top of page

ききょう(清少納言)「光る君へ」人物事典012

更新日:2023年12月25日




※α版(2023/12/06)。


ききょう(清少納言(せいしょうなごん)):ファーストサマーウイカ


まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


歌人・清原元輔の娘。才気煥発。一条天皇に入内した定子のもとに女房として出仕し、心からの忠誠を尽くす。『枕草子』は紫式部や道長にも影響を与えることに。



清少納言の「清」は清原氏の略称です。受領階層の中下級官人である、父清原元輔は『後撰和歌集』の編纂者の一人で、梨壺の五人と称される有力歌人です。

我々のイメージでは清少納言は随筆家ですが、中古歌仙三十六人の中にも入っています。


定子が崩御したあとの清少納言について、『国史大辞典』によると「明瞭ではないが、しかし、いずれにせよ則光との離別の後に摂津守藤原棟世と再婚し、上東門院に奉仕した小馬命婦を儲けているので、受領の北の方としての立場は保持して過ごした。死没年時までにはまだ二十数年間あるが、確実な史料はなく具体的な動静は判明しない。……説話の中の彼女は、流浪・落魄の主人公であり、そのままには受け取れないが、宮仕え時のごとくかがやかしいものでなかったこともまた事実であろう」とのことです。


丸山裕美子氏の『清少納言と紫式部』にもっと踏み込んだ説明がありましたので、年表に反映させておきます。


ききょうは藤原行成と仲が良いです。

こんな話が知られています。


「餅餤」の話

『史記』孟嘗君伝の誇示を踏まえた会話

「夜をこめて」の歌の贈答

『晋書』王徽之伝を踏まえた会話


そして、行成はききょうが忠誠を尽くしている定子のライバルである、彰子やその女房であるまひろとも近しいです。というより、政治的には、道長・彰子側についています。


年表

では、清少納言の略年表を示します。生没年不詳です(年表の年齢は推定の数え年です)。




966年ごろ?:1歳。誕生。

983年ごろ?:18歳?。橘則光と結婚。→則長らを生む。

?年:?歳。橘則光と離別。

?年:?歳。摂津守藤原棟世と再婚。

992年:27歳?。定子のもとに出仕。

995年:30歳?。定子を後見してきた藤原道隆(定子の父)が死去。

1000年:35歳?。12月、定子、崩御。


定子の崩御後、夫棟世の任国摂津国に下ったと考えられる(→小馬命婦を生む)。(『清少納言と紫式部』)

1002年:37歳。帰京したか。


1017年:52歳?。兄弟の致信が殺害される。このとき、清少納言は同宿していた(ただし、『古事談』による。『古事談』は鎌倉時代の説話集)。









閲覧数:15回0件のコメント
bottom of page