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藤原伊周 「光る君へ」人物事典027

更新日:2023年12月25日




※α版(2023/12/04)。


藤原伊周(ふじわらのこれちか):三浦翔平(みうらしょうへい)

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


道隆の嫡男。才色兼備の自信家の青年。若くして、父の引き立てによりスピード出世を果たす。父亡きあとは、妹の定子への一条天皇の寵愛を頼りに、道長と火花を散らすライバルとなる。




藤原道隆と高階貴子の息子です。定子の兄にあたります。若くして政治的に失脚します。道長に負けたというより、自滅した感が。。。

歌集に『儀同三司集』があります。


息子の道雅も、父の血を引いたのか、親父のアホさ加減にグレたのか、「荒三位」と呼ばれたり、彼女(当子内親王)のパパ(三条天皇)に蛇蝎のように嫌われたりします。


年表

では、藤原伊周の略年表を示します。年齢は数え年です。


974年:1歳。誕生。

990年:17歳。父道隆が関白に。伊周は右中将、蔵人頭、正四位下に。

991年:18歳。参議→従三位権中納言

992年:19歳。正三位権大納言。

994年:21歳。内大臣。(叔父の道長を超える)

995年:22歳。道隆重病も伊周は関白になれず→道隆病気中に限って内覧に

「その強引なやり口は一条天皇の心証を害し」(『国史大辞典』)

      4月10日、道隆死去

      4月27日、道兼を関白に

      5月5日、伊周の内覧停止

      5月8日、道兼死去

      5月11日、道長が内覧に→6月19日、道長が右大臣に

兄の伊周と叔父の道長の対立が深まる。

伊周と道長の激烈な口論。

弟隆家と道長の従者同士の衝突・殺傷沙汰が続く。

高階成忠による道長呪詛が噂される。

996年:23歳。正月、伊周と隆家が花山法皇に矢を射かけた事件 →伊周兄弟の罪名勘申が命ぜられる

      4月、法皇狙撃と東三条院呪詛と密かに大元帥法を修した罪により、大宰権帥に配流が決定 →定子の二条邸(このとき定子は懐妊で二条邸に退出していた)に逃げ隠れする→出家姿で配流先に送られる →病気と称してゴネる

      5月、播磨国に逗留することが認められた。

      10月、俗人姿で密かに入京して、母貴子と妹定子を見舞う。 →見つかって大宰府に護送。

997年:24歳。3月、大赦。 →12月、入京。

1001年:28歳。本位に復す。(この後も政治的には無力)

1003年:30歳。従二位。

1008年:35歳。准大臣。

1009年:36歳。正二位。

    2月、「東三条院呪詛事件が起き、朝参を止められたが、間もなく許された」(『国史大辞典』)

1010年:37歳。正月28日、死去。









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