世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「【ロシア近現代史④】第二次世界大戦とソ連」はこちら)
動画版:「【ロシア近現代史⑤】冷戦・原爆・宇宙」
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
ロシア、ソ連、ロシアというのを見ていってる最中ですけれども、第二次世界大戦というところまで今行って。ただひとつ、この第二次世界大戦が終わって北方領土に攻め込まれて、あれは日本にとっては「え?なにが起こったの?」というところはありますよね。
青木:
そうですね。ポツダム宣言の受諾を昭和天皇が表明して、そのあとに千島列島に来るわけですよね。
中島:
空白のたかだか1週間ぐらいでうわっと来ちゃうんですよね。
青木:
しかもその基本、ソ連の軍事行動も基本的にはアメリカとの密約、ヤルタ会談の秘密協定ですね。それで決定されていたんですけどね。
中島:
これってアメリカには言ってたんですね「俺たち行くよ」という。
青木:
というかルーズベルトが認めていたんですよ。もともと日本とソ連って戦争状態になかったので。
中島:
そうですよね、不可侵条約というのがずっとあったんですよね。
青木:
教科書では日ソ中立条約と書いてありますけどね。不可侵条約とも言います。
中島:
ですよね。
青木:
その条約を結んでいたので、日本とソ連の間には戦争行為はなかった。ところが最後の最後の段階になって、アメリカとしてもソ連に参戦してくれと。日本を早く降伏させたいと。その話をヤルタ会談でやって、もし攻めてくれるんだったら欲しい領土は差し上げますよと。日露戦争で失った樺太の南半分と千島列島は差し上げますよと。
中島:
これって日本というか、あそこらへんに住んでいた人たちも「え?どうすりゃ良いの?俺たち」ということですよね。
青木:
そうですね、特に今北方領土と言われている地域ですね、国後、択捉、歯舞、色丹。1万7000人ぐらい日本に住んでたんです。その人たちは強制退去ですよ。
中島:
兵隊さんも歯向かって良いの?戦って良いの?というところが。
青木:
一部には戦闘がありましたよ。
中島:
そうらしいですね。亡くなっている人もいらっしゃるということらしいんですけど、まあまあここはひとつは言っておかなきゃいけないだろうなと思って。
なので日本の領土だということで、ここまで言って良いですか?九州の人たちって、我々は九州福岡ですけど、遠いのでわからないのですが、北海道に住んでいる人で、あの島があそこまで見えていて、じいちゃんばあちゃんがあそこの出身という人たちにとっては、これは胸締めつけられる思いでしょうね。
青木:
目と鼻の先ですよ。見えるしね。
中島:
見えるんですよ。
青木:
しかも漁場としては天下一品ですよ、あそこは本当に。
中島:
なんであれを取られて国はずっと何十年も70年もなかなかどうもできないの?って思うというところはありますよね。
青木:
北方領土はきちんと今度話しましょう、この問題についてはね。
中島:
ソ連がそうやって第二次世界大戦で戦勝国、急に戦勝国に入っちゃったみたいなところですよね。
青木:
もちろんドイツとは、基本的に戦っているのはソ連だった。日本に対しても急に戦勝国になって。
中島:
そうですね、それでそこからどうなっていくんですか?
青木:
戦後はなんといってもアメリカとソ連の冷戦ですよね。
中島:
ここで急にまたアメリカとソ連がヤルタ会談でお話していたにもかかわらず、急にここで「え?」ってことになるんですよね。
青木:
大きいのは原子爆弾ですよ。アメリカが原子爆弾を早く開発して、しかも実戦で使ったでしょ。威力もわかったじゃないですか、あんなすさまじい威力を持っている。それを見てスターリンがビビり始めたんです。
中島:
実際にあれを使ったなんていうのはありえないですからね。
青木:
ありえないですね。殺戮ですよ。
中島:
というか、しかもその前にも焼夷弾で福岡だったり相当焼き払われましたけど、東京大空襲だってなんの、ここのところを言い出すとまた変な話ですけど、基本的に戦争というのは市民を巻き込んではいけないという国際法はあるんですよね。
青木:
基本的にはですね。非戦闘員がいるところを攻撃する、無差別爆牌というやつですね、日本はこれをやったんですけどね、中国の重慶に対して。一方でアメリカはその何倍の規模で日本に対して爆撃をやったんですよね。
中島:
あのあたりの戦争でそういうことが
青木:
当たり前になっちゃったというかね。
中島:
ということですよね。話がどうしてもすいません、横道に逸れました。そこのところはどうしても語っておかなきゃいけないかなと思いまして。それで原爆を見て怖くなる、アメリカが怖くなる。
青木:
基本的に我々ソビエトと資本主義の陣営は相容れないんだと。スターリン自身、なんべんも言っているように疑い深い人なので、アメリカの持っている核兵器がソ連に対して行使されるんじゃないかと。じゃあ我々も開発をしようというので、アメリカから遅れること4年で、1949年にソ連も原子爆弾を開発するわけです。
中島:
これってどうやって開発するんですか?
青木:
ソ連という国は国民の欲望、国民の消費生活に対応する、そういう経験はないけども、軍事力とかああいう巨大プロジェクト、これは得意なんですよね。共産党という司令塔があって、それこそ全国から有無を言わさず頭の良いやつを集めてきて研究させていくわけでしょ。だから巨大プロジェクトをやるについてはいわゆる中央集権型の政治システムというのは結構メリットが大きいんですよ。宇宙開発なんかも。
中島:
そうなんですよ。今僕が思っていたのはそこなんです。ガガーリン少佐が宇宙に行った、映画にもなってるんですけど、空軍の兵隊さんですよ、パイロットですよ。その人がずっと訓練されて、それは何人か候補がいるんですけれども、なんだかんだみんなでやりながら、最終的に名誉と思って行って、宇宙空間と言われる圏界面を越えたところで「地球は青かった」という言葉を残した、それはソ連のほうが早かったわけですからね。
青木:
人工衛星もソ連のほうが早いですからね。スプートニク1号って1957年。さっきも言ったように全国から頭脳を集めてきて膨大な予算を投下すると。そういうプロジェクトに関しては一党独裁の国というのはうまく動くんですよね。うまく動くと言って良いのかな、でもそうだろうね。
中島:
目標を達するために短期間でOKだと。
青木:
一方でたとえば日本とかイギリスとかアメリカは、一方で国民に対する社会保障とかを考えないかんから、そうやたらめったら軍事とか宇宙開発とかそういった関係の巨大プロジェクトにお金はやたらめったら投下できないんですよね。ソ連は国民の生活とかあまり考えていないから、最低限食わせておけば良いだろうぐらいのことしか考えていないから思いっきりやれるんです。
中島:
それでどっちにとっても脅威になっていったんですね。アメリカにとっても、ソ連にとっても。
青木:
ソ連が核兵器を持つとアメリカはビビるじゃないですか。アメリカはどうするかというと、じゃあ水素爆弾となるわけです。
中島:
それでビキニ環礁でのあの事故。
青木:
50年代ですね、54年かな。今度はソ連はソ連で「僕らも水素爆弾」と。
中島:
そこでどんどん兵器の開発競争にもなりますが、今度ソ連はいわゆる自分たちの経済システム政治システムを広げていくということにもなっていくと?
青木:
そうですね、広げるというよりは。
中島:
反アメリカだったらそっちに行くしかないということですか?
青木:
そうですね。もうひとつは自分の国を外国が攻められないようにするために、特にヨーロッパね、自分の国のまわりに自分の子分の国を作っていく。いわゆる東ヨーロッパの共産圏ですね。
中島:
それはどうやって作っていくんですか?
青木:
簡単ですと言ったら語弊があるけども、今日東ヨーロッパと言われている地域というのは第二次世界大戦中、基本ナチスドイツに占領された地域なんです。そこにはナチスドイツの軍隊がいるし、ナチスドイツの手先もいるわけです。それをソ連赤軍が追っ払いながら。
中島:
ということはそしたら子分になっていきますね。
青木:
そうそう。自分の子分たちを当てはめていくわけです。
中島:
人も配置していくということですか。
青木:
そうそう。自分の言うことをドイツ人、自分の言うことを聞くブルガリア人をジグソーパズルみたいにはめ込んでいくわけです。ソ連のまわりをしっかり防衛させる。これを西側がなんと言ったかというと、ソ連という太陽のまわりを回っている衛星、英語で言うとサテライト。衛星国という名前が一般的になるんです。
中島:
そうやって東西の冷戦というのができあがっていくわけですか。
青木:
そうですね。アジアでもいろんな、中国をはじめとしていろんな国を支援して、仲間を増やしていく。1953年にスターリング死んじゃうんですね。これは病気で。
中島:
でもそういう人がいなくなったらまた、独裁国家だから大変なことですよね。
青木:
そうですね。大混乱に陥るんですよ。ところがそのあとにソ連ではいわゆる集団指導制というのがとられる。ソビエト連邦って広大な領土を持っているので、全国ネットワークを持っている組織って3つしかないんですよ。ひとつは共産党。もうひとつは官僚組織。そして軍、赤軍ですね。それぞれを統括するリーダーが3人集まってソ連を運営していこうと。これをロシアの3頭立ての馬車にちなんでトロイカ体制と言います。
中島:
そういうことですか。
青木:
トロイカ体制ってときどき使いますよね、日本でもね。たとえば野球チームで監督とヘッドコーチとなんとかコーチでトロイカ体制で行くとか言いますよね。ここから来たんです。53年にスターリンが亡くなって、その年に朝鮮戦争も休戦協定を結び、このあたりからソ連が疲れてきて、アメリカと張り合うのに。雪解けというのが始まっていくんです。
中島:
そこからソ連の崩壊というのが。
青木:
まだまだです。
中島:
わかりました。ソ連の崩壊までは行きたいなと思ってます。
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