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執筆者の写真順大 古川

田中角栄とその時代(3)戦後の混乱と衆院初当選【青木裕司と中島浩二の世界史ch:294】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


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田中角栄とその時代(1)田中角栄、生誕


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

田中角栄。角栄さんの人生を見ていく今日は3回目。戦後、太平洋戦争が終わったあと昭和20年からということですね。


青木:

戦争中のことをひとつ言っておくと、太平洋戦争中に彼は奥さん、ハナさんと結婚されるんです。



実はハナさんって連れ子で、8つぐらい確か年上なんです。このハナさんのお父さんが「田中君、良い人おらんかね」と。「子連れで1回別れてるんだけども、旦那とは」って。そしたら「私がもらいましょう」って。すごく気立ての良い人だったので「私がいただいて良いですか」ってハナさんと結婚されたらしい。

そういうことで年上の奥さんだったんです。1945年に戦争が終わる。その直前に実は理研コンツェルンから彼はビッグプロジェクトを任されるんですよ、敗戦の直前にね。なぜかというと日本本土が爆撃をバンバンやられるじゃないですか。というので生産拠点を朝鮮に移そうと。当時は朝鮮は植民地だったので、そちらのほうが被害も少ないだろうというので、今の金額でいうと100億円ぐらいの現金を持って彼は工場を建てるために朝鮮に行くわけです。それも7月ぐらい。敗戦の直前です。朝鮮に行って、土地を買って、材木とかコンクリートとかを集めて工場を作ろうとして、土台ができたぐらいでソ連軍が攻めてくるわけです、8月8日。そのときに「これは戦争は終わりだ、日本の負けだ」と。原爆も落ちたらしいというので彼は引き揚げないかん、ここにおったら死んでしまう。作ろうとしていた土地とか工場の基礎をどうするか、これは朝鮮の人たちに差し上げようというので、工場の建設に携わろうとしていた地元の人たち、朝鮮の人たちを集めて「これは皆さんに寄付しますから」と言って帰ってきたらしいです。

ちなみにそのときに帰るために船がいるじゃないですか。船をチャーターするためにお金を使ったらしいです。基本的に戦地というか混乱している朝鮮から日本に戻るときに女性と子供が優先されるじゃないですか。そこでなんで角栄さんが戻ることができたか。ひとつには金を使ったんじゃないかという説と、もうひとつ、これは角栄さん自身が言ってるんだけども、乗船名簿に名前を書くときに角栄、田中角栄でしょ。角という字、彼は書道もうまくて草書体で書いたらしいんです。見ようによっては「角」という字が「菊」に見える。「田中菊栄」で女性と間違えられたのではないかというのは角栄さんの弁なんです。ほんまかいな。これはちょっと。



中島:

間違えられたんじゃないかという言い方をするということは、間違えられるように書いたということですよね。


青木:

それもあるかもしれないですね。


中島:

たぶんそういうことを暗に匂わせてるんじゃないですかね。


青木:

ただ乗ってきたのが20代の半ばの、しかもちょびヒゲの男だった。わかるじゃないですか。それで乗って帰られたのはやっぱりそこそこにお金を使ったんじゃないか、船をチャーターしたのも角栄さん自身だったという話があるんです。


中島:

だってあんなどさくさの中でそういう判断ひとつひとつやっていけるという、20代半ばですよ。それはたぶん今までの生い立ちでいろんなことを経験してきたからこそということでしょう。


青木:

おっしゃったように決断力の速さというのは誰もが認める。


中島:

「これはもう差し上げます。じゃあ俺は帰らなきゃいけない。帰るときにどうやって帰るか」とか、そういうことの決断が自分の命を守ってるってことですよね。


青木:

かなりのお金を使って、海軍の海防艦、今で言う巡視艇ですよ。これをたぶん買い上げて帰ってきたんじゃないかと言われてるんです。なおかつ戦争が終わったとき、負けたわけでしょ。多くの日本人の中には虚脱感にさいなまれた人たちもいる。これは角栄さんの同年代である中曽根さんは強烈なんですよね。角栄さんにははっきり言って敗北に伴う虚脱感とか挫折感とか、伝記を読んだ限りにおいては僕はそれは読み取れなかったです。むしろ「新しい時代が始まる」と。さらには「戦争で死なずに本当に良かった」と、そういう安堵感みたいなものが僕は感じられた。


中島:

もしかしたらあれかもしれないですね、国というものに信頼感はあんまりなかったんでしょう、育ちを考えたらですね。


青木:

それもあっただろうし、もうひとつは国家の前にまず自分がいると。あるいは自分のまわりの人たちの生活があると。国家全体がどうなるかの前に自分たちの生活をどうするんだのほうが先にあるんですよね。


中島:

それでしょうね。


青木:

それに対して中曽根さんというのは国のエリートでもあったし、彼も大学半ばで海軍の軍人になってインドネシアなんかに派遣されるんです。



だから国家との一体感というのはたぶん角栄さんよりは中曽根さんのほうが強かった。敗北したときに挫折感みたいなものは中曽根さんは感じるんですよね。彼は自叙伝も書いてるし。角さんにはそれがないんです。わりとあっけらかんと。


中島:

国民でほっとしたという話は聞かないことはないですもんね。


青木:

そうですよね。戦後間もない頃、1946年、昭和21年、戦後の最初の衆議院議員選挙が行われる。角さんはそれに打って出るわけです。どういう目的で打って出たかについては実はあまり詳しいことは書いていなかったんだけども、ひとつは偶然で、戦後すぐに進歩党という政党ができて、戦争中に大政翼賛会ってありますね。軍部のやることに関して基本的に賛成するという政治家のグループ。それが戦後に進歩党というふうに名前を変えて、もともと軍国主義だった政治家たちの政党で進歩党ってできるんですよ。その進歩党の大麻唯雄さんという人が田中角栄に寄っていくわけ。まだ26、7歳です。はっきり言うとお金が欲しかった。

当時の進歩党って党首が決まってなくて、有力者が3人おったらしいんです。3人の中で話し合いが行われて、誰か300万円準備した人間が党首になると。300万円といったら今の金額で5億円ぐらいです。「金を持ってるらしい戦時中に大発展した田中土建、そいつが金を持ってるらしい」というので大麻さんが聞いて接近していくわけ。「君、お金を用立ててくれんかね」と。「いくらですか?」「とりあえず100万円」と。1億数千万円ですよね。その話のついでに「君も立候補したらどうだ」と。彼は彼で土建屋としてお金儲けをするだけじゃなくて、この国をなんとかしたいという気持ちもあったのは間違いないです。ただどういうふうにして政治家になれば良いかわからなかった。というので「どうすれば良いですか?」と。「君ね、とりあえず15万円出しなさい、選挙資金で」と。15万円というとだいたい今で言うと2500万から3000万ぐらいです。「それで良いんですか?」といったら大麻さんが「それで良いよ。君は神輿にさえ乗っていれば良い」と。



ところが落選するんです。


中島:

15万円を用意したにも関わらず?


青木:

そうそう、15万円、3000万円ぐらい用意してそれなりの有力者に配ったりしたらしいんです。ところが配られた連中がそれでどんちゃん騒ぎしたりとか、結局全然選挙マシーンとしてお金が活かされなかった。これを角さんは反省して、翌年に行われる2回目の衆議院選挙、このときは田中土建工業の社員を動員して、いわゆる企業ぐるみ選挙というのをやるわけ。しかも当時の角さんって必ずしも演説がそんなにうまくなかったというふうに自分自身は思ったらしいんです。というので早稲田大学とかあのへんで弁が立つ連中を連れて遊説に回ったらしいんです。


中島:

勝つためにはどうすれば良いかみたいなことを1回目の落選のときにいろいろ学ぶんですよね。


青木:

そうそう。角さんが言うには「1回目の落戦は落ちるべくして落ちた」と言ったらしいんです。


中島:

その頃から金が絡む選挙だったんだなというのが残念ですよ。


青木:

残念だけどしょうがないですよね。ただ、この選挙のとき、1回目の選挙のときの演説で彼はあることを言うわけです。彼は新潟から立候補するんだけども、いわゆるのちの新潟3区から立候補するんだけども、「皆さん雪で大変でしょう。私に任せてくれ。私に任してくれたら新潟と群馬の境にある三国峠、あそこで雲が湧いて雪が降るじゃないですか。あの三国峠を全部潰して雲が東京まで行くようにする。余った土は日本海に放り投げて佐渡ヶ島と陸続きにする。どうですか、私に任せませんか」と。非常に乱暴なんだけど。


中島:

おもしろいですよね。おもしろいってみんな思っちゃいますよね。


青木:

少なくともこの政治家はクニのことを考えている。ここで言うクニというのは故郷ね。我々の生活のことを考えていてくれると。当時は政治体制が変わって憲法も変わろうとしているときじゃないですか。多くの立候補者の人たちが「民主主義とはなにか」とか、「天皇制とはなんだったのか」「戦争犯罪とはなんだったのか」みたいなことを、もちろんそれも大事ですよ、言うんだけども、角栄さんはあんまりそんなことは言わない。「若き血を持っている私に任せてくれ」と。「任せてくれたら三国峠を潰して」と。


中島:

やっぱり戦後のみんなが苦しい中で生活がどうあるべきかとか、良い悪いは別にして角さんの、今Tik Tokとかでも結構出てくるんですよ、昔の遊説のVTRが。「皆さん幸せですか?と言うんですよ。


青木:

そうそう。もちろん国家観もあったと思うんだけど、その前にまず生活なんですよね。生活をなんとかしましょう、特にこの前話したトルコの話じゃないけど都市と農村という、どう考えても貧富差があると。必ずしも工業が発展する前は新潟もめちゃくちゃ豊かな県で人口も多かったんですよね。この前調べてびっくりしたんだけど、明治維新以降の19世紀、1880年代とか90年代って全国都道府県で一番人口の多い県って新潟県なんです。150万から180万ぐらいで、東京が日本で一番人口が多くなるのは世紀が変わる頃なんです。その前は農業県が。



中島:

それだけ豊かだったということですよね。


青木:

そうそう。食わせるだけの食料をちゃんと生産していて、それこそ地産地消されていて多くの人間が養えるような状況だった。それが工業化が始まって都市化の流れができて、農村の人口も富も都市に吸い上げられていく。角さんの頭の中にはたぶんそれをなんとかしたいという、格差の是正というか、それは強烈にあったと思うんですよね。


中島:

たぶんそれが国家観だと思うんですよ。みんなを幸せにするというか。



青木:

その延長線上に日本列島改造論というのが出てくるわけですね。とにかく2回目の選挙で彼は当選いたしまして、ここから政治家田中角栄の人生が始まっていくわけです。


中島:

ここから本当におもしろい話になっていくでしょう。


青木:

めちゃくちゃおもしろいです。


中島:

次回に続きます。


青木:

もう話が尽きないです。


中島:

そうでしょうね。エピソードがおもしろいからですね。


青木:

おもしろい、うん。



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