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執筆者の写真順大 古川

ハマス・イスラエル戦争(6)イギリスの「三枚舌外交」(復習)【青木裕司と中島浩二の世界史ch:276】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


青木:歴史を紐解けば未来が見える。河合塾世界史講師の青木裕司です。本来なら私の反対側に中島浩二さんがおられるんですが、急なお仕事が入られて、今日だけ、1回分だけ私だけでご容赦いただきたいということです。

前回の収録が10月16日、その10日ほど前にハマスがイスラエル領域内に攻撃を展開、それに対してイスラエルが猛烈に反撃をして、この収録、11月の8日に行っているんですが、おととい段階でイスラエル側の死者、犠牲者が1400人前後、さらに200数十人の人質がハマス側に捕えられていると。

一方でイスラエル軍の攻撃の結果、ガザのハマスの戦闘員と一般市民の間に少なくとも1万人以上の犠牲者がもう出てるんです。ちなみに申しますとイスラエル側の犠牲者1400人、これはハマスが攻撃を展開した10月6日から7日、この2日間に集中していまして、そのあとはほとんどイスラエル側に犠牲者は出ていない。言い換えるとそのあとガザ地区の人たちが一方的に攻撃にさらされていると。特に人口、だいたいガザ地区には200数十万人、人々が住んでいますけども、半分以上は未成年なんですが、子供たちが3000人から4000人ぐらい戦闘に巻き込まれて命を失っていると、そういう状況です。

これに対して日本も含めて国際社会がどういうふうに対応すべきなのか、そして我々がどういう声を挙げるべきなのか、これは次回、中島さんを交えてお話をしていきたいと思うんですね。

今日は、以前このチャンネルでもやったんですけども、そもそもパレスチナ問題、どのようにして起こったのか。よく言われるんですね、イギリスの三枚舌外交がその原因を作った。これについてちょっと補足の説明をしておきたいと思うんです。

このチャンネルでも先ほど言ったように2年ぐらい前かな、お話をしたんですが、今日は地図なんかを交えてご説明したいと思うんです。

イギリスが悪い、イギリスの三枚舌外交、話は100年前、第一次世界大戦中(1914~1918)に遡っていきます。第一次世界大戦と言いますと主戦場はヨーロッパで、一方の側にドイツ・オーストリア。これと戦ったのがイギリス・フランス、そして当時のロシア帝国。第一次世界大戦中にロシアでは社会主義革命が起こって、いわゆるソビエトロシア、のちのソビエト連邦ができるんですけども、当時は帝国、皇帝陛下がいらっしゃったドイツ・オーストリアとイギリス・フランス・ロシア。これを主たる対決構造として戦争が始まっていくわけですね。

1914年、第一次世界大戦が始まり、その翌年、1915年にイギリスがアラブ人勢力との間に有名な協定を結ぶわけです。その名称がフサイン・マクマホン協定。別名フセイン・マクマホン協定とも言います。

フサイン、フセイン、この人はどういう人かというと、当時トルコの支配下にあったメッカ、メッカの豪族なんです。ハーシム家というお家の出身で、ハーシム家と言いますとイスラム教における偉大なる予言者、ムハンマド、マホメットという言い方もありますけども、マホメット、ムハンマド直系の家系。こういう言い方をして良いのかな、イスラム世界で一番由緒のある家系の出身なんですが、当時のメッカ、そしてもうひとつの聖地であるメディーナ、こういった街々はいずれもトルコ人の支配下にあった。

地図を準備してまいりました。今のイスタンブルに都を持っているのがオスマン帝国。トルコ人が支配する国なんですけども、その支配領域の中にアラブ人、このあたりですね、アラブ人がたくさん支配されていると。先ほど言いましたようにメッカ、メディナというイスラム教における二大聖地、これにエルサレムを含めて三大聖地、イスラム教における三大聖地という場合がありますけども、これがいずれもオスマン帝国の支配下にあると。

そのメッカ出身の豪族であるフサインにイギリスが接近をするわけです。ご覧のようにイギリスの植民地、ピンク色で示してるんですが、アフリカのエジプト・スーダン、そしてイギリスにとって一番大事な植民地がインドなんですね。

近代イギリスの発展はインドの犠牲の上に成立をしていると、イギリスにとってインドというのは最大の原材料供給地であり、そしてマーケット、さらには資本投下先でもあったわけです。そのインドをイギリスは防衛したいと思っていたんです。第一次世界大戦が始まったときにイギリスは恐怖するわけですよ。なぜならばイギリスが戦っているドイツ、そのドイツの軍事同盟国がこのオスマン帝国だったんですね。

イギリスが一番恐れたのはドイツの同盟国であるトルコの力がイギリスの植民地であるインドに及ぶこと、あるいはイギリスの支配地域の中にはたくさんのイスラム教徒が住んでらっしゃいます。特にインドの中の今のパキスタンは基本的にイスラム教徒がたくさんです。バングラデシュもそうです。そういったところを当時のイギリスは支配をしておりました。アフリカにもイギリスの植民地がたくさんあって、そこにもたくさんのイスラム教徒が住んでいます。そういったイスラム教徒の皆さんがイスラム教の国であるオスマン帝国のほうに心を寄せている、それもなんとかしたいということで、イギリスはトルコ領内のイスラム教徒のアラブ人、これに接近をするわけですね。先ほど言いましたようにフサイン・マクマホン協定というのを結ぶわけです。マクマホンというのは当時イギリスがエジプトに派遣していた総督、高等弁務官という言い方をしていますけども、実際には総督と考えて良いでしょう。植民地行政の最高責任者ですね。

このマクマホンがフサインに都合10通の手紙を送ってあることを要求するわけです。「君たち、トルコに支配されてるだろ?トルコに対して武装蜂起をしてくれたら戦後君たちの独立を認める」と。これがいわゆるフサイン・マクマホン協定

ちなみにフサイン・マクマホン協定、先ほど言ったように10通の手紙がやりとりされるんですけども、一応範囲があって、この地図で橙色で示した部分、ここは除きますよと。

現在のレバノンとか今のイスラエル、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、こういったところが含まれている地域に関してはアラブ人が独占する居住地域とは認められないので、ここに関しては君たちの独立国家を作ることはイギリスは承認をいたしませんというふうに言ってるんですね。ただ、この色付けしたところにもいわゆるパレスチナ人と言われるアラブ人を中心とするイスラム教徒、たくさん住んでらっしゃるわけです。だから私の感覚で言うと「勝手に線なんか引くなよ」と。この色付けした地域を除く地域でアラブ人の独立を認めると言ってるんだけども、この地域にも、この色付けされた地域にもアラブ人がたくさん住んでいるわけですよね。だから私に言わせるとイギリスが勝手に線を引いちゃったなという感じなんですね。

一方でイギリスは、大戦が始まって3年後、1917年、イギリスはバルフォア宣言、もしくはバルフォア書簡というものを発表するわけですね。バルフォアは当時のイギリスの外務大臣。どういう内容を持った書簡、どういう内容を持った宣言かと言いますと、戦争、お金がいります。そのお金をユダヤ人勢力からお借りしたいと。当時ヨーロッパの金融業界を支配していたロスチャイルド家、このロスチャイルドに向かってイギリスの外務大臣バルフォアが手紙を送るわけですね。「あなたの力でお金をたくさん持っていると思われるアメリカのユダヤ系市民、この人たちからお金を集めて我々イギリスを支援していただけないか。その支援をしてくれるんだったら、お金をいただけるんだったら、我々イギリス、知ってますよ。ユダヤ人の皆さん、あなたがた、パレスチナに民族的な郷土、英語ではナショナル・ホームと言いますけども、これを作りたいと思ってらっしゃるんでしょ?」

実際今のパレスチナのあたり、3000年前にヘブライ王国(BC10世紀~)というのができまして、ダビデ王とかソロモン王とか有名な国王が登場します。あのあたりで繁栄を誇ったんですが、2000年ほど前にここに進出したローマ帝国、これに対して反乱を起こして叩き潰されてしまうんですね。パレスチナに住んでいたユダヤ人の多くが離散をすると。これを民族的離散、カタカナ表現でディアスポラと言います。「散り散りバラバラになったユダヤ人の皆さん、もう一度パレスチナに国を作りたい、あそこに住みたいと思ってらっしゃるんですよね。イギリスはそれを承認いたします、お金を貸してくれるならば」と、こういう交換条件のもとにイギリスはユダヤ人に接近をするわけです。確認しますけどもバルフォア書簡、もしくはバルフォア宣言というのが出されると。

かつてユダヤ人が国を作っていたエリアというのはこの色付けをしたエリア、その南のほうですね。今イスラエルやヨルダン西岸地区、そしてガザ地区のあるあたり。一応イギリスはフサイン・マクマホン協定でこの色付けをした地域はアラブ人の独占する地域とは認めないとは言ってるんですが、先ほども言いましたようにアラブ人がたくさん住んでらっしゃるわけですよ。そこにユダヤ人の皆さんのナショナル・ホーム、これを作ることをイギリスは承認すると。国家を作ることを認めるとは言ってないですね。このへんは微妙。さらにバルファ書簡の中には、ここに住んでいるアラブ人、イギリスも知ってるわけですよ、アラブ人が住んでることを、いわゆる今日のパレスチナにね。「パレスチナに住んでいるアラブ人の利害を損なわない限りにおいて」と、こういう但し書き、私から見れば単なるアリバイ的な文章に過ぎないんですけども、とにかくそこに、パレスチナに君たちの民族的郷土、ナショナル・ホームを作ることをイギリスは認めます

明らかにアラブ人が住んでいるところにユダヤ人が移り住んでくること、そしたらそこにトラブルが多発すること、容易に予想できるんですけども、とりあえずイギリス、戦争に勝ちたいために、戦争に勝つためのお金を確保するためにこういう宣言、こういう書簡をユダヤ人勢力に出してしまった。

一方イギリスがひどいなと思うのは、ある意味ユダヤ人勢力も、そしてアラブ人勢力も裏切るような約束をイギリスはフランスそしてロシア、これとの間に結んでいるんですね。これがサイクス・ピコ協定(1916)と言いまして、サイクスはイギリスの外交官、ピコはフランスの外交官、両者の名前を冠して関してサイクス・ピコ協定と言います。

どういう内容かというと、第一次世界大戦が始まるまでオスマン帝国、要するにトルコ人が支配していた領土の一部をイギリス・フランス・ロシアで山分けしましょうと。お互いに勢力範囲を認めましょうということですね。

真ん中の青い部分、これがフランスの勢力圏。そして黄色い部分、これがロシア帝国の勢力圏。そしてピンクで示した部分がイギリスの勢力圏。じゃあパレスチナはどうかというと、パレスチナにはエルサレムという街があります。エルサレムという街はユダヤ教徒にとって、そしてキリスト教徒にとって、そして先ほども言いましたようにイスラム教徒にとっても聖地なんですね。よってこの地域は特定の国が支配するべきではない。これはそんなに間違った判断ではないのかなと思いますけども、そのエルサレムを含むパレスチナ地域については国際管理区域とすると。どこの国、特定の国が支配する領域としては認めないよと、そういうふうにしたんですね。ただそれ以外の地域については山分けです。こういったことを称してイギリスの三枚舌外交というわけですね。

第一次世界大戦が終わりますとユダヤ人たち、パレスチナに民族的郷土、ナショナル・ホームを作って良いんですよねというので、主要にはヨーロッパから移民が展開されるわけです。ただしその量は、移民の数はそんなに大した量ではなかったんですね。1919年から1929年までは毎年3000人程度、これが当時100万人のアラブ系イスラム教徒が住んでいたパレスチナにやってくるわけですね。10年間で3万人なのでトラブルが起こらなかったとは言いませんけども、小競り合いみたいなことありましたけども、そんなに大きなトラブルにはならなかった。ところが1930年の後半から状況が変わるわけです。1931年から1932年までのたった3年間の間に、主要にはヨーロッパからパレスチナに向かってやってくるユダヤ人の移民の数、激増いたします。3年間で65万人。1年間単位でいうと20万人ずつ入ってくるわけです。65万人。

もともとこのパレスチナには約100万人のアラブ系イスラム教徒、パレスチナ人と言われるアラブ系イスラム教徒の皆さんが住んでいました。100万人と新たにやってきたユダヤ人60数万人、これは大きなトラブルになりますよね。こうして30年代に入ってパレスチナを巡るアラブ人とユダヤ人のトラブルが頻発をするようになっていく。なんでユダヤ人の移民の数が激増したか、それは1929年以降、ドイツを中心にナチスが台頭してヨーロッパ全体で反ユダヤ主義が台頭すると多くのユダヤ人が思ったんですね。ヨーロッパに住んでいたら命を失うかもしれない。こういった恐怖感から多くのユダヤ人たちがパレスチナを目指してやってくるわけです。

イギリスは慌てました。そんなにユダヤ人がやってきたらこれはアラブ人との衝突が激しくなる。実際に大きな衝突が何回も起こるわけです。というので、イギリスはユダヤ人の移民を制限すると。そういった政策に出るわけです。これに反発した人たちの中に反イギリスのテロ組織が生まれるんです。

かつてイスラエルの首相をやってらっしゃいましたベギンさん、このかたはもともと反イスラエル(反イギリス)のテロ組織の活動家の1人だったんですよね。ちなみにそのイスラエル人、ユダヤ人の反イギリステロ活動、これを題材にした映画があの「栄光への脱出」という映画ですね、ポール・ニューマンが主演しましたけども。中でも何回かイギリスに対するテロ活動が出てきます。

「イギリスは我々ユダヤ人にパレスチナへの移民を認めてくれたのではないか。なんで制限するんだ」ある意味当然の怒りではあったかなと思うんですね。

ということで、ちょっといろんな話もしましたけども、今日のパレスチナ問題のきっかけを作ったイギリスの矛盾する外交、これについて今回はお話をいたしました。

次回は中島さんも登場しますので、配信は1週間後になりますけどもよろしくお願いいたします。








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