top of page

藤原宣孝 「光る君へ」人物事典024

更新日:1月31日




※α版(2023/12/04)。


藤原宣孝(ふじわらののぶたか):佐々木蔵之介(ささきくらのすけ)

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


紫式部(まひろ)の夫。まひろの父・為時とは職場の同僚で同年配の友人どうし。世知に長け、鷹揚おうような性格の男性。まひろのことは幼いころから知っており、よい話し相手となって温かく見守る。


まひろより20歳程度は年上の陽キャです。

まひろと結婚したときには、すでに少なくとも3人の女性との間に4人の息子がいました。


金峯山詣に空気を読まない格好をしていって、清少納言にディスられた話が有名です。なお、宣孝が金峯山詣をしたのは、まひろと結婚するよりも10年近く前のことです。


年表

では、藤原宣孝の略年表を示します。年齢は数え年です。

以下のは、再調査必要?


982年:現、左衛門尉。この年、円融天皇の蔵人してそう。

984年:六位蔵人に任命され、左衛門尉を兼任。

   円融天皇が花山天皇に譲位すると、院判官代に補任された。10月17日、花山天皇の蔵人になる。

990年:筑前守に任命され、筑紫に赴任。金峯山詣。

992年:大宰少弐を兼任。

993年:従五位上に昇進。

998年:正月、右衛門権佐。

    春、紫式部帰京。

    4月、賀茂祭舞人を務める。

    8月、兼山城守。

    晩秋、紫式部と結婚。

    11月、賀茂臨時祭舞人奉仕。

999年:8月、宣孝の荘園・田中荘の悪人が、良米使を殺害して逃走。

    11月11日、神楽人長を務める。

    11月末、宇佐使として出発。

    この年、賢子が生まれる。

1000年:2月、帰京して、道長に馬を贈る。

    4月、平野臨時祭勅使。

    7月、内裏相撲召合に列席。

1001年:4月25日、疫病により死去。


以下はオケ。

985年:7月18日、壬生社に使いに行って凌辱されて、殿上の間を削られる。

    10月、為時たちと大嘗会御禊に奉仕。

990年:3月、御嶽参詣。

    8月30日、任筑前守。

995年:この年に帰京か。

1001年:2月5日、道長を訪問。










閲覧数:6回0件のコメント
bottom of page