【目次】
まひろ(紫式部):吉高由里子/落井実結子
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
平安時代、10世紀後半に京に生を受ける。名前は「まひろ」。藤原家の生まれではあるが、父は受領階級で、けっして裕福ではなかった。幼いころ母を失うが、学問をつかさどる父のもとで、並外れた文学の才を発揮し、想像力と好奇心を育んでいく。まひろは、考え深く鋭い感性を持つ女性へと成長する。
数歳年上の藤原道長とは、少女のころ知り合い、惹かれ合うも、身分差に阻まれる。やがてはるかに年上の男性と結婚して娘を授かるも、死別。一人娘を育てながら、のちに『源氏物語』として知られる長編小説を書きはじめる。
道長との縁が絶えることは、終生なかった。彼への愛憎は、まひろの人生をさいなみ、そして花開かせる。『源氏物語』の評判が高まり、まひろは、道長の求めで、その長女の中宮・彰子に仕える宮中の女房となる。現代でいえば華やかなキャリアウーマン。一方で、まひろが書きつづる『源氏物語』は、道長のバックアップを受け、天皇や貴族の間で大ベストセラーとなる。
まひろ(紫式部)は生没年不詳です。追記:ドラマでは、970年生まれ設定となりました。
生まれたとしも気になりますが、それ以上に、ドラマではいつまで生きていたことにするのかのほうが、注目されます。
なぜかというと、紫式部が死去した年にはさまざまな説があり、どの説を採用するのかによって、ドラマの後半が大きく変わってくると考えられるからです。
たとえば、一番早い説をとると、紫式部は道長が摂政になったり、望月の歌を詠ったりするより前に死んでしまいます。
吉高由里子
いったん、NHK公式の紹介を引用しておきます。随時加筆していきます。
1988年東京都出身。2006年、映画初出演となる『紀子の食卓』で「第28回ヨコハマ映画祭」最優秀新人賞受賞。
2008年に映画『蛇にピアス』で主演を務め、「第32回 日本アカデミー賞」新人俳優賞と「第51回 ブルーリボン賞」新人賞をダブル受賞。2014年には連続テレビ小説「花子とアン」(NHK)でヒロインの村岡花子を演じた。
主な出演作品は、ドラマでは「東京タラレバ娘」、「正義のセ」、「知らなくていいコト」(日本テレビ)、「わたし、定時で帰ります。」、「危険なビーナス」、「最愛」(TBS)、「風よあらしよ」(NHK)。映画では『ユリゴコロ』、『検察側の罪人』、『きみの瞳めが問いかけている』。大河ドラマへの出演は2008年の「篤姫」以来2回目。
落井実結子
幼少期のまひろは、落井実結子さんが演じています。
2014年生の子役で、大河ドラマでは鎌倉殿の13人で大姫を演じました。
解説:実際の紫式部
紫式部の本名も生年も死没年も分かっていません。
「香子」(かおるこ/こうこ/こうし/たかこ/よしこ)だったという説もあります。
学者でうだつの上がらない藤原為時の娘です。ただ、学者の家系に生まれたことにより、紫式部は若くして漢文や和歌の素養を身に着けていくことができました。
母(ドラマではちやは)を同じくする兄弟は、ドラマには出てこなかった姉が一人と、ドラマで癒やしてくれる惟規がいます。
母違いの兄弟には、惟通、僧定せん、女子がいます。
紫式部は20歳近く年上の陽キャ(藤原宣孝)と結婚します。
しかし、結婚後数年で宣孝は死去します。
この宣孝の死のあと、者思いにふけるようになり、『源氏物語』を書き始めたと考えられています。
なお、出仕していきなり心が折れて、家に出戻って5ヶ月間も引きこもります。
内裏では、紫式部は「藤式部」と呼ばれました。
優秀な紫式部は他の女房にやっかまれますが、漢字の「一」も読めないぐらいおバカなふりをして乗り切ります。
ドラマ以前のまひろ
天禄元年?(970年?)
まひろが誕生します(ドラマ設定)。紫式部の生年は不詳で、973年説(今井説・倉元説)などもあります。
天延二年?(974年?)
弟の惟規が生まれます。
天延三年?(975年?)
母(ちやは)と死別します。ドラマでは貞元二年(977年)でも生きている設定で、1話目から飛ばしていました。
為時の三女(異母妹)が生まれます。
貞元元年(976年)
異母弟の惟通が生まれます。
1~3回:まひろ初期(977~983年)ごろのまひろ
貞元二年(977年)
ドラマはこの年から始まります。まひろは籠の中の鳥だったのでしょうか。
父の為時が東宮読書始めの儀に副侍読として侍します。ドラマでは、足扇ほれほれ東宮師貞親王が強烈なデビューをしていました。
天元二年(979年)ごろ
天元三年(980年)
異母弟の定暹が生まれる。
4~11回:花山天皇期(984~986年)ごろのまひろ
永観二年(984年)
花山天皇の御世に為時が式部丞(と蔵人)となります。このときの為時パパ「式部丞」が、のちのまひろの呼ばれ方の「藤式部」「紫式部」のもととなります。
為時が花山天皇の蔵人をしているときの同僚は宣孝で、上司蔵人頭はあのミチカネなので、ドラマではなんか一波乱あるかも、、、と思っていましたが、ハズレました。
寛和元年(985年)
春、為時は道兼邸の残花宴に歌を作ります。
10月、為時は大嘗会御禊に宣孝と共に奉仕します。
寛和二年(986年)
春、為時は具平親王邸で宴を賜ります。
ドラマでは、為時と兼家の関係に注目される場面です。なお、宣孝は引き続き一条朝にも働いています。
12回:「思いの果て」(987~989年)ごろのまひろ
小倉百人一首に収録されている「めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」を詠います。
13回「進むべき道」・14回「星落ちてなお」(990年)ごろのまひろ
正暦三年(992年)
歌集によると、ある男と恋愛関係にあったかも⁉
15回「おごれる者たち」(993年)ごろのまひろ
正暦四年(993年)
正月、為時は内宴に出席します。
16~18回「岐路」(994~995年)ごろのまひろ
正暦五年(994年?)
姉が死去します。
大河ドラマでは、姉の存在は大胆にオミットされました。
19~21回:長徳の変(996年)ごろのまひろ
長徳二年(996年)
父為時が越前守として越前国に下向します。このとき紫式部も同行します。
ドラマでは、このとき、さわさんと分かれることになります。さわさんはドラマオリジナルキャラクターですが、前後の情況から『紫式部集』にある「筑紫の君(筑紫へ行く人の娘)」(平惟将(たいらのこれまさ)の娘)だと考えられます。
ドラマでは琵琶湖を渡りきったときに雨が降るのですが、これは紫式部の歌が元ネタになっています。
22~26回:長徳年間(997・998年)ごろのまひろ
長徳四年(998年)
春、紫式部だけ帰京します。(997年帰京説:倉元・山本)
秋ごろに藤原宣孝(45歳ごろ?)と結婚します(この後、宣孝には本妻がいるので、本妻のもとから紫式部のもとに通います)。
ドラマでは、まひろと宣孝が結ばれたのは9月29日のことでした。
27回「宿縁の命」(999年)ごろのまひろ
長保元年(999年)
宣孝が仕事で留守にしている間に、藤原賢子(後の大弐三位)を生みます。
ドラマでは、ミチカネの話と並ぶオリジナル展開となります。
28回「一帝二后」(1000年)ごろのまひろ
長保二年(1000年)
ドラマでは、仕事から帰京した宣孝が、娘に「賢子」と名付けました。
29回「母として」(1001年)ごろの紫式部
長保三年(1001年)
春に父為時が越前国から帰ってくるも、4月に夫宣孝を亡くします。
ドラマでは、道長に仕える話を断った為時に怒っていましたが、実際、このあと為時は8年間も無職になります。まひろちゃん、もっと怒って!
あ、ドラマでは為時は道長邸のバイトを引き受けます。
この年から、紫式部は誰かから口説かれ始めたようです。口説いてきたのは、九州で受領を務めた人物説と、宣孝の息子隆光説があります。
翌年になると、他の男も紫式部に近づいてきたようです。
ということで、赤子を抱えたシンママという属性を得て、紫式部にモテ期が到来したようです。
ドラマのまひろちゃんは、これまでもけっこうモテてましたが。
30回「つながる言の葉」((1002~)1004年)ごろの紫式部
まだモテ期が続いているようです。
このころから、『源氏物語』を書き始めたと考えられています。
ドラマでは、娘の賢子に物語を燃やされていました。
この時代の紙は高級品なので、『源氏物語』を書き始めたころにはしっかりとしたパトロンがいたんじゃね?という視点で、ドラマの監修を務める倉本一宏氏が詳しい考察を加えています(倉本一宏『紫式部と藤原道長』)。
寛弘二年(1005年)
12月29日、中宮彰子に出仕します(今井説・山本説)
寛弘三年(1006年)
正月4~5日、退出して、引きこもります(今井説)。
正月10日、お家から彰子に歌を贈ります(今井説)。
3月、弁の君と歌を贈り合います(今井説)。
3月4日、東三条殿で花宴があります。為時も出席しています。この日、東三条殿から一条院に移ります(今井説)。
中宮彰子が土御門殿に里帰りする9月には宮仕えに復活していたと思われます。
このころ、琴を人に教えます(今井説)。
34回「目覚め」(1006年後半~1007年前半)ごろのまひろ
寛弘四年(1007年)
正月13日、約34歳の弟惟規がやっと蔵人となります。
4月25日、内裏密宴の作文に為時が出席します。
7月12日、惟規が行成の使いとして仁王経を献上します。
3月、興福寺からの桜を伊勢大輔に譲ります。彰子の歌を代詠します(今井説)。
4月19日、賀茂祭使頼宗のかざしに歌を書きます(今井説)。
36回「待ち望まれた日」(1008年)ごろのまひろ
寛弘五年(1008年)
『紫式部日記』を書き始める。『源氏物語』のせいで、「日本紀の御局」と呼ばれる。
正月3日、実家に帰ってみます。
3月14日、為時は正五位左少弁蔵人となります。
夏、彰子に新楽府を進講します。ドラマでもありました。
7月16日、彰子が出産のために土御門殿に退出します。
7月17日、惟規が中宮御見舞勅使となったときに酔っ払って失態します。
8月下旬、公卿や殿上人の土御門殿宿直が始まります。
8月26日、彰子や女房たちと薫物を調合します。
道長から女郎花をもらいます。
9月9日、重陽の節句で、倫子から菊の着綿をプレゼントされます。プレゼントといっしょに、「よくよく老いを拭い捨ててね」という倫子のメッセージを受け取ります。この贈り物とメッセージには、素直な感謝が込められていたという説と、道長と肉体関係があった紫式部に対する攻撃だったという説があります。ドラマではどうなるのか楽しみです。(追記:ドラマでスルーされました。。。ドラマでは、11月1日の五十日儀が恐怖の。。。)
夜半に彰子の陣痛が始まります。
9月10日、彰子が出産用の白い帳台に入ります。
9月11日、彰子が敦成親王を生みます。御湯殿の儀が執り行われます。
9月13日、三日の産養が中宮職主催で行われます。
9月15日、五日の産養が道長の主催で行われます。
9月17日、七日の産養が一条天皇の主催で行われます。
9月19日、九日の産養が頼通の主催で行われます。
10月16日、一条天皇が彰子のいる土御門殿に行幸します。
10月17日、敦成親王の家司の人事が決定します。
11月1日、敦康親王の五十日の儀です。公任が紫式部の局を訪れます。
37話「波紋」(1008年後半)ごろのまひろ
『源氏物語』の製本をしたり、道長に草稿本を持っていかれたり。
11月17日、彰子が敦成親王を連れて参内します。牛車は四人乗りなのですが、彰子は宮の宣旨(中宮宣旨)と二人で乗り、敦成親王は倫子ばあちゃんと乳母と三人で乗りました。彰子と敦成親王は別の牛車なんですねえ。紫式部は馬の中将といっしょに乗って、お互いに「あ~、ヤダヤダ」と思っています。
12月初旬、退出します。
12月20日、敦成親王の百日の儀です。
12月29日、再び出仕します。
12月30日、追儺が行われます。中宮の御所に盗賊が入ります。
38話「まぶしき闇」(1009年前半)ごろのまひろ
寛弘六年(1009年)
正月3日、敦康親王の戴餅です。
3月4日、為時が左少弁となります。
6月13日、あかね(和泉式部)が彰子に仕え始めます(今井説)。
彰子が懐妊し、6月19日、土御門殿に移ります。紫式部も同行します。
7月7日、為時が庚申作文の序を作成します。
夏、土御門殿で道長と歌を交わします(『紫式部日記』)。
39話「とだえぬ絆」(1010~1011年前半)ごろのまひろ
道長に、息子頼通の縁談について相談されたようです。
11月25日、彰子が敦良親王を生みます。
12月7日、占卜のことについて、為時に仰せ言がありました。
12月29日、為時は僧綱補任について、行成に問い合わせました。
寛弘七年(1010年)
正月1日~3日、敦成親王と敦良親王の戴餅です。
正月2日、土御門第臨時客に奉仕。父為時も出席。
正月3日、数日間退出します。
正月15日、敦良親王の五十日の儀です。紫式部も朝に参内します。この日が『紫式部日記』の最後の記事となります。
紫式部は小少将の君と仲が良く、相部屋にして住んでいました。そこに道長がやってきて、「相部屋にして住んでたら、恋人ができたらどうすんの?」とからかわれます。
2月上旬、このころ宇治十帖を書き始めたか(今井説)。
7月上旬、『紫式部日記』を書き終える。
寛弘八年(1011年)
2月1日に任じられた父為時が越前守に。惟規も同行します。
秋、同行した弟惟規死去。
40話「君を置きて」(1011年中盤)ごろのまひろ
ドラマでは、道長と彰子のやり取りを見て、困っていました。娘がオトコを連れ込んでいました。
その後の紫式部
長和元年(1012年)
正月15日、官召のころに歌を献じます。
5月28日、ロバート実資が彰子を訪れたときに、紫式部が取り次ぎます(今井説)(倉本説)。
6月29日、彰子の枇杷殿に虹が立つという怪異が起こります。
長和二年(1013年)
正月19日、ロバート実資が彰子を訪れたときに、紫式部が取り次ぎます(今井説)(倉本説)。
2月25日、彰子が一種物の催を停めたことを、資平に伝えます(今井説)。
3月21日、皇太后、紫式部を介して資平に実頼の病をたずねます(今井説)。
4月14日、資平が彰子を訪れたときに、紫式部が取り次ぎます(今井説)。
5月25日、資平が彰子を訪れたときに、紫式部が取り次ぎます(今井説)。
7月5日、ロバート実資が彰子を訪れたときに、紫式部が取り次ぎます(今井説)。
8月20日、ロバート実資が彰子を訪れたときに、紫式部が取り次ぎます(今井説)。
9月下旬、彰子(25歳)のもとを辞す?(今井説?)。このころまでに小少将は亡くなっています。
年末、『紫式部集』を編集します。
長和三年(1014年)
生存が史料で確認できる最後の年です。
正月、越後の父為時に歌を贈ります。
正月20日ごろ、彰子が病気になったため、紫式部は清水寺に参詣します。このとき、伊勢大輔に会います。
6月11日、為時が辞職して、帰京します。
長和五年(1016年)
4月29日、父為時が三井寺で出家します。
寛仁三年(1019年)
正月5日、ロバート実資が彰子を訪れたときに、紫式部が取り次ぎます(今井説)。
寛仁四年(1020年)
治安元年(1021年)
治安三年(1023年)
万寿四年(1027年)
年表
では、970年生まれ設定(大河ドラマ)にもとづいて、紫式部の略年表を示します。年齢は数え年です。
970年?:1歳。誕生。
974年?:5歳。惟規が生まれます。
975年?:6歳。母(ちやは)と死別。
為時の三女が生まれます。
976年:弟の惟通が生まれます。
980年:11歳。異母弟の定暹が生まれる。
小倉百人一首に収録されている「めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」を詠う。
992年:23歳。ある男と恋愛関係⁉
994年?:25歳。姉が死去。(キャストが発表されていない?どうなる??)
996年:27歳。父為時が越前守として越前国に下向。紫式部も同行
997年:28歳。紫式部だけ帰京。
998年:29歳:藤原宣孝(40歳ごろ?)と結婚。(宣孝には本妻がいるので、本妻のもとから紫式部のもとに通っていた)
999年:30歳:藤原賢子(後の大弐三位)を生む。この年、彰子入内。
1001年:32歳:春、父為時越前から帰京。
4月25日、夫の藤原宣孝(40代中盤?)が死去。
この頃から『源氏物語』の執筆を始めたといいます。
1002年:33歳。正月、求婚される。
いったん引きこもる。
1008年:39歳:『紫式部日記』を書き始める。『源氏物語』のせいで、「日本紀の御局」と呼ばれる。
道長から女郎花をもらう。
11月1日、公任が紫式部の局を訪れる。
『源氏物語』の製本をしたり、道長に草稿本を持っていかれたり。
12月初旬、退出す。
12月29日、再び出仕す。
1009年:40歳。彰子が懐妊し、土御門殿に移る。紫式部も同行。
夏、土御門殿で道長と歌を交わす(『紫式部日記』)。
1010年:41歳。このとし、宇治十帖を書き始めたか。『紫式部日記』を書き終える。
正月2日、土御門第臨時客に奉仕。父為時も出席。
正月、数日退出。
1011年:42歳。一条天皇崩御。御大葬に歌を献ず。
1012年:43歳。彰子(25歳)のもとを辞す?(?要確認)。
6月29日、彰子の枇杷殿に虹が立つ。
『紫式部集』を編集。
1014年:45歳。生存が確認できる最後の年。
1016年:47歳。父為時が出家。
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