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ロシアによるウクライナ侵攻②【キエフ公国とモンゴル帝国】【青木裕司と中島浩二の世界史ch:0143】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。

ロシアのウクライナ侵攻から、ウクライナ・ロシアの関係ということで、前回イントロダクションである程度ウクライナの知識、それでもウクライナの人口がどれぐらいなのかとか、国土がどれぐらいなのかとか。


青木:

おっしゃったように基礎知識の確認ね。場所は前回も申し上げたようにこのあたりで、広さが60万平方キロメートルなので日本の1.6、7倍ぐらいですね、広いです。ちなみ言うとロシアを除けばヨーロッパの中では一番広いですね。

中島:

国土がですか?


青木:

フランスとかスペインよりもちょっと広いんです。人口が4300万人なので日本の3分の1。とにかく平原なんです。山はほとんどないかな、80数%平原なんですよ。日本は7割山地じゃないですか。非常に平坦なところで、ドニエプル川という川が南北に貫流していて、特に国土の南のあたりはチェルノーゼム地帯といって、黒土地帯といって土が黒い。それぐらい養分に満ちた土地で、穀物を植えればめちゃくちゃ採れるんです。ヨーロッパでたぶん一番豊かな場所です。昔からヨーロッパのパンかごとかね。


中島:

いわゆる本当にいろんなものが作物として作られている農業国という言い方ですよね。


青木:

そうですね。工業もソ連時代には発展するんですけど。あと民族の名前がなにかというと、いわゆるウクライナ人で、民族系統、言語による分類だとスラブ人に属するんですね。ちょっと地図を作ってきたんですが、色がついているところが現在スラブ系民族が多数派を占めている国ですね。

ロシア・ベラルーシ・ウクライナ、緑色で、なんで色が違ったかというと、もともとスラヴ人、赤い丸をしていますけども、このあたりに住んでいたんです。今のウクライナの北部からベラルーシのあたりまで。このへんがいわゆるスラヴ人の現住地。これが時代によって、1500年ぐらい前に分かれていくんです。

西のほうに行った連中を西スラヴ人といって、彼らが作った国が今のポーランドやチェコやスロバキア。そして一部がアドリア海の沿岸、南ヨーロッパに行くんですね。旧ユーゴスラビアあたり、今で言うセルビアとかスロベニアとかクロアチアとかモンテネグロとか。ああいった地域に移住していったスラブ人たちがいて、これを南スラヴ人という。南のことをスラヴ語で「ユーゴ」と言って。


中島:

それでユーゴスラビアなんですか。


青木:

ユーゴスラビアというのは南スラヴ人が連携して作った国ですよということなの。現住地を中心にこのへんに居残った人たちがいわゆる東スラヴといって、この人たちが現在のロシア・ベラルーシ、それからウクライナの多数派の民族になってるんですね。

中島:

個人的な感想ですけれども、はっきり言います、スラヴの女性はものすごく美しいと思います。


青木:

ニュース映像なんかに出てくる人たちもなんか。


中島:

もう本当、モデルさんという感じがしますよね。


青木:

ちなみに、言語の話をしたのでついでに言っておくと、現在のウクライナの言語状況、よく言われるのはウクライナには実は2つの国があると、そして2つの民族が住んでいる。真ん中を流れているドニエプル川の西と東では実は歴史も違うし民族もある程度違ってくるんです。特に日常使っている言語、これがかなり違うみたいで、緑で示した部分はいわゆるロシア語を普通にしゃべっている人が5%以下の地域。ウクライナ語、スラヴ語の一種ですけどもそれを使ってる人がほとんどの地域。東のほうに行きますとロシア語を使っている人たちの数がだんだん増えていくと、そういう感じなんですね。

これは僕も知らなかったけど、同じスラブ系の言語なのでウクライナ語とロシア語ってよく似てるんだろうなと。


中島:

いわゆる方言のレベルなんだろうなというふうに思ったら。


青木:

思ったらかなり違うぞという話なんですね。


中島:

ということは成り立ちが違うということで良いんですかね。


青木:

文法なんかは結構似てると。使っている単語なんかは共通の単語って結構あるけども、これはソ連時代にウクライナ語の勉強みたいなものが弾圧されるんですよね。ロシア語に統一しようという、特にスターリンの時代に言語の統一というのをスターリンがやろうとするわけ。ウクライナ語、ウクライナ文化を弾圧していくんですね。その中でロシア語の単語がどんどんウクライナ人の間に入っていく。僕らも日本人も第二次世界大戦後、アメリカに占領された時期があったので、日常会話の中に英語の単語がバンバン入ってくるじゃないですか。英単語抜きで語れない。


中島:

外来語はなかなか抜きでは難しいですね。

青木:

それの同じような状況というのがウクライナにもあるみたいで。ただ違うのは違うらしいですね。たとえば「ありがとう」、ロシア語だったら「スパシーバ」ですね。ウクライナ語だと「ジャクユー」。


中島:

成り立ちが違いますね。


青木:

ちなみに隣国のポーランド、かなりこれに近いですね。ポーランド語だと「ジェクチー」。


中島:

近いですね。


青木:

成り立ちからするとどっちかというとポーランドに似ているというのは言えるということですね。

そのウクライナを中心とした地域の歴史なんですが、まず国ができたのがいつぐらいかと。これはだいたい今から1200、300年ぐらい昔ですね。これも地図を作ってまいりました。

ピンク色で示した部分に国ができるんですね。先ほど言ったようにこのあたりには東スラヴ系の人たち、これがたくさん住んでいたんですが、そこに侵略してくる連中がいるんです。これがヴァイキング。もともと今のスウェーデンとかノルウェーとかデンマークとか。橙色で示しましたけども、この辺に住んでいたヴァイキング、世界史用語ではノルマン人というんです、北方に住んでいる人々と言うんだけども、そのノルマン人の中のスウェーデン系の連中がドニエプル川流域の地域に侵略をしてくるわけですよ。侵略してきたやつの名前がリューリクというやつで、彼が率いた部族の名前がルーシ族というんですね。このルーシという部族名がロシアという言葉の語源になった。

というふうに世界史の教科書すべてで書いてあるんだけども、ロシアの歴史学者はこれを否定してまして、よそ者の部族の名前なんかじゃなくて昔からロシアというのがあったんだと。ただ、世界史ではダメですよ。受験情報としてはこれはダメなんです。


中島:

ほとんどの歴史学者がそう言ってるということはそうなんでしょうね。


青木:

そのルーシ族がやってきてこのノブゴロドという街を中心に国を作って。寒かったので、その一部がドニエプル川を南下して、今のウクライナの中心としているキエフ、そこらへんを中心に国を作るんですよ。さっき言ったように国土は肥えている。穀物もたくさん穫れると。しかも海をまたいでビザンツ帝国という大国家があって、これとの交易で非常に発展をするんですね。9世紀の後半に国を作って、ちなみに伝説の建国者の名前がオレーグという人で、

10年くらい前だったかな、日本のフェンシングチームが銀メダルを獲った。あのときの日本のナショナルチームのコーチの人がウクライナ出身で名前がオレーグさんといったんです。日本で言うならヤマトタケルノミコトみたいな感じの名前なんですよ。オレーグという名前の人がいるんだと思ってね。


中島:

そのときにもうウクライナという?


青木:

いや、ウクライナという言い方はないです、まだ当時は。


中島:

ウクライナのもとになった国がそのころ。


青木:

いわゆるキエフ公国と言ったり、もしくはキエフルーシと言うんです。先ほど言ったように南にあるビザンツ帝国、別名東ローマ帝国とガンガン貿易をやったりして、貿易をやるだけじゃなくてキリスト教も広まってくるんです。ビザンツの都がコンスタンチノープルといって、ここはギリシャ正教会というキリスト教の一派の総本山なんですよ。だからカトリックとは違うんです。そのギリシャ正教系のキリスト教が伝わってきて、多くのキエフの人たちがキリスト教に改宗すると。ますます貿易も活発化してキエフ公国は大発展するわけです。

その大発展したときの君主の名前がウラディミル1世という人で、

「ウラディ」というのは「征服する」とか「支配する」という名前。「ミル」は「世界」とか「平和」とかいう意味なんです。ちなみに言うとプーチンの名前、ウラディミルでしょ。それから付けたということじゃないかもしれないけれども、偶然だと思うんですけども、ウラディミル1世の時代に全盛期を迎える。

ところがそのキエフ公国が13世紀に外国の侵略によってほぼ滅亡するんです。誰が滅亡させたかというと、モンゴル帝国


中島:

みたいですね。モンゴル帝国ってそこまで行ってたんだという。

青木:

行くんですよ。もちろんモンゴル高原が拠点なんだけども、中国を支配したり、朝鮮を支配したり、日本にも攻めてきたりね。一方でその一部隊が西のほうに攻めていって、ポーランドとドイツの連合軍なんかを打ち破ったりするんですよ。これも地図を書いてきましたけども、このあたりでドイツ・ポーランド連合軍を打ち破るんです。ワールシュタットの戦いといって世界史の教科書には必ず載っています。このへんが森林地帯だったので、草原の民モンゴル人、ここから西側には侵略しなかったんです。わりと平原で草原地帯のこのあたりに根拠地を作って、キプチャク=ハン国という国を作るんです。その都がヴォルガ川の下流にあるサライという街で、ここを中心に今のモスクワもキエフも支配されてしまうわけですね。

中島:

そのときのモンゴル帝国で征服に来るというのはやっぱり当時のモンゴル人なんですか?


青木:

モンゴル人、はい。ちなみに言うとそのままあの地に居座った人たちがいて、これはロシアタタールといって。今のロシア連邦なんかの少数民族タタール人、モンゴル系の人たちがいますもんね。

ついでに一言言っておくと、支配下に入るじゃないですか。キエフ、このラインは今の国境線なんですけどもその北側にベラルーシというところがあって、ベラルーシは日本語で白ロシアと言いますよね。「ベラ」というのは「白」という意味なんです。昔の地図なんかには白ロシア共和国とか書いてあった。なんで白なのかと、諸説あるんですが、ひとつは住んでいる人たちの色が白いと。もうひとつの有力な説がなにかというと、モンゴル人たちは陰陽五行説なんですね。自分が拠点にしているサライの街を拠点に、まわりの方角を5つに分けて色をつけるんですよ。


中島:

じゃあ白の方角ってことですか。


青木:

そうそう。ベラルーシの方角が白の方角だったらしい。ちなみに言うとウクライナは赤い方角だったので赤ロシア。モスクワの方角は黒い方角だったので黒ロシアと言うんです。昔ロシアのテロ組織に黒100人組というのがいて、たぶんこれはこのへんから名前が来ていると思います。

こうしてモンゴル人が13世紀にやってきて約200年間、今のウクライナ、そしてロシアの平原地域、あるいはベラルーシ、こういったところを支配することになるわけです。200年後の15世紀の後半にモスクワを拠点とする国がモンゴル人を蹴散らして、このあたりで大きな力を持つわけなんですね。そこからが。


中島:

次回ということになります。








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