働者や兵士たちを組織して、10月に革命をやって、戦争を続けている臨時政府を打倒して、レーニンたちが権力を握るわけです。
中島:
それっていうのは第一次世界大戦の終わるか終わらないかぐらいのことってことですか?
青木:
そうですね。
中島:
国は大変なのに第一次世界大戦に参戦し、なんだかんだずっとやっていたわけですね。
青木:
そうです。1917年に2回目の革命が起きるんです。2回目の革命のときにレーニンたちが権力を握るわけです。自分たちが思うような国、いわゆる社会主義と言われる、社会主義に基礎づけられるような国を作っていく。
中島:
ここからまたロシアがどんなふうになっていくかというのは次回お届けしますので、どうぞお楽しみに。
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