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【アメリカ黒人の歴史③】キング牧師とプレスリー【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0049】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


動画版:「【アメリカ黒人の歴史③】キング牧師とプレスリー

中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

ブラックライブズマター、公民権運動ここあたりから本当に熱く盛り上がるという感じですかね。


青木:

そうですね。1950年代ですね。前回も言いましたように第二次世界大戦で黒人の皆さんが兵士として、あるいは労働者として国を支える。そういったことが背景のひとつとなって黒人にも白人と同等の権利を認めるべきではないか、あるいは我々黒人が白人と同等の権利を持つべきではないか、そういう機運が高まっていくんです。それが50年代にいろんな運動を引き起こしていくわけです。まとめて公民権運動と言うんですけども、ひとつ大きな契機になったのが1954年、僕が生まれる2年前なんですけども、最高裁判所でブラウン判決というのが起きるんです。黒人の女の子でリンダ・ブラウンちゃんという女の子がいて、高校に進学すると。ところが当時の南部、白人の行く学校と黒人の行く学校が分けられていた。これは学校だけじゃなくて水飲み場も、公衆トイレも、あるいはレストランの席も、いわゆる南アフリカのアパルトヘイト、あれと同じように分離される。


中島:

たかだか70年ぐらい前ですよね。普通に白黒のフィルムでそういうバスとかも乗るバスが違うし。


青木:

あるいは異人種間の、要するに白人と黒人の結婚を認めないとか、多くの州が実はそうだったんです。


中島:

合衆国の悪いところですよ、合衆国ですから、州によって法律があるということですよね。


青木:

そのリンダ・ブラウンちゃん、すぐ近くに白人が行っていた高校があるわけ。そこは歩いて5分ぐらい。ところが黒人が通う学校だとバスで30分以上かかる。お父さんに「あそこの学校に行きたいの」と。お父さんが「あそこはホワイトオンリーだから行けないんだよ」と。リンダ・ブラウンちゃんが「おかしいじゃない」と。憲法で平等で規定されてるじゃない、なのに自分が行けない学校があるのはおかしいと。お父さんが「そうだよね」と。裁判になるわけです。

アメリカって憲法が絡むような問題というのは、憲法のいわゆる連邦裁判所というのが審議するわけです。最高裁まで行って、最高裁でリンダ・ブラウンちゃん、その主張は正しいと。だから黒人の学生を近くの高校は受け入れるべきだと。これをきっかけに教育における人種統合が進んでいくことになるわけです。

しかし差別はまだまだ根強く残っていて、たとえばバスの中でさっき言ったように白人が座る席と黒人が座る席が違う。これに異議を唱えたのがローザ・パークスという女性だったんです。彼女は疲れてバスに乗った。白人が座るべきところしか空いていなかった。彼女はそこに座って動こうとしなかった。すると警官がやってきて逮捕される。これがきっかけになって、モンゴメリーという街なんですけども、ここでバスボイコット運動というのが起こるわけです。黒人と白人を差別するようなバスの座席には座らないと。この運動を組織したのがキング牧師だったんです。

ちなみにそのキング牧師を最初から最後までずっと応援し続けたのがあのアメリカの大歌手のハリー・ベラフォンデなんですよ。ハリー・ベラフォンデさん自身はニューヨークの出身なんですが、お父さんお母さんはジャマイカのご出身で差別されてきた歴史を持っているわけです。キング牧師が最初にその運動をやって逮捕されて、保釈金は確かハリー・ベラフォンデが払ってます。

1957年にはアーカンソー州のリトルロックという高校で同じような問題が起きるわけです。黒人の学生たちが進学したいと。それを州政府が邪魔をすると。こういったことがきっかけになって、憲法には平等が謳われているのに、なんでそれが実行できないんだというので、全米で黒人白人、いろんな人種が平等であるという法律を作るべきだという声が高まっていくわけです。

ちなみに南部で人種統合、白人も黒人も共に席を並べて教育すべきだと、この動きが盛り上がっていたときに、南部の上院議員19人、南部の下院議員が70人、それに反対だというのを出すわけです。すごいですよ。国会議員が人種統合に反対する、そういう署名をするわけ。これを南部宣言というんです。

ちなみに南部出身でその署名に賛同しなかったやつが3人おった。そのうちの1人が誰かというとのちに大統領になるリンドン・ジョンソン。もう1人はアルバート・ゴア・シニアといって、クリントン時代のゴアさんのおじいちゃん。あの人は「それには賛同できない」と。「自分は南部出身だけど人種間の平等は進めるべきだ」ということで南部宣言には署名しなかったんです。

60年代に入ってケネディ政権が生まれ、副大統領がさっき言ったジョンソンなんです。ジョンソンさんというのはベトナム戦争のときにも話したけども、ベトナム戦争をエスカレートさせた人ということで、歴史的にはあまり評価はされていないんだけども、国内においては人種間の平等を進めた大統領なんです。

ケネディが暗殺された1963年の翌年の64年に公民権法というのが制定されて、全米で差別は認めないと。これに反する州法は認めないとなったわけです。


中島:

そこでやっと法律は全米レベルで制定されたということですよね。


青木:

ちなみにその公民法を制定する運動の先頭にもキング牧師がいて、63年8月、ケネディが暗殺される3か月前ですけど、ワシントンであの有名な演説をするわけですよ。


中島:

I have a dream


青木:

「私には夢がある。どういう夢があるかというと、かつての奴隷主の子孫、白人の子どもたちと奴隷の子孫が仲良く教室の同じ席で仲良く勉強する。そういう夢がある」というんです。自分たちの子ども、黒い肌を持った自分たちの子どもがその肌の色によってではなく、その人の持つ性格、才能、それによって評価される時代が来ること、これが私の夢だと。15分前後の短い演説なんですけどすばらしいですよ。


中島:

たぶんそれこそYouTubeとかでもアップされていると思いますので。


青木:

フリーでダウンロードできたりもしますのでぜひこれはお聞きいただきたいと思います。最後にベルを鳴らそうと、その声を神様もお聞きになるだろうと。なんべん聞いてもきますよね、締め付けられるんですよね。


中島:

でもその頃にいろんな人たちがいたから、キング牧師という人がいたかと思うと、それこそマルコムXという。キング牧師は非暴力というのを言って自分たちの運動をしていこうというふうに言っていたんですけれども、マルコムXという人は暴力には暴力で立ち向かわないと自分たちの権利は獲得できないんだと。


青木:

さらには白人と黒人は平等じゃなくて俺たちのほうが上なんだと、そういった声も出てくるんですよね。一方、政権のほうはなにをやったかというと、公民権法の制定に力を尽くすだけじゃなくて、ジョンソン大統領のもとでアファーマティブアクションという動きが出てくる。なにかというと、特に黒人の皆さんはいろんな社会システムの中で差別されてきた。だからハンディキャップを持っている。それを是正するために、たとえば大学入学で黒人の枠を作る、優先枠を作る。あるいはお役所なんかに就職させるときにも黒人も枠を作る。教育水準が低いのでどうしても普通の試験なんかをやったりすると黒人の皆さんはふるい落とされるんです。それに対してそういった歴史を鑑みて、黒人であるということでちょっと引き上げる、ゲタを履かせる、悪い言葉で言うとね。そういったことで積極的に差別を是正していこうという動きが出てくるんです。

すると今度はそれに対して「これは白人に対する差別ではないか」と。同じ点数を取っている、あるいは黒人より高い点数を取っているのになんで僕が入学できないんですか?と。高い点数を取っているのになんでここに就職できないんですか?と。声としてはわかるんですよ。そういう声がだんだん一方で高まっていく。その声を背景に、その背景をひとつに政権を握ることに成功したのがロナルド・レーガンなんです。80年代からいわゆる白人の保守派を中心とした保守革命というのが起こってくる。基本的にはトランプさんなんかもその延長線上にいるんですよ。

ちなみに言うと人種間の平等というのはそれこそ50年ぐらい前に比べるとかなりも進んできたというふうに僕は思います。じゃあ完全に人種間の垣根というのがなくなったかというと、なかなかそれは難しい。


中島:

最近の話を聞いていても、肌が黒いことによってなにかあったときに撃たれるかもしれないということを親が子どもに教えるらしいんですよ。「なにかあったときには絶対に抵抗するんじゃない」とか、そういうことを教えなきゃいけないという、今ですよ、今の話。そんなことがあるんだなって思って。


青木:

あるいは教育の分野でも人種統合されるじゃないですか。すると白人も黒人も通っている学校には白人の保護者たちが「あそこには行かせたくない」というので、郊外の私立高校とか、そういったところに行かせるようにする。行政の面では教育における人種統合って進んでいくんだけども、でもそれをお上が進めていけば進めていくほどそれに反発する人たちも出てきて、実際には黒人が多数派を占める学校と白人が多数を占める学校と、実際には分かれてしまう。

さらに70年代から80年代にアメリカのいわゆる第二次産業、これがダメになりますよね。コンピューターとか医学とか、そういう高度な教育が必要とされるような産業がアメリカの中心になっていく。となると、教育的なハンディキャップを持っている黒人たちの多くがなかなかそれについていけない。

一方で自動車産業、これまで黒人の労働力によって支えられてきた自動車産業なんかはダメになる。どうなるかというと、黒人の貧困化が進んでいっちゃうんです。


中島:

ここで格差が出てきて、また軋轢が出てきているというのが今の現状だなというふうな。


青木:

黒人と白人間のいろんな格差というのは60年代70年代よりも今のほうが広がっていると言います。特にかつての繁栄した大都市デトロイトとかシカゴなんていうところは荒廃が激しいと。都市の真ん中のあたりには黒人居住地域があって、白人たちが郊外に移り住んでいる。事実上の人種隔離みたいなものが現実には起こっている。


中島:

これは本当に、混ざって住んでないということなんですよね。


青木:

昔はアメリカのことを人種のるつぼと言ってたんです。いろんな要素が溶け合ってひとつの合金をつくっている。今は使わないですもん。今は人種のサラダボール。それぞれの具材が。


中島:

レタスがあったりキャベツがあったりという。


青木:

そうそう。でも融合はしていない、そういう言い方をするんですよね。


中島:

この問題が根深くてどこに糸口があるかというのがなかなか見えないということですね。


青木:

ただ僕はアメリカを基本的には信頼しているのは、とんでもないことを言う人たちが出てきた場合に必ずそれに対してカウンターが出てくるんですよ。そういった人たちの声がだんだん大きくなっていく。たとえば去年の大統領選挙も僕はそういった動きの表れだったんじゃないかなと思うんですよね。

一方で差別を良しとする人たちがたくさんいることも事実です。でもそれを上回るような声が必ずアメリカに出てくる。そういったところはアメリカを信頼してるんですよ。


中島:

ブラックライブズマター。音楽の話とかはあまりしなかったですね。


青木:

ロックンロールとかね。ロックンロールってすごいですよね。黒人のリズムアンドブルース、これとカントリーアンドウェスタンが


中島:

合体したという。


青木:

音楽の面でも垣根を超えるような動きというのが50年代に展開するんですよね。その先例をつけたのがプレスリーですね。


中島:

だからやっぱりすごいですよね、プレスリーのやったことというのはですね。


青木:

あれを初めて聞いた人たちは黒人が歌ってるとみんな思ったらしいです。


中島:

ブラックライブズマターでした。皆さんすごく考える回だったんじゃないかなというふうに思います。








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