【目次】
定澄(じょうちょう):赤星昇一郎
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
藤原氏の氏寺である興福寺の別当。
『今昔物語集』には激悪の破戒僧として描かれています(異説あり)。ただ、実際の経歴をみると仏教界の頂点まで出世しています。なんで『今昔物語集』ではそんなに悪役なんでしょうか。。。
『枕草子』によると、定澄は当時の背が高い人の代表格で、とても背が高かったうえに高下駄を履いて、さらににょきっとしていたようです。なお、赤星昇一郎の身長は171センチらしいです。
キャスト:赤星昇一郎(あかぼししょういちろう)
1955年生まれ。東京都出身の俳優、声優です。エンパシィ所属です。
大河ドラマでは「花の乱」(成身院光宣)、「秀吉」(茶坊主)、「葵 徳川三代」(白井龍珀)、義経(禅林坊)、「功名が辻」(安国寺恵瓊)、「平清盛」(源雅定)、「麒麟がくる」(高僧)に出ています。坊主アクターですね。
解説:実際の定澄
香隆寺僧正寛空の弟子で、法相宗の僧です。なお、興福寺も法相宗です。
ドラマでは、道長と定澄がぶつかったエピソードが描かれるのですが、その事件以外では、藤原氏の氏寺である興福寺の別当となったように、長年にわたって藤原氏によくつかえます。道長が法華経を読むときの先生でもあります。
当時、「定澄僧津に袿なし。すくせ君に衵なし」(定澄は背が高すぎるので袿は短すぎる。すくせ君(※不詳の人物)は背が低すぎるので衵は長すぎる)という流行り言葉があったようで(『枕草子』)、当時、背が高いと言ったら定澄というほど、目立って背が高かったようです。
1~3回:まひろ初期(977~983年)ごろの定澄
天元二年(979年)約48歳
立義します。立義とは、法会のときに、学僧を試験するために行われた問答論議の儀式です。
天元三年(980年)約49歳
9月3日、延暦寺根本中堂供養に参加します。
12回:「思いの果て」(987~989年)ごろの定澄
永延二年(988年)約57歳
維摩会で講師をつとめます。
16~18回「岐路」(994~995年)ごろの定澄
長徳元年(995年)約64歳
権律師となります。
西大寺別当に就任します。
27回「宿縁の命」(999年)ごろの定澄
長保元年(999年)約68歳
興福寺権別当となります(※要確認)。
8月21日、詮子の慈徳寺供養に参加します。
28回「一帝二后」(1000年)ごろの定澄
長保二年(1000年)約69歳
権少僧都となります。
3月17日、興福寺別当となります(『権記』)。
5月8日、大和国の犯罪人を追捕するために、検非違使を派遣するよう要請します。
5月14日、詮子の病気回復を願う大般若不断御読経に奉仕するよう命じられます。
29回「母として」(1001年)ごろの定澄
長保三年(1001年)約70歳
2月29日、行成の世尊寺供養に参加します。
3月6日、春季御読経の論議に奉仕します。
5月29日、内裏十二門の大般若経御読経僧の一人です。
30回「つながる言の葉」((1002~)1004年前半)ごろの定澄
長保四年(1002年)約71歳
2月10日、亡くなった詮子の49日の法会に参加します。
5月7日、清涼殿で初めて最勝講が行われたときの講師の一人です。
5月7日、敦康親王家読経の講師です。
6月15日、大和室生龍穴社で雨乞いをします。
10月22日、一条院法華御八講の講師です。
10月23日、行成の亡くなった奥さんの49日の法会に参加します。
長保五年(1003年)約72歳
正月8日、御斎会内論議に参加します。
2月16日、宣旨によって、大般若経の欠文を調査します。
10月16日、道長の維摩会に参加します。
たぶん上の維摩会の功で、権大僧都となります。
寛弘元年(1004年)約73歳
3月25日、倫子の大般若経供養の色衆に加わります。
5月19日、道長家の法華八講の講師です。
12月3日、土御門殿で大般若経供養の講師をします。
32回「誰がために書く」(1005年)ごろの定澄
寛弘二年(1005年)約74歳
8月14日、最勝講の講師です。
10月19日、道長の木幡浄明寺供養の呪願師です。
34回「目覚め」(1006年後半~1007年前半)ごろの定澄
寛弘三年(1006年)約75歳
7月13日、朝廷に数千人の僧侶を引き連れて押しかけます。
思ったよりおもしろくて、思ったより長くなったので、別記事にしました
35回「中宮の涙」(1007年後半)ごろの定澄
寛弘四年(1007年)約76歳
閏5月17日、内裏説経の講師です。
12月2日、道長の浄妙寺の多宝塔供養の呪願師です。
その後の定澄
寛弘五年(1008年)
彰子が出産するときに、彰子のそばでいっしょうけんめいお祈り(加持)します。
寛弘六年(1009年)約78歳
5月23日、新しく写した大般若経の御読経の色衆です。
6月19日、最勝講の講師です。
7月6日(3日?)、大和国の国司ともめて(国司の春日社参詣のときに、興福寺僧侶が国司の従者に暴力を加えた)、道長に非難されます。
寛弘七年(1010年)約79歳
3月18日、内裏仏経供養の呪願師です。
3月21日、最勝講の講師です。
寛弘八年(1011年)約80歳
3月24日、最勝講の講師です。
3月27日、道長の阿弥陀経供養の呪願師です。
11月29日、冷泉天皇の五七日法会の講師です。
大僧都となります。
長和元年(1012年)約81歳
5月15日、皇太后宮の枇杷第の法華御八講の証義です。
長和四年(1015年)約84歳
5月1日、道長家の法華三十講に参加します。
5月15日、疫病退散の臨時仁王会の総講師をつとめます。
10月、道長の五十歳のお祝いの法会で導師をつとめます。
11月2日、没します。このとき、約84歳説と、約80歳説があります。今回は84歳説をとります。
大河ドラマ「光る君へ」における慶理(きょうり)
NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
藤原氏の氏寺である興福寺の僧。
なんか「鎌倉殿の13人」にも似たようなヤツがいたような。。。
キャストの渡部龍平は、身長181センチらしいです。
キャスト紹介:渡部龍平(わたべりゅうへい)
1979年生まれの俳優です。G-STAR.PRO所属です。
大河ドラマは初出演です。
解説:実際の慶理
実在の僧なんですが、今回の事件以外の史料に記録が残っていません。
つまり謎の僧です。
あ、今回の事件は『御堂関白記』『小右記逸文』『権記』に載っています。慶理が載っているのは『御堂関白記』だけだったと思います。
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