top of page

藤原彰子 「光る君へ」人物事典026

更新日:11 分前



【目次】


藤原彰子(ふじわらのあきこ):見上愛

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


道長の長女。幼いうちに一条天皇に入内し、定子と競う立場となる。紫式部(まひろ)は才を見込まれ、彰子のもとに宮中女房として出仕する。彰子は、一条天皇にふさわしい妃になろうと努力を重ねる。


ドラマでの一条天皇との仲良しぶりを見ると定子ちゃんが敵っていうのは、ホントに無理ゲー。彰子ちゃん、ほんときつかったね。

ドラマの27話では、閨房に興味津々だったことがバラされます。


一方で、大人になったら、彰子ちゃんが生きている間に二人の子どもと二人の孫と一人のひ孫が天皇になるという、スーパー国母になったりもします。穆子・倫子・彰子の祖母・母・娘三世代はとにかく長生きなんですよ。


キャスト:見上愛(みかみあい)

東京都出身の女優。大河ドラマは初出演。


解説:実際の藤原彰子

藤原道長と源倫子の長女です。紫式部が仕えました。

後の例を鑑みるに、「彰子」という名前は、999年(長保元年)2月の裳着と同時に従三位となったときに付けられたものと考えられます。


大人になった後の彰子は国母として、天皇や摂関とともに、そしてときには天皇や摂関以上に国政を動かしていました。

ロバート実資は、国母について「母后また朝事を専らにす」(『小右記』長徳三年七月五日条)と評価しています。


9月25日ぐらいから、道長たちが彰子の入内の準備を始めたことが『御堂関白記』から分かります。

ドラマでは、夏ぐらいから「彰子ちゃん、港区女子化大作戦♡」をしていました。ドラマでは、赤染衛門の能力が閨房に全振りされていたり、彰子ちゃんが興味津々だったりと、二人の意外な側面が設定されました。


10月21日、道長は、彰子が入内するときに持ち込む屏風に貼る和歌を贈ってくれるよう、みんなに依頼(恫喝)しました。

入内する娘の屏風に公卿が和歌を贈ることすら、前代未聞の傲慢な行為なのに、さらに花山法皇までもが和歌を贈っているような状況にロバート実資はバチギレて、「そんな話はこれまで聞いたこともない」と憤慨しています。


なお、ロバート実資だけは道長の恫喝を拒否っていて、ロバート実資に近い家系の公任も歌を贈ったことも批判しています。まあ、立場と力関係的に、公任は断れないですよねえ。


10月30日、公卿たちや花山法皇が献上した和歌を、後に三蹟と称される書の達人・行成が清書しました。

このとき、道長は重ねてロバート実資に和歌を求めましたが、ロバート実資はまたも拒否しました。

ちなみに、彰子ちゃんが女御になった後、道長は厭味ったらしくロバート実資に、ロバート実資の歌だけが書かれていない屏風がある部屋に、ロバート実資を呼び込みます。

ドラマでは、彰子が入内する前に、ロバート実資が道長とともに屏風を見ましたね。


彰子の入内の日は11月1日に決定しました。

ドラマだと、定子の産み月に入内をぶつけてやれと、道長がたくらんでいました。


11月1日、彰子に、内輦車宣旨が下されました。輦車というのは、牛車と違って人が引く車です。



内裏は6月の火事で焼け落ちているので、入内先は一条天皇が住んでいる里内裏の一条院です。下の図で、詮子姉さんが住んでいた一条院に、一条天皇たちは移っていました。



7日、女御宣旨が下されて、彰子は女御となりました。

なにげに、一条天皇にとっては、4人目(定子・義子・元子・彰子)にして初の年下のキサキです。

定子のページで詳しく書いていますが、この日は引責出家したはずの中宮定子が男子、すなわち敦康親王を産んでいます。

一条天皇は「天気快」と、満面の上機嫌で定子息子のお祝いの手配をしまくっています。ほんと、いけにえの姫彰子ちゃんはかわいそうですね。

諸卿は、中宮定子をスルーして、女御彰子のことにお祝いの挨拶にきました。


ドラマでは、彰子ちゃんと顔合わせをしたときの一条天皇は、ほんとにイヤなヤツでした。

「そなたのような幼き姫、、、」とか

「楽しく暮らしてくれれば、朕も嬉しい」とか

お前の相手をする気はない、的な気持ちを隠そうともしなかったです。これには、公卿たちも道長も、凍りついていました。



12月、冷泉天皇のキサキだった太皇太后昌子内親王が1日に崩御して、后が一人減ったのを受け、道長と詮子は、今年の2月に裳着したばかりで、さっき女御になった彰子ちゃんを、もう中宮にしようと画策し始めました。

ドラマでは、安倍晴明が提案していました。次回に続きます。


1000年2月10日、立后の儀式のために、女御彰子は道長が住んでいる二条邸に退出しました(このとき、道長は土御門殿じゃないの?)。なお、このスキをねらって、一条天皇は定子を一条院内裏に連れ込んでいます。


1000年2月25日、女御彰子は倫子と道長の邸である土御門殿に移り、一条天皇は紫宸殿で立后の宣命を読み上げさせる儀式を執り行いました。ドラマでは、ロバート実資が宣命を読み上げていました。

こうして、皇后の遵子は皇太后となり、中宮定子は皇后となり、女御の彰子は中宮となりました。


1000年4月、彰子は立后後初めて一条院内裏に参内し、夜に東北の対に入りました。昼間は暴雨大雷で、豊楽院には雷も落ちたそうです。


5月、彰子は土御門殿(倫子邸)に退出します。4月から病を得た道長パパの病気見舞いだったと考えられています。

ドラマでは、道長は明子の家で倒れたという演出でした。この違いが、今後どう出てくるのかが気になるところです。


9月、彰子は一条院内裏に参内します。


10月、昨年焼け落ちていた内裏が建て直されたので、内裏の飛香舎(藤壺)に参入します。


その後の彰子

1016年、三条天皇が東宮敦成親王に譲位して、敦成親王(9歳)が即位して後一条天皇に。彰子は即位式でともに高御座に登りました。

こうして、彰子も国母となりました。


国母となった彰子ちゃんは、いずれ天皇家と摂関家の家長となります。国母としての彰子は、院政期における院の先例ともなったと考えられています。


1018年、4月に内裏新造。彰子は常に内裏弘徽殿を居所として、息子の後一条天皇と、息子の皇太弟後朱雀と同居します。この年の10月16日、道長が望月の歌を詠みました。

望月の歌は、後一条天皇の唯一のキサキである威子が立后した記念に詠まれたものですが、威子は彰子の妹です。

実は、威子をとっとと立后するように強く圧をかけたのは彰子でした。道長と頼通が彰子の御所に参上したときに、彰子は「尚侍(威子)立后すべきこと、早々たるを吉とすべし」と、パパ道長と弟頼通に指示しています。

これは強いです。だって、道長ですら、自分の娘が二人も立后している状況(彰子が太皇太后、妍子が中宮)で、さらに娘の威子までも立后させるはヤバいっしょと、躊躇しているくらいですから。

そして、躊躇して、「ちょっと、、、それは空気的に、、、ヤバ、、、」と返事をするパパ道長に対して、もとぼんやり娘彰子ちゃんは、早よせいや(「さらにしかるべきことにあらず、同じき様あるをもって慶び思ふべきなり」)と、パパ道長に発破をかけます。

天皇の後宮に対する主導権は、完全に詮子ちゃんが握っているのです。


弟の頼通(75歳)が関白を息子の師実に譲ろうとしたとき、関白頼通(75歳)はおそるおそるスーパー姉ちゃん彰子ちゃん(79歳)に相談しました。

すると、彰子ちゃん(79歳)は難色を示して、「師実に譲っちゃダメ」と関白頼通(75歳)に命じました。その結果、関白は頼通の弟の教通に譲られることとなったという話が『古事談』にあります。50年以上も関白をやってきたような頼通ですら、国母彰子ちゃんには逆らえなかったという話です。


そのほかにも、人事や国政にものすごく関与し続けています。

摂関期の国母は、息子の天皇と同居して、天皇を日常的に後見します。

そんで、天皇や摂関とともに、そしてときには天皇や摂関以上に国政を動かしていました。

ロバート実資は、国母について「母后また朝事を専らにす」(『小右記』長徳三年七月五日条)と評価しています。


年表

では、藤原彰子定子の略年表を示します。年齢は数え年です。


988年:1歳。誕生。誕生日は不明。

999年:12歳。一条天皇の女御に。

1000年:13歳。中宮に(立后)。

1008年:21歳。敦成親王(後一条天皇)を産んだので、道長が外戚としての地位を固める。

1009年:22歳。敦良親王(後朱雀天皇)を出産。

1012年:25歳。皇太后に。

1016年:29歳。敦成親王(9歳)が即位して後一条天皇に。彰子は即位式でともに高御座に登った。

1018年:31歳。太皇太后に転上。

1026年:39歳。出家→院号宣旨を賜わり、上東門院と号す。

「一条天皇の母后(皇太后)の東三条院詮子(藤原兼家の娘、円融院の女御)につづいて二人目の女院である。準太上天皇の待遇を受け、その院号は、宮城の門および居所の名称によって付けられる。上東門院の名称は、道長の土御門第が上東門院と称せられ、彰子の御在所であったことによる」(『国史大辞典』)

1074年:87歳。死去。



「光る君へ」を楽しむ文献リスト

オススメ!『光る君へ〈紫式部とその時代〉』(NHK出版)→https://amzn.to/4arFW1V

オススメ!紫式部と藤原道長』(倉本一宏)→https://amzn.to/3NqFJlT

オススメ!『清少納言と紫式部』(丸山裕美子)→https://amzn.to/47VQEvY

『藤原道長: 摂関期の政治と文化』(大津透)→https://amzn.to/3TD3HhI

『牛車で行こう!: 平安貴族と乗り物文化』(京樂真帆子)→https://amzn.to/3v8XWy6

『一条天皇 (人物叢書)』(倉本一宏)→https://amzn.to/47bdC0T

『藤原道長(人物叢書)』(山中裕)→https://amzn.to/3RBkChJ

『写真でみる 紫式部の有職装束図鑑』(仙石 宗久)→https://amzn.to/3v5Plfk

『平安朝 女性のライフサイクル』(服藤早苗)→https://amzn.to/41zozYW

『絵巻で歩む宮廷世界の歴史』(五味文彦)→https://amzn.to/3GTfjoX

『清少納言 (人物叢書)』(岸上慎二)→https://amzn.to/41BiCuP

『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』(倉本一宏)→https://amzn.to/3RUJq60

『平安京の下級官人』(倉本一宏)→https://amzn.to/3vc1X4H

『藤原氏―権力中枢の一族』(倉本一宏)→https://amzn.to/48lwBHm

『平安朝 皇位継承の闇』(倉本一宏)→https://amzn.to/4808Y7f

『皇子たちの悲劇 皇位継承の日本古代史』(倉本一宏)→https://amzn.to/3tE8XXw

『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』(倉本一宏)→https://amzn.to/3vi8qLm

『紫式部 (人物叢書 新装版)』(今井源衛)→https://amzn.to/485WYRC

『孫の孫が語る藤原道長』(繁田信一)→https://amzn.to/3tzJbUk

『藤原行成 (人物叢書)』(黒板伸夫)→https://amzn.to/4avVn9q

『文学で読む日本の歴史―古典文学篇』(五味文彦)→https://amzn.to/47fQ0Iu

『光源氏に迫る: 源氏物語の歴史と文化』(宇治市源氏物語ミュージアム)→https://amzn.to/3Nzs5wz

『藤原彰子 (人物叢書)』(服藤 早苗)→https://amzn.to/4aA73I4

『キャラ絵で学ぶ! 源氏物語図鑑』(伊藤賀一)→https://amzn.to/479NS55

『完全解説 装束の描き方』(ながさわとろ)→https://amzn.to/48oVba2

『平安時代天皇列伝』(樋口健太郎)→https://amzn.to/3v9CjNX

『図説 藤原氏』(木本好信)→https://amzn.to/48403lc

『源氏物語を楽しむための王朝貴族入門』(繁田 信一)→https://amzn.to/487H4GB

『平安貴族の仕事と昇進: どこまで出世できるのか』(井上 幸治)→https://amzn.to/48wt5tp

『平安貴族の住まい: 寝殿造から読み直す日本住宅史』(藤田 勝也)→https://amzn.to/48uCUbr

『イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める! 源氏物語』(竹内正彦)→https://amzn.to/47e6MYq

『紫式部日記 現代語訳付き』(紫式部)→https://amzn.to/3RCP7El

『源氏物語 解剖図鑑』(佐藤 晃子)→https://amzn.to/4ausWIX

その他、面白かった本

『神作家・紫式部のありえない日々: 1』(D・キッサン)→https://amzn.to/3TwrGyZ

『神作家・紫式部のありえない日々: 2』(D・キッサン)→https://amzn.to/4axvben

『神作家・紫式部のありえない日々: 3』(D・キッサン)→https://amzn.to/41C8y4o

『もしも紫式部が大企業のOLだったなら』(井上 ミノル)→https://amzn.to/3RrTvWw

『もしも紫式部が大企業のOLだったなら 大鏡篇』(井上 ミノル)→https://amzn.to/3tzKene

『大摑源氏物語 まろ、ん?』(小泉吉宏)→https://amzn.to/3tDJtcR

『まんがで読む古典 1 枕草子』(面堂 かずき)→https://amzn.to/3TzVwm4

『まんがで読む古典 2 更級日記・蜻蛉日記』(羽崎 やすみ)→https://amzn.to/3Tyl3Mr

『暴れん坊少納言 1巻』(かかし 朝浩)→https://amzn.to/41zq6hE






閲覧数:243回0件のコメント

コメント


bottom of page